妄想古典教室

第五回 なぜ海の神は女でなければならないか

海神を味方につける

 『源氏物語』で海の神として登場するのは住吉神である。住吉神は、イザナミを追って黄泉の国を訪ねたイザナギが黄泉の国の穢れをすすぐための禊祓で生まれた海の神、九神のうち、底筒男命、中筒男命、表筒男命の男神三神で成る。住吉大社は大阪湾にほど近いところに位置し、京都から淀川をくだってやってきて、海へと出て行くちょうどその出入り口のところに鎮座する神である。

 『源氏物語』の主な舞台は京の都だから海からは遠い。しかし「須磨」巻で、光源氏は、兄朱雀帝後宮に入内するはずだった朧月夜の君と関係したことが原因で、朱雀帝の母、弘徽殿女御の怒りを買い、須磨の浦の詫び住まいに蟄居することになる。三月の巳の日に、光源氏は陰陽師を呼んで海辺へ出て祓えをする。今日の流し雛の習俗に通じる儀式で、舟に人形をのせて流すのである。するとにわかに空がかき曇り、大嵐となる。海の中に棲む龍王が光源氏を気に入って憑りつこうとしているのかもしれないなどと誰かが言う。京の都でも雷鳴がとどろき、天の怒りを鎮める儀式をしているという便りがあった。光源氏は、海の神たる住吉の神に一心に祈りを捧げる。

「住吉の神、近き境を鎮め守り給ふ。まことに迹を垂れ給ふ神ならば、助け給へ」(この辺りの国を守護する住吉の神よ、まことにこの地に垂迹する神ならば、助けたまえ)

 また海の中の龍王などさまざまな神々に祈りを捧げたが、邸に雷が落ちて一部が焼け落ちる惨事となった。夜通し念仏を唱え、疲れ果てた源氏はふとまどろんだ夢に亡くなった父、桐壺院の姿を見る。「なぜ、こんな辺鄙なところにいるのだ。住吉の神の導かれるままに、すぐにも舟を出してこの浦を去るのだ」と父院は言った。翌朝、明石の浦から光源氏を迎える舟がやってくる。これこそ住吉神の導きだと源氏は明石に移った。

 そこに待ち受けていたのは、明石の入道。娘を源氏と娶せて都へ連れていってほしいと願っている。この願いを叶えるために、入道は長年、住吉の神に願をたて祈りを捧げていたのだった。住吉神の引き合わせで実現した光源氏と明石の君の出逢いは、明石の君の生んだ女君がのちに天皇の后にのぼることで、光源氏、明石の入道双方の栄華の礎となっていく。したがって海の神というのは、ただ海辺の平穏や航海の安全のためにあるわけではなくて、壮大な運命を司る力をも持った神として考えられているのである。その一端に住吉神の龍王を治める力というのが見出されているのに違いない。

 というのも、権力者としてのぼりつめるためには、龍王の娘と結婚して海神の力を味方につけることが神話的レベルでも実際の政治的手腕としても必要だと考えられていたからである。

 たとえば能の演目「海士(あま)」にも語られている海女の玉取り説話は、藤原氏が龍王の娘と結ばれた伝説を語る。藤原氏の始祖、鎌足の娘は唐の皇帝に見初められ后となった。その返礼に中国から贈られた玉を讃岐国の志度の浦で龍王に取られてしまう。この玉を取り返そうと鎌足の息子、不比等がこの浦へやってくる。不比等は海女と関係を結び、海女は男子を産む。海女は、房前と名づけたこの息子を必ず都で藤原氏の跡継ぎとしてくれるように頼み、自ら海へと潜って龍宮から玉を取り返す。しかし海面に浮上する途中で龍に見つかってしまい、海女は持っていた剣で乳の下をかき切って、自らの体内に玉を隠し、命と引き換えに取り戻した[fig.6]

[fig.6]薄雲御所 慈受院門跡蔵「大織冠絵巻」
恋田知子『薄雲御所 慈受院門跡所蔵 大織冠絵巻』勉誠出版、2010年

 

 能「海士」では、その海女の産んだ息子房前(ふささき)大臣が、母の供養のために志度の浦を訪れ、母の霊に顛末を聞く構成となっている。最後に、『法華経』の龍女成仏譚が引用されて、母の成仏と重ね合わされているから、この海女は龍女とみなされていることになる。同じ話を、藤原鎌足と海女の物語として語るのが「大織冠」であり、「大織冠絵巻」も多くつくられた。

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