極彩色の信仰心
仏像にしろ神像にしろ、今なお信者に篤く祀られ、深い信心を集めている聖像は、奈良、平安時代の古色蒼然とした像を見慣れている者にとって、こう言っては何だが、どうにもおもちゃっぽくキッチュにみえてしまうということがある。たとえばタイの金ピカの仏像、インドの色鮮やかなヒンドゥーの神々など、いきいきとした信仰のなかにあればあるほど、そこに祀られている像は古びてくたびれたものなどではなくて、常に新調されてきらびやかであるのがふつうだ。たとえばヒンドゥーの女神ラクシュミーの祭で、インド南部の家庭に飾られていた像は黄色い顔面によく似あう鮮やかなブルーの衣をきせたものであった[fig.1]。象の姿のガネーシャにしろ、シヴァ神にしろ、ヒンドゥーの神像はどれもカラフルである。
もちろん奈良、平安の像だってつくられた当初は、まばゆいほどの極彩色で飾られていたのである。しかしあまりに長いあいだ、色褪せて古びた像を愛でてきた目には、もはや派手な彩りの像を美しいと思う心は失われてしまっている。
たとえば興福寺の阿修羅像の復元模造が発表されたとき、多くの観者は心底がっかりしたのである[fig.2]。眉根をよせて気難しげな顔つきの少年の面ざしを愛でてきた者にとって、鮮やかな朱色の皮膚はあまりに毒々しく、おまけにくろぐろとした口髭が描かれていたことにほとんど嫌悪にも似た拒絶反応を示した。確信に満ちたような青い瞳でこちらを見返すその表情はややふてぶてしく、これまで最大の美点として語られてきた少年っぽさのかけらもなかったからである[fig.3]。
しかし、奈良時代や平安時代の都を復元してみるなら、どこもかしこもこんな色合いでできていたのであって、そのことは平等院鳳凰堂のCGによる復元画像をみればよくわかる。金色の阿弥陀像を囲んで、天井から柱までカラフルな文様でにぎにぎしく飾られている。そうでなければ、どうして夢のような極楽浄土を想像することができよう。極楽がシックなモノクロフィルムの世界だったら、死後の世界に希望が持てるはずもない。
極彩色を認められないということは、その意味で、極楽への夢を忘れてしまったということなのであって、信仰心のすでに失われていることをあらわしているのである。だから退色しきった古い仏像にうっとりしがちな私たちは、よけいに妄想力を駆使して信心を思い描く必要がある。
ところで横浜の中華街に媽祖廟ができたのは2006年のことである。真新しい媽祖像が祀られたわけだが、そもそも香港であれ、マカオであれ、台湾であれ、媽祖像というのは、そのように新しげに艶めいているのである[fig.4]。香港、マカオ、台湾の媽祖廟は、いつ行っても信者であふれ、参拝者の奉じた線香の煙でむせかえっている。そもそも線香自体がびっくりするほど長くて大きい上に、頭上には渦巻き状の巨大な線香がいくつもぶら下げられているのだから、廟内は真っ白に煙っている[fig.5]。そのたちのぼる煙が神との通信を可能にすると信じられているから、いとも盛大に煙らせているのである。
媽祖は、10世紀後半に中国福建省に実在した女性が死後に神格化した航海の守り神である。その後、海を渡ってきた人々に運ばれて、香港、マカオや台湾など、とくに海に近い地域で信仰された。横浜中華街が媽祖廟を置くのも、中華街である以上に港町であることが大きい。
ところで媽祖の信仰において、船出する漁師は男性だったのにもかかわらず、海の異変を感受するのが女性だったのはなぜだろう。なぜ海の守り神を女性として妄想したのだろう。