妄想古典教室

第五回 なぜ海の神は女でなければならないか

龍女と子をなす

 神功皇后は新羅征討ののち、応神天皇を出産するのだが、この場面もまた海幸山幸説話からとってきていて、鵜の羽で屋根を葺いたが、葺きおわらないうちに子を産んだとして、その子を鵜葺草不合命(うがやふきあえずのみこと)と名づけたとある。これも海幸山幸説話で、豊玉姫の出産の場面に語られているものであり、すると神功皇后は、龍王の娘、豊玉姫と重ね合わされていることになる。海の女神である神功皇后は、一方で龍王の娘でもあるのである。

 さらに一部の絵巻には、海幸山幸説話で語られた山幸と豊玉姫とのあいだの子の誕生説話も取り込まれている。たとえば鰐鳴八幡宮所蔵「八幡大菩薩御縁起」や秋穂正八幡宮所蔵「八幡大菩薩御縁起」のなかでは、神功皇后の子、応神天皇が龍王の娘を娶って龍王の孫を産むという話に展開していく。神功皇后の夫である仲哀天皇が新羅征討を成就させるために神功皇后の孕んだ子がもし男なら龍王の婿に女なら龍王の后にさせるとの勅命をのこしたのである。仲哀天皇は新羅へ出向く前に没してしまうが、神功皇后は、応神天皇出産ののち、天皇が約束した通りに応神天皇を龍王の婿とした。応神天皇と龍王の娘とあいだにうまれた子には蛇のような尾が生えていたと語られている。その不気味な尾を隠すために直衣という着物がうまれたのだとも語られている。応神天皇の子は仁徳天皇だから、その尾の生えた子が仁徳天皇だと語り収めているものもあれば、石清水八幡宮所蔵「八幡宮縁起」絵巻のように、この龍王の子は平野大明神としているものもある。

 応神天皇が龍王の娘と結婚し子をなすのは、藤原氏の始祖が海女と結婚する海女の玉取り説話に語られてきた物語に類似する。婚姻は相手の力を自らのものとするための常套手段だが、海の世界を統べる龍王と婚姻関係を結ぶことが神話的に妄想されていたのである。瀬戸内の海域を支配下におさめた平清盛が玄界灘の海の神である宗像三女神を祀る厳島神社を氏の社としたのも、海洋交通を掌握するためだけではなく、龍王の守護を妄想していたのかもしれない。源氏は、宇佐に本拠地を持ち、九州全域で信仰されていた八幡神を氏神とした。それもまた新羅を抑えた軍神であり、海の女神でもある神功皇后の守護を求めていたためだろう。

 中世版八幡神話の、海からやってくる外敵を退治する物語は、まずそれを成し遂げる神功皇后に龍女のイメージを付与し、さらに神功皇后の息子が龍女と結ばれ、子をなすことによって海神の力を掌握するものであった。権力者が海神と結ばれるとするなら、日本社会では、権力者はたいていの場合、男性なのだから、結ばれる相手は女性でなければならないということになる。だから、海の神は女神でなければならないのである。

 実際は住吉神のように海の神に男神もいるのである。けれども龍女と子をなすことを妄想する権力者にとって、『源氏物語』の光源氏がそうであったように、住吉神は、龍王の娘たる明石の君と結ぶのを手伝うのがせいぜいなのである。八幡縁起絵巻においては、住吉神があくまで神功皇后を助ける補佐役に甘んじているのも同じ理由であろう。

 京都から海に出るには淀川を下って、住吉神社のある住之江に出るルートが一般的であった。すると住吉神が、神功皇后の船出を助けるのは地理的連想としてもわかりやすい。大海へ船出するまでを支えるのが住吉神で、いざ新羅へと大海原に出るにあたっては、龍神の加護が必要となる。そのとき龍王の娘のイメージが付与された神功皇后が海の女神として召喚されるのである。そこにもまた極彩色の篤い信仰があったにちがいない。

関連書籍