ちくま文庫、というとものすごく渋いイメージがあった。今もある。
例えば本屋さんの文庫のコーナー、ちくま文庫は大抵奥まったところにあって(ごめんね、筑摩書房の皆さん)、その棚のあたりにいる人も頭の良さそうなおじさんが多くって、ラインナップも渋揃い、夏なんて文庫たちがここぞとばかりはしゃぎだす時期なのに、ちくま文庫たちは静かで落ち着いていた。なんていうか、「私、そういうタイプじゃないんで」みたいな感じだった。
昔お付き合いしていた恋人の家に行ったとき、本棚に並んでいた文庫の背表紙がほとんど淡い黄色だったのを見て、興奮した。ちくま文庫だ! その人は高校を卒業していなかったけれど、とても聡明な、そして面白い人だった。ちくま文庫を愛読していると知って、ますます好きになった。この人は信用できる、極端かもしれないけれど、本当にそう思った。
だからちくま文庫を買うようになったとき、私は嬉しかった(自分の作品がちくま文庫のコーナーに並んだときは、もっともっと嬉しかった!)。自分も大人になったものだ、そう思った。奥まった棚(何度もごめんね、筑摩書房の皆さん)にある落ち着いた文庫たちは、中年になった私を、まだどきどきさせてくれるのだった。
私の家の本棚には、ちくま文庫のコーナーがある。
ちくま日本文学全集のコーナーだ。
今住んでいるマンションを、私は五年前に購入した。まだ独身で結婚の予定もなく、もうほとんど叫ぶくらいの覚悟だった(実際サインするとき、「えい!」と声に出した)。
いつか自分の家を持ったときの夢が私にはあって、それは壁一面作りつけの本棚だった。ひとりで頑張って稼いで、そしてひとりで叫びながら購入した家だもの、それくらいの贅沢は許されるだろうと思った。
頼んだ大工さんたちがすごく若くて慣れていなかったのか、期日までに出来ず、私も日程が取れなかったので最終的に棚のカンナ削りを手伝ったりするはめになったけれど、出来上がった本棚はそれはそれは立派で、毎日「うっとり」と声に出しても飽きなかった。
この本棚に、私の大好きな本たちを並べるんだ!
それだけで私はほとんど天下を取ったようなものだった。
オーダーで作ったので、サイズも自由自在だった。単行本を入れる棚、写真集を入れる棚、そして、文庫を入れる棚。文庫を入れる棚には、ちくま日本文学全集を入れようと決めていた。
自分の家、自分だけの本棚、そこに並ぶちくま日本文学全集。
これが大人の幸せと言わずして、何を幸せと言えようか!
ちくま日本文学全集は、とにかく美しい。光沢のない深い白、安野光雅さんの素朴で真摯な絵、手になじむ絶妙な厚さと、タイトルや著者名のすっきりとした文字(私は特に、梶井基次郎の文庫が好きだ)。
名前だけ知っていた岡本かの子の才能を教えてくれたのも、ほとんど意識を変えるくらい感動した梅崎春生の短編に出逢わせてくれたのも、織田作之助のキュートな文章に改めて痺れさせてくれたのも、ちくま日本文学全集だった。
それらを並べるだけで、私の本棚は立派になった。子供たちのはしゃぎとはほど遠い、聡明で落ち着いた棚になった。
他の文庫棚は本が増えすぎて、二列になってしまっているのが現状だけど、ちくま日本文学全集の棚にだけは、他に何も入れないと決めている。ちらりと見たその棚は、今日も震えるほどに美しい。