ちくま新書

心へ飛び込んでくる世界

PRちくまに寄稿していただきました『誰も知らない熊野の遺産』の新刊エッセイを公開します。 なぜ熊野に引き付けられるようになったのか? 誰もがある不思議な体験が綴られます。

 かつて、自我が完全に崩壊したことがある。詳しくはここでは書かないが、これが自分、と思い込んで何十年も無理して走り続けてきたものが、ある時ボキッと折れたというか、それまでの価値観も人との繋がりも一切崩れて無くなってしまった。少し状況は違うが、仏門に入り一切を取り払った解脱の状態が、これに近いのではないかと思う。「自我」とか「自分」というものが「ゼロ」にリセットされるのだ。

 するとどうなるか。自分が無いのだから、周囲と自分を隔てていた境界がまったく無くなる。内側から外へ発していくものは消え、外の世界からあらゆるものが容赦なく心の中へ飛び込んでくるようになった。まず、美術館で彫刻やガラスの造形を鑑賞できなくなってしまった。風景絵画ならまだいい。画家と同じ方向を向いて、画家の目を通して同じ風景を見つめることができる。しかし、無から意思の力のみによって存在をひねり出される造形は、作者の自我がくねる炎や石鎚の形となってまっすぐにこちらへ飛びかかってくるのである。それに対して「でも自分はこう思う」「こう感じる」と立ち向かう自我のない自分は蹂躙されてしまう。高野山の奥の院を参拝するだけでも、参道周囲に密集するおびただしい数の墓石の造形一つ一つが、残された者の死者への思いを叫んでいて、私は疲れ切ってしまった。京都貴船神社へ向かう周囲の里山さえ、過去から現在に至るまで加えられてきた人の意思に満ちていて、誰もいない山中なのに、都心の地下鉄の人混みに揉まれたと同じくらい、人いきれで気分悪くなるのである。

 でもこの状況は面白い体験を自分にもたらした。私はまるっきり霊感を信じてはいないが、外界との境界を失った心が、普段は気づかないごく微細な光景の違いを何か感じ取るのである。九州でちらっと通り過ぎただけの神社がどうしても気になって、一〇キロも走りすぎてからイライラしながら戻ると、拝殿で異形の面をつけた人たちが密かに舞っていて愕然としたことがある。北海道の山中で、なぜか急に林道脇に車を止めたくなってバックしようと振り向いた先に、巨木に守られた碑が立っていたこともあった。道端に地蔵を見つけ車を降りた瞬間、「しまった」と後悔するような重苦しさが周囲に満ちていて、必死でその地蔵の由来を調べたこともある。重苦しさは、地蔵をつくった人々の思いが造形に表出していたのだろう。地蔵は、山深いこの場所にかつて人の暮らしがあり、小学校もお祭りもあり、その小さなコミュニティに悲劇があったことを伝えていた。子孫の方のお店まで訪ねていぶかしがられ、自分は何でこんなことをしているのだろうと気まずく思いながらも、聞き取りから描き出される人の人生があまりに鮮やかで、こうやって埋もれた人の歴史を掘り起こすのが自分の役割なのかもしれないと漠然と思うようになった。

 私が熊野に通うようになったのもこの頃のことだ。那智の火祭りが見たくて出かけたはずが、熊野の山中で通りかかるすべての光景が一々自分を呼び止め、心に侵入してくるので前進できなくなってしまった。ただ、熊野ではどれほど人の痕跡があっても、私はなぜか気分が悪くはならなかった。川べりの風景も神社も地蔵も古い家も石垣もすべてが美しく、調べれば調べただけ不思議な言い伝えや信仰や見事な人の歴史が紐解かれ、私は自分一人ではとても調べきれないほどの世界の広がりがあることに幸福を感じていた。地元の人に「そんなに話を聞くのが好きなのか」と笑われるくらい、熊野の果てしない中を泳ぎ廻るのは本当に楽しかったのだ。

 その後私は心の健康を取り戻し、自我も当たり前のように戻った。が、少しだけ立ち止まってふっと自らの気配を消してみさえすれば、いつでもいくらでも外の世界は自分の中に飛び込んでくるのである。

 ところで、熊野をはじめ地域の人々が信仰する神や言い伝えは、決して時代遅れでも迷信でもなく、その地の人々の世界観を表現するためのある意味「言語」なのだということも取材の中で強烈に悟ったのだが、それについてはまた機会があれば書きたいと思う。