単行本

生まれたばかりの学問、猫社会学とは?
『猫社会学、はじめます』「序 猫好きの、社会学者による、猫のための社会学」を全文公開

誕生してまだ間もない「猫社会学」。いったい、どんな学問なのか? ひと言でいえば、「猫好きの、社会学者による、猫のための社会学」」だと、編者の赤川学さん。「社会問題の社会学」や「セクシュアリティ研究」をしてきた赤川さんは、いったいなぜ、猫社会学を提唱するに至ったのか? その経緯もわかる「序」を、一挙公開します!

 この本は「猫社会学」について書かれた、はじめての本です。

 といっても、「猫社会学? はて、聞いたことがないな」という方が大半でしょう。それもそのはず、猫社会学を立ち上げようと私が動き出したのは、ほんの数年前のことなのですから、世の中にはまだまだ知られていません。

 いったい猫社会学とはどんな学問なのか?

 この質問にひと言で答えるなら、「猫好きの、社会学者による、猫のための社会学」ということになります。「だったら、野良猫たちが夜中に公園などで開く集会といった、猫たちの生態を社会学的に分析するの?」と思われた方もいるかもしれません。残念ながら、ちょっと違います。

 すこし遠回りをするようですが、猫と人間の歴史をひもときながら説明させてください。比較的よく知られた話ではありますが、猫と人間がかかわるようになったのは、今から約9500年前とされています。地中海にうかぶキプロス島の遺跡から、30歳くらいの男性と猫が一緒に埋葬されたお墓が発見されたのです。調査の結果、約9500年前のものと分かりました。飼い猫の出現です。

 「その頃から、人間は猫を可愛がっていたんだね」と思われた方もいるかもしれません。おそらくそれは違います。たとえば、紀元前4000年ごろのエジプトでは農業がさかんになり、小麦や大麦が栽培されていました。収穫された穀物はだいじな主食となるわけですが、ネズミたちがそれを食い荒らしてしまう。ネズミなど小動物を狩る習性をもつ猫は、そんなネズミを退治してくれる存在として、重宝されたのです。あくまで猫は、人間にとって役立つ存在だから飼われていたというわけです。

 ですが、いまの日本で、ネズミ退治のために猫を飼っている人は、いたとしてもごく一握りでしょう。いまや、犬や猫などのペットを「家族の一員」だと思っている人が多数を占めるのではないでしょうか。そして、ペットを「家族」のように感じ、大事に飼うようになった人たちが、社会のなかで存在感を増してくるのは、それほど昔のことではないのです。こうしたなかで2017年には、日本における猫の飼育頭数が犬のそれを上回ったとされ、この頃から「猫ブーム」の到来が各所で話題になりはじめます。

 以上のことからも、人類史的にみて、猫と人との関係が、現代日本においていっそう深化を遂げていることがお分かりいただけるのではないでしょうか。

 ここで私自身の話をさせてください。私は1967(昭和42)年、石川県能登地方のちいさな町の、ちいさな文具店の長男として生まれました。私が生まれたその年に、近所のお寺から白猫をゆずってもらい、同じ年ということもあって、一緒に育ったようなところがあります。といっても両親はとくに猫好きだったわけではなく、ノートなど紙類の商品をネズミが食べたりしないよう、ネズミ除けとして飼っていたのです。

 名前は「シロ」といって、気が向くと縁側などから外へ出ていってしまう、今でいう「外飼い」の猫でした。どこかでネズミを捕まえて、その死骸を食卓の下においておく、ということもありました。昭和40年代の猫はまだ、役立つ動物として期待されてもいたわけです。

 私がはじめて本格的に猫を飼ったのは、それから27年ほどたってから、1994年のことです。当時、私は大学院生でしたが、三重県に住んでいる妻の友人が飼っていたメス猫が5匹の子猫を産んで、全部は飼えないけれど、さりとて保健所に連れていって殺処分にしたくもないから、1匹だけでももらってほしいと相談があったんですね。当時の私は生活に変化を求めていたこともあって、子猫を迎え入れることに賛成し、京都で開かれた学会の帰り、名古屋駅で途中下車し、その方から、小さな段ボール箱を受け取りました。

 都内の自宅に戻ってはじめて、その段ボール箱を開くと、まるで宇宙人みたいな、小さな物体がぱっと飛び出してきて、そのまま、窓際のカーテンの陰に隠れてしまった。猫の飼い方を解説した本に、無理になつかせようとするべきではないと書かれてあったので、放っておきました。すると、1日ほどして、お腹が減ったのか、カーテンから出てきて、私が用意しておいた餌を食べ、水を飲んだのです。ようやくこのとき、この子猫の姿をまじまじと見ることができました。茶色と黒のしま模様のあるメス猫でした。

 わが家にやってきて2日目だったと思うのですが、夜、布団で寝ていたら、晩秋のことで、きっと寒かったのでしょう、布団の中に入ってきました。これには感動しました。よく見ると、ただ可愛いだけでなく、その顔にはどこか威厳が感じられ、子どもの頃に観たアニメ『いなかっぺ大将』の主人公である風大左衛門の師匠、ニャンコ先生にあやかって、「にゃんこ先生」と名づけることにしました。

 ほどなくして、私は信州の大学に職を得、松本市へと引っ越します。もちろん、にゃんこ先生も一緒です。生まれてまだ1年もたっていませんでした。当時から餌はドライフードで、水もよく飲む猫でしたが、新居に越して数カ月たった頃、1日に何度もトイレに行くようになり、おかしいと思い、注意して見ていると、尿が出ていない。「これは大変だ!」と思って、泣きそうな気分で、近所の動物病院で診てもらうと、膀胱炎でした。そのとき、獣医さんがカルテに「赤川にゃんこ先生」と書き入れたんですね。「猫にも名字がつくのか」と、軽い衝撃を受けました。いま思うとそれは、「猫も家族の一員なのだから、大切にして」というメッセージでもあったのでしょう。

 結局、にゃんこ先生とは16年間、ともに過ごしました。2006年には仕事の関係で東京へ戻り、にゃんこ先生も一緒についてきました。その頃にはもう、老いが感じられるようになっていました。そして、東日本大震災のあった2011年の春、にゃんこ先生の膀胱炎が悪化し、日ごとに瘦せていき、とうとう夏には老衰に近い状態になってしまった。獣医さんは一生懸命、治療してくれましたが、回復することはなく、ろくに食べ物を口にしなくなるだけでなく、心臓発作をしょっちゅう起こすようになりました。

 こうして半年にわたって闘病したのち、にゃんこ先生は、あの世へと旅立ったのです。猫を飼ったことのある多くの人が経験されていると思いますが、私も世にいう「猫ロス」に陥りました。何もやる気が起きないのです。授業をしなくてはいけないし、原稿も書かなくてはいけない。食事だって摂らなくてはいけないのですが、にゃんこ先生のことを思い返すたびに胸が苦しくなって、涙があふれてしまう。悲しくて仕方がなく、もういちど会いたい一心で、夢に出てきてくれたらと願っていました。

 幸いなことに夢に出てきてくれて、とても嬉しいのですが、朝になると、泣いた状態で目が覚めるということが何度かあり、とうとう周囲の人にたいして「早くあの世に行って、にゃんこ先生に会いたい」と口走るようになっていました。それから3年ほどのあいだ、死んだように生きていたというか、とにかく悲惨でした。ひと時でも、にゃんこ先生のことを忘れられる研究対象(千葉繁という明治期に活躍した医学者)がなかったなら、どうなっていたことか……。

 それでも時は過ぎていき、少しずつ「猫ロス」から立ち直っていきました。そんなある日、猫好きの知人の家へ行って話をしていても、あなたは、いかにもつまらなそうで、まるで廃人のようだったと妻から言われ、再び猫を飼ってみてはどうかと提案されます。最初から乗り気というわけではありませんでしたが、保護猫カフェや保護猫の譲渡会に何度か出かけ、そこで出会ったのが、現在飼っている「あかり」「ゆき」「ばん」の3匹なのです。

 彼女、彼らとの生活が始まると、あれこれ世話をしなくてはならず、「猫ロス」から強引に立ち直らざるを得なかったというのが、正直なところです。

 猫にかかわる個人史を、やや長めに書きましたが、ここからも、猫と人との関係が、以前にもまして深まっていることが、お分かりいただけるのではないでしょうか。しかも、多くの人が、私と同じような経験をしているはずです。にもかかわらず、「どんなことでも研究できる、魅力的な学問である社会学」(私が学生たちに対してよく話していることです)が、猫と人とのさまざまな関係を言語化するための理論や方法を、ほとんど編み出せていない。この状況をなんとかしたいという思いが、猫社会学を提唱する大きなきっかけとなっています。

 そして、猫社会学という新しい試みに賛同してくれ、本書に参加してくれたのが、新島典子、柄本三代子、秦美香子、出口剛司の諸氏だったのです。それだけでなく、「ひきこもり」診療の第一人者にして精神科医、文芸からサブカルチャーまで多ジャンルにわたる批評家にして大の愛猫家である斎藤環さんが、私との対談に参加してくださいました(最終章)。

 以下、各章でどのようなことが論じられているのかを、かいつまんで紹介していきます。

 第1章「猫はなぜ可愛いのか?」では、2021年に実施した、猫に関心がある人48名へのインタビューの語りを、ある方法を用いて分析し、猫の魅力を七つの要素に集しています。わずか48名の語りの分析ですが、猫と人間が「純粋な関係性」を結んでいるという特徴が、生成AIで得られた回答よりも明確に浮かび上がってきています。

 第2章「私たちは猫カフェから何を得ているのか?」では、動物カフェ、特に猫カフェについて、趣味と実益を兼ねた観察とインタビューなどを行い、猫カフェにいる猫たちとお客、お客同士の相互行為が分析されています。特に近年、里親募集型の猫カフェが増えており、猫だけでなく、人と人との出会いの場にもなっていることが指摘されています。

 第3章「ふつうの猫しかいない「猫島」に人はなぜ訪れるのか?」では、猫島として有名な田代島をフィールドワークし、ネットでの予習に加え、「フェリーに乗る」など非日常の経験を通じて、来訪者には、猫島を観光地としてのみ眺める〝メガネ〟が形成されるが、復興がままならない限界集落としての現実も見過ごしてはならないと指摘されています。

 第4章「猫から見た「サザエさん」」では、長谷川町子作の漫画『サザエさん』全7193作品を読み込み、「猫のいる場所」「猫による迷惑」「猫と動物医療」というテーマごとに、「猫の家族化」がいつ頃から見られるようになったかを分析、「家族ペット」をめぐる議論が始まった1980年代ではなく、50年代後半にその萌芽が見いだせると指摘します。

 第5章「人と猫は、いかにして互いを理解し合っているのか?」では、著者が飼っている猫との交流をきっかけに、猫と人が作り出す「相互行為秩序」に着目します。それによると、猫とのコミュニケーションでは言葉はいらず、人間にとって猫が独自の自己と主観性をもった他者として存在していることでコミュニケーションは成り立つと述べられています。

 特別対談「猫が教えてくれた、「ただ、いるだけ」の価値」では、精神科医としてひきこもり状態の人たちと向き合ってこられた斎藤環氏に対談をお引き受けいただきました。愛猫チャンギさんを看取られ、現在は2匹の猫と暮らす斎藤氏との対談は盛り上がり、「ただいるだけで」価値のある猫が社会のインフラたりうると、私も得心しました。

 さて、前口上はこれくらいにしておきましょう。猫社会学は生まれたばかりですが、多様な可能性に開かれていることを、私は確信しています。その第一歩ともいうべきこの本が、役割や利害関係から大きく解き放たれた「純粋な関係性」を私たち人間に与えてくれる猫たちの幸福に少しでも結びつくならば、こんなうれしいことはありません。