「せとのママの誕生日」

せとのママの誕生日
『早稲田文学増刊 女性号』より

いま最注目の作家・今村夏子さんの新作短編をWEBちくまで特別公開します。うらぶれたスナック「せと」のママの誕生日を祝うために集まった3人の元従業員。彼女たちがとりとめもなく語りだすママの思い出話の行く先は……。後は「読んでください」としか言いようのない今村夏子新境地。小説でしか表現できない世界がここにあります。

 もうすぐママの誕生日だから、パーティーをしようという話がどこからか持ち上がった。わたしたちはママの知らない秘密の連絡網を使って連絡を取り合い、当日のプログラムについて相談した。パーティーの企画はママには内緒にしておいて、その日は突然予告なしに訪問してびっくりさせようとみんなで話し合って決めた。みんなというのは、アリサ、カズエ、わたし、の三人だ。本当はまだもっといるのだが、仕事があるとか、子供が小さくて夜の外出は無理とか、どちらさまですか、とか、さまざまな理由で断られた。  とっくにクビになったけど、わたしたちは昔、「スナックせと」でママのお手伝いをしていた。

 わたしが働いていた当時、ママはすでにおばあちゃんだった。化粧や衣装で全身をごてごてに飾りたててはいたが、首と手はシミとしわだらけ、総入れ歯だったし、かつらをとると頭頂部がはげていた。
 クビになった理由は、今となっては覚えていない。無断欠勤が続いたか、女の子同士で派手なけんかをしたか、もしくはママとのけんかだったか、不景気で売り上げが落ちたためにリストラされたのだったかもしれない。無断欠勤も、けんかも、不景気も、当時はそれが当たり前だった。
 順番でいくと、三人のなかではアリサが最初にクビになっている。次がカズエで、最後がわたしだ。アリサとカズエのあいだにも、カズエとわたしのあいだにも、そしてわたしのあとにも、数多くの女の子たちがクビになった。みんないなくなったあとは、ママひとりで店を切り盛りしていたらしいのだが、何年か前にメグミという名前の女の子が入店したと風のうわさできいた。そのメグミもクビになり、ママはまたひとりになった。
 クビになったことは恨んでいない。一時でも雇い入れてくれたママには感謝している。わたしだけじゃなく、アリサもカズエも同じ気持ちだ。だから集まったのだ。ママの誕生日を祝うために。
 一月十日、午後八時、赤いバラの花束とケーキを持って久しぶりに訪れたスナックせとは、ねずみの巣と化していた。店の扉は鍵が壊れてドアの取っ手が半分はずれてぶらさがっていた。店内は真っ暗闇で、割れた窓ガラスのすきまから冷たい風が吹きつけていた。
 カズエの持参してきた懐中電灯の明かりを頼りに、わたしたちは店の奥まで進んでいった。途中、クモの巣が顔にからまったカズエが素っ頓狂な声をあげたかと思うと、後ろではアリサが足下を横切るねずみに驚いて悲鳴をあげた。わたしたちは押し合いへし合いしながら、なんとか店の奥のこたつの部屋までたどり着いた。こたつの部屋は、わたしたちの更衣室であり、ママの住居でもある。ママは毎日ここで寝起きしていた。 
 紗の入ったガラス戸をそっと開けて、すきまからなかをのぞいた。ママは眠っていた。仰向けで、こたつに足を突っこんで、ばかみたいに口をぽかんと開けている。懐中電灯でママの顔を照らしたカズエがごくりと唾を飲みこみ、ひと言「……死んでる」といった。
 わたしはカズエの手から懐中電灯を奪い取り、ママの閉じられたまぶたをこじ開けた。瞬間、瞳孔がシュッとちぢんだ。
 「まだ生きてる」とわたしはいった。
 顔の上にティッシュを一枚のせると、わずかに持ち上がった。どうやら息もしているようだ。
 「生きてるの?」
 「生きてる」
 「よかった」
 ママは眠っているだけだった。
 わたしたちはママが起きるのを待つことにした。ママが目を覚ますのと同時に、わたしがクラッカーを鳴らして、カズエが音楽をかけて、アリサがシャンパンの栓を抜くという段取りでいく。
 わたしたち三人は靴を脱いで冷えたこたつのなかに両足を突っこんだ。各自背負ってきたリュックのなかからお菓子やお酒やパーティーグッズを取りだして、こたつの上に並べた。アリサが店のグラスを取って戻ってくるあいだに、カズエは持参してきたカセットデッキにテープをセットした。再生のボタンが押され、デッキからピアノの音が流れてきた。ものがなしげな旋律に低音の歌声が合わさったタイミングで、わたしたちは静かに乾杯をした。
 

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