ちくま学芸文庫

『社会分業論』文庫版解説

11月刊行のちくま学芸文庫『社会分業論』(エミール・デュルケーム著、田原音和訳)より、文庫版解説を公開します。今年、没後100年を迎えたエミール・デュルケーム。ヴェーバーとならび近代社会学の祖と称される彼の理論的主著『社会分業論』を、いまどのように読むことができるのか。菊谷和宏氏が、その魅力と今日的意義を明らかにします。

2 集合意識の推移と現代社会

 本書を読了した読者の中にはまた、集合意識の歴史的推移について戸惑う向きもあろう。すなわち、機械的連帯から有機的連帯への移行とともに、集合意識は次第に不確定となり退行して消失するのか、それとも歴史を貫通して残存するのか、どちらとも読みうるように感じるだろう。
 この点について、本書における集合意識概念は、まるで二種類のものがそれと明示されぬまま混在しており、矛盾と捉えることさえ可能な、不明瞭で不完全な二重構造を描いていることは否めない。つまり、当初集合意識は機械的連帯と密接に結び付けられ、その衰退にともなって弱体化するように描かれているものの、記述が進むにつれて次第に、有機的連帯による社会においても集合意識は衰退せず、それどころかその必然的な基盤として興隆するように描かれている。果たして集合意識は古い社会の原理であり残滓なのか、それとも現代社会にも通ずる社会そのものの根底なのか。そもそも両者は同じ一つの集合意識なのか、あるいは二種類またはそれ以上の集合意識が存在するのか……。この問題は、デュルケーム研究の中でも長く議論され続けているものである。
 その錯綜した大量の議論を整理するのは、学術論文ならぬ解説文の役割ではなかろう。ただ、それでもなお示しておきたいのは、有機的連帯に基づく近代社会で興隆する集合意識の内実こそは、個人的人格の尊厳に対する畏敬であり、個人の自由の尊重であり、道徳的個人主義、現代の言葉で換言すれば普遍的人間性と人権の尊重であるということだ。つまり、こうしたいわゆる近代的諸価値を社会学的に基礎付けようとした書物として今日我々は本書を読み解くことができるのだ。そしてその時、集合意識論の不完全さは、むしろ豊穣なものとなる。すなわち、アソシアシオン論としての同業組合論がそうであったように、近代以前の斉一的な統合の崩壊後、そのような抑圧的なものではない、がしかし人が個々ばらばらの砂粒のような群れになるのでもない、「個人の自由であるところの社会統合」という、なんとも矛盾を孕んだダイナミックな概念が、近代社会の形成そのものとしてここに示されているのだ。
 言い換えれば、集合意識概念の両義性は、デュルケームの議論の難点というよりも、近代社会そのものが孕む原理的な、そして我々自身がいまだその中を生きている構造的な矛盾の反映なのだ。したがってこの両義性は、むしろ本書の意義を深める「積極的矛盾」であり、現代の読者が読み解きそこに解を見出すことで読者自身の社会的生を理解し構築しうる「開かれた矛盾」なのである。

3 最新の展開――社会学外からのアプローチ

 近代社会学の創始者としてデュルケームを捉え、その創造の秘密を曝こうとした初期のデュルケーム研究は、本書をはじめとする早い時期、いわばデュルケーム社会学誕生期の著作を対象とすることが多かった。その後次第に、社会そのものの創造の秘密を探るため、例えば集合的沸騰論がそうであるように、『宗教生活の基本形態』を中心とする後期の著作を主たる研究対象とした結果、初期の著作はやや後景に退いていた感がある。ただいずれにせよその研究者はおしなべて社会学者であることに変わりはなかった。
 ところが、いま再び本書に注目が集まりつつある。ただし、かつてとは異なり社会学外の、隣接諸領域の研究者から。
 そのような本書の新たな可能性を示す最新の研究の例として、『蘇る『社会分業論』――デュルケームの「経済学」』(吉本惣一、創風社、2016)を挙げておこう。この研究書は、これまでにない、経済学者による経済学的視点からの本書の分析である。このようなさまざまな学問領域からの本格的なアプローチはいまだはじまったばかりではあるが、例えばこの書を嚆矢として今後さらなる広がりを見せるであろう。
 そこで、本書をひもとかれた経済学や法学など隣接諸分野の研究者の方々にはぜひ、各々の専門分野の観点から本書に挑んでほしい。近代社会学の揺籃期に、学の確立を目指して執筆された本書には、今日の専門化された社会学の枠に収まりきらない、多様な論点と可能性がたっぷりと含まれているのだから。
 さて、本書を堪能した読者には、デュルケームの他の著作、とりわけ本書に直続する著作『社会学的方法の規準』(1895)、そしてさらに続く『自殺論』(1897)へと読み進むことをお勧めしたい。そうすれば、本書ではいまだ抽象的で曖昧な議論に留まっていたいくつもの論点が、次第に明確化され、さらに実証研究へと展開していくさまが見られるだろう。そしてそこから、この小論でわずかに挙げえた諸点にとどまらぬ、現代社会を的確に照射しわれわれ各人の現代社会における生を理解させ将来の社会を構想させうるような、古典的にして今日的な分析視点をいくつも得ることができるであろう。お試しあれ。


 

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