僕はこんな音楽を聴いて育った

ぼくらにはこんな友達がいた、あんなことがあった 
『ぼくはこんな音楽を聴いて育った』(大友良英著 刊行記念対談)

大友良英著『ぼくはこんな音楽を聴いて育った』刊行を記念して、大友さんと作家・高橋源一郎さんに、この本の魅力、ここから思い出すことなどを語り合っていただきました。 前編は、友達との交流の中で、いかに学んできたかという話、後編は今までめったに語られてこなかった大友さんの弟子時代の話です。2017年10月20日、青山ブックセンターにて。

■友達が音楽や本の先生だった

高橋 それで、きょうは言いたいことがいくつかあって、この本に書かれているのは、子供時代から、だいたい大学に入るぐらいまでですよね。

大友 大学に入る直前です。

高橋 直前で終わっているので、何に一番感心したかわかります? 「僕と同じだ」思ったところ。

大友 音楽のところだったら普通過ぎちゃうから、何か違うところですよね。

高橋 すごく深い感銘を受けたんです。何だと思う?

大友 女の子に貸してもらったレコードが、全然いいと思わないのに「よくない」と言えなかった。

高橋 そんなことじゃないって!(笑)。この本の中に、小学校時代からの友達が何人も出てくるでしょう。

大友 出てきますよね。名前を変えた人もいるけど、基本的には勝手に出しちゃっていますね。

高橋 小学校のとき、中学校のとき、大友さんがこうして音楽家になっていくのに、彼らは必要欠くべからざる存在ですよね。大友さんよりギターが上手いヤツ。大友さんより何かができるヤツ。そんな連中が次々と目の前に現れて、大友さんを挫折させていく(笑)。

大友 ハハハハ。まあ、言われてみればそういう話ですね。狙ったわけじゃないけど。

高橋 僕は一つ、自分の中で大きいテーマがあって、それは「先生って何だろう」ということです。つまり、僕たちに教えてくれる先生って、最初は友達なんじゃないかと思うんですよ。たとえばギターの先生が「こうやって弾きなさい」と教えるんじゃなくて、先にギターを始めた上手いヤツがいて、「いいな~。あんなふうに弾きたい」と思って弾き始めるんだよね。

大友 ほんと、そのとおりですね。

高橋 僕もいろいろな本を読んだり、映画を観たりしたけれど、全部、僕の先生、メンターは友達なんです。

大友 例えば、小説とかも?

高橋 もちろんそうです。僕がジャズを好きになったのは、石野君なんですよ。同級生。僕は受験校にいたので、ブルジョアの友達が多い。うちはプロレタリアートだったけど(笑)。特に石野君は超ブルジョアなんですよ。お父さんが某証券会社の会長で。僕は中学に入ったのが1963年ぐらいで、そのときに石野君と会った。一番ビックリしたのは、石野君はいつも財布に万札を入れてるわけ(笑)。しかも、厚いの。ふざけてるでしょう? それで、石野君は趣味がジャズだったのね。石野君の部屋に行ったら、壁一面全部輸入盤のジャズレコード。

大友 当時、輸入盤は高いんですよね。いまとは違って。

高橋 神戸のジャズ喫茶より石野君ちのレコードのほうが多かった。それで、中3のときに京都であったブラインドテストで優勝してるんだよ(笑)。その石野君から借りたのが、アルバート・アイラーの『ベルズ』(スニッピン・アット・ベルズ)。

大友 片面しかないやつ。

高橋 そうそう。それで、「ジャズは聴く?」「あんまり聴かないんだけど」「これなんか面白いから」と言って、うちのボロいターンテープルに載せたんだ。最初かけた瞬間、回転数を間違えたかと思ったけど、ちゃんとした曲だった(笑)。ミンガスもコルトレーンも、アイラーもドルフィも全部、石野君ちのライブラリーから借りた。高1のときに、何か用事があって彼のところに泊まらなきゃいけなくなって、「ちょっと泊めて」「いいよ」と言うけど、「彼女がいるけど、いい?」とか言って。

大友 彼女が家に泊まっているの? くそませたガキだな(笑)。

高橋 朝食をばあやが運んでくるんだよ、二人分(笑)。僕は、「ジャズって、こういう人のためにあるんだな」と誤解したけど(笑)。結局、彼は、御巣鷹山に墜落したボーイングに乗っていて死んじゃったんですね。坂本九と一緒に。すごい天才でした。それで、彼はジャズがめちゃくちゃ好きだから文科系かと思いきや、大学は数学科に入った。ああいう人たちがいるから、僕は絶対あの世界へは行けないというのは、例えば、石野君を見て学んだという感じですね。だから、レコードとかもみんな友達の顔が浮かぶよね。

大友 浮かびます、浮かびます。僕は最初、編集者と音楽紹介本を書くという話をしていたんですよ。自分が聴いてきた、いろいろな面白い過去の音楽を、ジャンルに関係なく紹介しようと思ったの。書いているうちに結局、自叙伝みたいになっちゃった。

高橋 そう、結局、大友さんは基本的に、音楽と漫画とテレビだけど、それを誰と見たとか、誰の紹介だとかになるでしょう。そのうち、自分で探すようになる。

大友 最近だと、「誰々が教えてくれた、この音楽」という聴き方は、もうさすがにね……。

高橋 あまりないよね。当時はほとんど全部そうだった。そういう意味では、植草甚一は偉い人だけど、友達のオジサンみたいな感じだよね。

■音楽と記憶はセット

大友 そうそう。音楽を聴くと、そのときそれを紹介してくれた人とか、そのとき自分がいた世界が全部見えてくる。

高橋 「あそこで聴いた」とかね。『ベルズ』なんて、豊中のおばあちゃんちで聴いたんですよ。

大友 ちゃんと、それと記憶がセットなんですね。

高橋 大晦日は豊中のおばあちゃんちに行ったから、紅白歌合戦見ている横の部屋で『ベルズ』を聴いている。そういう状況と切り離して聴いていないよね。

大友 そうなんです。大部分の音楽紹介書って、要は、この音楽が何であるかということをだいたい語っていて、もちろんそれも重要ですが、たぶん、それだと何かがすごい抜け落ちちゃう。とはいえ、自分の経験は、べつにみんなと一緒じゃないし、普遍的でもないから、どうしたらいいのかなと思ったけれども、もういいやと。徹底的に個人的な記憶で音楽を紹介していこうと思ったのがきっかけでした。

高橋 だから逆に、この本を読むと自分の体験が蘇ってくる。「ああ、石野君がいたな」とか、クラシックだと山田君とか、杉谷君とか。みんな固有名詞と一緒になっちゃう。

大友 わかります。このレコードは大森君のですから。実際に高校のとき、大森君の部屋から借りたまま、いまもある(笑)。これは『エリック・ドルフィー・メモリアルアルバム』です。当時、大森君はチャーリー・パーカーが大好きで、フリージャズはあまり好きじゃない。だから、たぶん「返せ」とあまり言わなかった。僕は当時、チャーリー・パーカーを聴くと「古くさいな」と思っていたけれども、エリック・ドルフィーはいいなと思って、これが特に好きだったけれども、ドルフィーの中でもちょっとこれは変わっているんですよね。ちょっとラテンみたいなのをがんばってやってみて、あまりうまくいっていないラテンみたいになっているんですけど、ちょっと聴きますか……。

(音楽)

 ドルフィーって結構、ラテンを試しているんですよ。その中でもこれは結構良くて、もうじき出てくるアドリブも素っ頓狂で面白い。いわゆる当時のフリージャズともジャズとも違う感じなんですよね。

 

高橋 大友さんはこういうの好きそうだね。なんか、ノンシャランとしてる?

大友 うまくいっているのか、いっていないのか、よくわからない感じも好きですけど、当時からこういう謎な音楽が好きでしたね。これを見るといつも、「大森君に返さなきゃ」って、40年ぐらい思い続けて(笑)。

高橋 連絡はしてるの?

大友 いや、それが、東日本大震災後に結構会っていますけど、会って本人を見ると、べつに返す気にならない(笑)。向こうも覚えているのかな? これは結構タバコ焼けしているように見えますが、うちでこんなに焼けたんじゃなくて、当時、大森君は高校生ですけどヘビースモーカーで、缶ピースを学校に持ってきて吸っているんですよ。いまじゃ考えられないですけど。だから、最初からタバコ焼けしているレコードですね。

高橋 素晴らしい高校生ですね(笑)。

大友 この話は、ここには書いていません。大森君は後に、テレビユー福島のディレクターになって、震災後、テレビ局を辞めて、飯館村の職員になったんですよ。いろいろ思うところがあったんでしょうね。

高橋 なのに、高校ではエリック・ドルフィーを聴いて缶ピースを吸っていたと(笑)。

大友 そうそう。しかも、制服は学生服ですが、大森君は学生服を着ていなくて、上下白のジーンズで、髭を生やして、いつも缶ピースをくわえて学校にいるんですよ。

関連書籍

良英, 大友

ぼくはこんな音楽を聴いて育った (単行本)

筑摩書房

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