僕はこんな音楽を聴いて育った

ぼくらにはこんな友達がいた、あんなことがあった 
『ぼくはこんな音楽を聴いて育った』(大友良英著 刊行記念対談)

大友良英著『ぼくはこんな音楽を聴いて育った』刊行を記念して、大友さんと作家・高橋源一郎さんに、この本の魅力、ここから思い出すことなどを語り合っていただきました。 前編は、友達との交流の中で、いかに学んできたかという話、後編は今までめったに語られてこなかった大友さんの弟子時代の話です。2017年10月20日、青山ブックセンターにて。

■8歳違いの原体験

高橋 大友さんとは、僕がNHKラジオで「すっぴん!」という番組をやっていまして、このまえもその番組にゲスト出ていただいたばかりです。そのときは、何の話をしたんだっけ?

大友 好き勝手にレコードかけて、何か楽しい話をしたような気がします。

高橋 ああ、そうだ。だから、あまり個々の詳しい話はできなかったんですけどね。ですから、きょうは、『ぼくはこんな音楽を聴いて育った』が中心になりますが、ほかの話もできたらいいなと思っています。 

  これは、大友さんの自伝ですよね。ただ、普通の自伝と違うのは、そのときに聴いた音楽が一緒に載っているんです。それで、僕は1951年生まれなんです。

大友 僕の八つお兄さんですね。

高橋 大友さんは1959年生まれなので、8歳違うんですけど、聴いている曲が結構ダブッているのが衝撃です(笑)。その頃の年齢の8歳って、結構違いがありますよね。二つか三つ違いで全然違ったりするので、そこがちょっとビックリしたというのが一つ。あと、これは一応、僕の書き込みが……。

大友 すごい書き込んでくれてる!

高橋 このまえ、大友さんと話をして何か気になったんですよ。それで、そのあと、大友さんと僕の違いは何だろうって考えたんです。歳は八つ違うんですね。それで、この本は大友さんの生まれたときから聴いてきた音楽の歴史で、初期の坂本九とか、植木等とか、「シャボン玉ホリデー」とかそういうものから、ロック、ジャズ、ノイズになって現在に至るというのが、結構駆け足で書いてあります。

 それで、一つすごく似ているところがある。大友さんが聴いていたジャズは、僕は全部聴いていました。しかも、大友さんの6、7年前に(笑)。

大友 そうですよね、僕はちょっと遅れているんですよね。

高橋 僕は1951年生まれなので、1963年が12歳で中学。大友さんが挙げているジョン・コルトレーンは、新譜が出ると聴いていましたね。

大友 源一郎さんはコルトレーンとかリアルタイムですよね。

高橋 そうそう。だから、そういうところが違うなというのが一つと、あとは、ジャズもロックもあるのに、どこが違うんだろうと逆に思ったんですね。気がついたのは、大友さん、本を読んでいないなと(笑)。

大友 ハハハハ、ほんとにおっしゃるとおり。「本」と呼ばれるものは漫画しか読んでいなかった。

高橋 それに気がついて、僕がこういう本を作ったら、『ぼくはこんな音楽を聴いて、こんな本を読んで育った』になる、そこが違うんだなと思いました。

大友 圧倒的に違うと思います。源一郎さんは、やっぱり本が好きだったんでしょう。

高橋 というかね、ジャズもロックもクラシックも、映画も本も、だから、カルチャーと言われるものはほぼすべて興味を持っていて、そういうのが普通だと思っていたので、これを読んで音楽に特化した人たちだと思った(笑)。

大友 ハハハハハ。あの、ちなみに僕は、音楽と電機だと思うんですよ。

高橋 ああ、電機ですよね。工学少年だから。

大友 そうです。だから、いま考えると、家には本が全くなかったです。電機の技術書と、おふくろの持っている洋裁と料理の本しかない家。親も本を全く読まないんですよね。だから、半田ごては物心ついた頃からできましたけど、本を読むという習慣は、貸本屋さんで漫画を借りたのが最初で、高校までずっと漫画でした。

 

■元祖テレビっ子

高橋 ある意味、純粋培養ですね(笑)。

大友 だから、アホですよ。音楽と漫画とテレビ。もちろん映画も行ったけど、テレビ。 いや、映画はあまり行っていないですね。リアルタイムテレビっ子。テレビネイティブの第一世代だと思います。

高橋 いやいや、そんなこと言って。僕をどんなに年上だと思っているの? テレビネイティブは僕ですよ。

大友 ちっちゃい頃からあった?

高橋 ありましたよ。だって、八つ違いなので、僕は街頭テレビを見た世代(笑)。

大友 ああ、そっちだ(笑)。

高橋 それで、大友さんも書いていますが、家にテレビが来て、近所の人たちが見に来る、というのは同じ。最初に「シャボン玉ホリデー」と書いてあるでしょう。僕の記憶にあるのは、モノクロの巨人戦、野球。ウォーリー与那嶺とか。

大友 ……知らない。

高橋 王、長嶋の前。川上ぐらいの頃ですね。

大友 俺の頃は、川上さんは監督でしたね。

高橋 でしょう。僕らの頃も、もちろん選手じゃなかったけれども。長嶋と王が出てきたのが昭和33年ぐらいだから。

大友 俺が生まれた頃です、まさに。

高橋 あの頃の天覧試合とか……。1960年ぐらいにはテレビを見ていた。なので、「テレビネイティブ」と言ってほしくない(笑)。

大友 すみません(笑)。

高橋 それと、僕は漫画ネイティブでもあるんですね。

大友 そうか。僕は、映画も、夏休みにゴジラとかクレイジー・キャッツとかを観に行くという感じなので、そんなにいっぱいは観ていないですね。

高橋 学校でも映画をやっていたでしょう。上映会みたいなので。やらなかった?

大友 えっ、記憶にない。

高橋 外でやる映画会みたいなやつ。

大友 やっぱり、すごく世代が違う感じがしてきた(笑)。

高橋 戦中じゃないよ(笑)。

大友 いや、外でやる映画会は知らないですね。

高橋 だから、やっぱりちょっと、何というか、文明開化後だな、これは(笑)。

大友 そうですね(笑)。僕の場合は物心ついた頃は、高度成長期は始まっているんですよね。

高橋 さっき大友さんも言ったけれど、工学やってる人は周りではすごく珍しくて、僕の知っている限り、音楽とラジオ技術といえば、谷川俊太郎さんぐらいです。あの人はラジオを作るのが得意だった。谷川さんは普通の文学青年じゃなくて、自作ラジオが好きだったんです。

大友 そこだけ、ちょっと似ているな。

高橋 たぶん、話が合うと思う。そういうのって珍しいよね。

大友 クラスにそういう人はそんなにいなかったですね。

高橋 というのは、僕と8歳違うというのと、いま言ったように、大友さんの本の中には「本」が出てこないこと。

大友 ほんと、高校生ぐらいになってやっとちょっと読みだしたという程度ですね。

2017年12月18日更新

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大友 良英(おおとも よしひで)

大友 良英

1959年横浜生まれ。実験的な音楽からジャズやポップスの領域までその作風は多種多様、その活動は海外でも大きな注目を集める。また映画やテレビの劇伴作家としても数多くのキャリアを有する。
近年は「アンサンブルズ」の名のもと様々な人たちとのコラボレーションを軸に展示作品や特殊形態のコンサートを手がけると同時に、一般参加型のプロジェクトにも力をいれている。
震災後は十代を過ごした福島でプロジェクトを立ち上げ、2012年プロジェクトFUKUSHIMA ! の活動で芸術選奨文部科学大臣賞芸術振興部門を受賞。2013年には「あまちゃん」の音楽でレコード大賞作曲賞他数多くの賞を受賞している。2014年国際交流基金とともにアンサンブルズ・アジアを立ち上げ音楽を通じたアジアのネットワーク作りにも奔走している。
オフィシャルブログ
http://otomoyoshihide.com

高橋 源一郎(たかはし げんいちろう)

高橋 源一郎

1951年1月1日広島県生まれ。小説家。81年『さようなら、ギャングたち』(現在、講談社文芸文庫)で第4回群像新人長篇(★正字です)小説賞受賞。88年『優雅で感傷的な日本野球』(現在、河出文庫)で第1回三島由紀夫賞、2002年『日本文学盛衰史』で第13回伊藤整文学賞を受賞。著書に、『ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ』(第16回宮沢賢治賞受賞、集英社文庫)、『恋する原発』(講談社)、『「あの日」からぼくが考えている「正しさ」について』(河出書房新社)、『だいたい夫が先に死ぬ これも、アレだな』(毎日新聞出版)など多数。

関連書籍

良英, 大友

ぼくはこんな音楽を聴いて育った (単行本)

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