いよいよ高柳さんが出てきました。正直、そのことをどう書いていいのか、今でも迷いまくっていますが、でも、高柳さんが出てきても、わたしがしょうもないのは相変わらずで……。
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ということで前回のつづき、1980年の代々木ミューズ音楽院。高柳昌行の特別教室の説明会に集まってきたミュージシャン志望の若者たちは、高柳さんのどんな話を聞いて、這々(ほうほう)の体(てい)で逃げて行ったのか。
1) 人生をかけてプロの音楽家になる気のある者のみに教える。
2) 音楽の研鑽を全てに優先すること。そのためには普通の人生は諦めること。
したがって、結婚も子どもを持つことも望まないこと。
3) コマーシャルな意味でのプロを目指すのであればここでなく他にいきなさい。
4) 女性に教えることはできないから、女性は他に行きなさい。
5) まったくお金にはならない世界であるから、生活の糧は音楽とは別に自分で考えなさい。
6) 最低でも教本の2巻を終えるまではライブや人前での演奏は一切禁止。
心構えを箇条書きにするとこんな感じだった。その上で教室でやる内容はというと、
1) クラシックの教則本を使い、ガットギターをピックで弾くことを基本とする。これまで、どんな音楽的なキャリアがあるかとか何をやってきたかは、一切関係ない。全員一から、基本中の基本からやる。
2) 教室は自宅での研鑽を確認し次の課題を出す場であるから、かならず毎回の課題を仕上げてくること。
3) ここはピックで弾くギターの基礎技術を教える場であり、ジャズや即興演奏は教えられるものではないから、自分でやること。和声についてもここではやらないから、必要を感じたら自分で先生を探すか、独学でやりなさい。
4) 教えた内容は必ずノートにとって整理すること。
5) 月末は実技ではなくジャズの歴史の授業。ヨアヒム・ベーレントの本『ジャズ』をつかって話していくので、実際にそれがどんな音楽であるのかは自分で音源を探して自分なりにつかんでいくこと。その際に宿題として毎月作文を書いてきてもらう。テーマは自由。
「今から30分、みなに考える時間を与えるから、本当にやる覚悟のあるやつは教室に残りりなさい。そうじゃないやつは、悪い事いわないから、他の教室に行きなさい」
「残った人は、募集要項をここに置いておくから、書き込んでおくように」
こんな内容を、坊主頭でサングラスの威圧感バリバリの中年男性が、笑顔を一切見せずに淡々と静かに話すんだから、高柳さんの弟子になりたいと思っていたオレだって、一瞬逃げ出したいって思うくらい怖かった。それに、即興演奏やジャズを教えてくれるのではない……というのも、引っかかった。要は実用的なことではなくギターの技術の基礎しか教えないということだ。あっという間にほとんどの人が去っていったのもよく分かる。オレだって、内心はすぐにでも現場で演奏できるようなことを教えてもらいたいと思ったもん。でも現場でいつもうまく行かなかったオレは、この教室にすがらなければ後がないと思っていたから必死だった。というか、チャラチャラしたやつはどんどんいなくなれとも思っていた。ここまで読んでくれたみなさんは充分わかっていると思うけど、オレだってかなりチャラチャラしていたくせにだ。
実はこれを書いていて、あのとき説明会が始まる前に一人だけ女性がいたことを突然思い出してしまった。記憶に間違いなければ、高柳さんは事前に彼女を呼び出していたと思う。もしかしたら高柳さんなりに一人だけいる女性に気を使ったのかもしれない。だから最初の段階で、彼女の姿だけは、教室から消えていた。いろんな条件を出された上で諦めるならともかく、ただ女性って属性だけでそこに参加させてもらえなかったのだとしたら……ふとそう思ってしまったのだけど、今となっては、あれがなんだったのか真相はわからない。ものすごく真面目そうな女の子に見えたけど、今はどうしているだろうか。あのときどんな思いで教室を後にしたのだろうか。もし高柳さんが今も生きていたら男女関係なく教えていただろうか。
教室には7人のぱっとしない青年たちが残った。それまでカラフルだった教室は急に色を失ったようだった。みんな無言だ。きっかり30分後、高柳さんがもどってきた。教室を見渡して、はにかみながら、
「脅かしすぎたかな」
このとき高柳さんは初めて僕らに笑顔を見せてくれた。この笑顔にやられるんだよなあ。
「ガットギターとメトロノーム、それからクラシックのギタリストが使う足台を使うから、持ってない人は手に入れておくように」
どれも持ってなかったオレは、その日のうちに近くの質屋の店頭に飾ってあった、安物だけどそこそこ悪くなさそうなガットギターとメトロノーム、足台を早々入手した。当時、質屋にはクラシックギター関係のものはだいたいそろっていたのだ。
翌週から早速授業が始まった。オレはいきなりど頭の教本に入る前、音を出す前のフォームでつまずいた。ギターをちゃんと持つことがそもそもできないのだ。まさか、こんな簡単なところでつまずくとは思ってもいなかった。まずはギターの構え方が出来ない。クラシックギタリストとは逆の右足を足台に乗せて、その上にギターを構えるだけなのにオレがやると不格好なのだ。左肩が下がりすぎだし、背筋も曲がってるし、余計な力が入ってしまう。全身ガチガチだ。なんとか構えることが出来ても、次はピックの持ち方も、弦の押さえ方も全然ダメで、徹底的に矯正された。これまで自己流でやっていた方法は全く通用しなかったのだ。もともと運動神経が悪いうえに不器用なオレは、いわれたことがことごとくできなかったのだ。
「左指はもっと立てて、全部の指が等間隔に開いてしっかり指の腹で弦を押さえる。親指はしっかり後ろでネックをささえる! 背筋はまっすぐ。ピックの持ち方は……」
そんなこと同時に言われても、すぐに出来るわけないがな、と思ったけど、でも、そんなことはとても口に出せなかった。なにしろ他の6人は皆すんなり出来ている。俺だけが圧倒的に不器用なのだ。たかだかギターを持つだけなのになんでこんなに出来ないんだろう。
「大友って言ったっけ。鏡もってるか?」
「いえ、持ってないです」
「なんでもいいから大きめの鏡を手に入れて全身を映しながら来週までにフォームをつくっておきなさい。今日はお前にだけかまってられないから、先にいくからな」
もうオレのことはかまわずにみなは先をやって~。祈るような気持ちだった。
次は半音階の練習。ここで初めて音を出すことになる。弦の1フレットから順番に1,2,3,4フレットと降りて行って12フレットまでいったら今度は1フレットまでもどるって半音階をそれぞれ6つの弦全てでやる練習。これもフォーム作りの一環で正しいフォームで正確にメトロノームにあわせて均一にピックを上下して音を出していかなくてはならない。クラシックギターの基礎中の基礎だ。メトロノームのカチカチいう音に合わせて全員で同時に弾く。
ダン、ダン、ダン、ダン~~~~~
教室にゆっくりと7人の奏でる半音階が響き渡る……と書きたいところだけど、正確には6人が弾く端正な半音階と、それとは少しだけずれてどでかい音の不器用きわまりない半音階が同時に響きわたっている。
「大友、メトロノームのテンポにあわせろ」
頑張ってあわせようとすると肩がさがって、また指がおかしくなる。
「フォームがくずれてるぞ」
直そうとすると今度は弦がビビる。左手でちゃんと押さえていない上に力が入りすぎている証拠だ。なんとかしなくちゃって思うと、ますます力が入って、今度はやたら音がでかくなる。12フレットを往復するだけでヘトヘトだ。
「親の仇じゃないんだから、強く弾けばいいってもんじゃねえぞ!」
たった一音すらまともに弾くことが出来ない。みんなはどんどん進んでいるのに。あたりまえのようにすらすら弾いているのに。授業が終わった後、オレだけ呼び出された。
「大友、お前、やっていけるかなあ。相当努力しないと厳しいぞ。不器用なのはまあ練習で解決するとして、リズムはどうにかしたほうがいい。今のままじゃとても無理だ。そもそもリズムってなんだと思う」
「あ、え~と、あの規則的に音をだすというか、あ、生活のリズムとかって言うってことは、音に限らず、なにかを規則的にやってることを脳が認識してですね、それを体が……」
高柳さんは呆れ顔というか、苦笑というか、黙ってオレの屁理屈をひととおり聞いたあとに一言。
「お前歩けるだろ」
「はい」
「歩く時にテンポがずれるか?」
「たぶん、ずれてません」
「ってことは体ん中にリズムがあるってことだ。いいか、そのことをとことん考えてみろ。頭じゃなくて体でな。試しに歩くテンポの音楽に合わせて両手振って毎日行進してみろ。簡単な行進曲がいい。少しはリズムがよくなるはずだから。それでしばらくやっても無理なら見込みはないと思いなさい」
オレはノートにでっかく
「来週までの宿題。フォーム、リズムをなんとかしろ! 毎日行進! 大きな鏡入手!」
と書き込んだ。
さ~~~て、どうする? 鏡は3軒となりのお風呂屋さんの外にずっと置きっぱなしになっていたひびの入った鏡をもらってきた。これなら上半身がしっかり映る。問題は行進のほうだ。そもそも行進曲って学校とかスポーツとかを思い出して嫌いだし、いったいどこでそんなことが出来るんだと、あれこれ考えた挙句、中古レコード屋の100円ボックスのなかにあった『世界のマーチ』というレコードを買ってきて、四畳半一軒家の我が家で行進をしてみることにした。行進ってより足踏みだな。勢いよく行進するとレコードが針飛びするんでカセットテープにダビング。しかもマーチを毎日聴いてるなんてまわりに知られたくないからヘッドフォンでかけながら部屋で足踏みするわけだけど、う~~~ん、ものすごくつまらないしすぐに飽きる。あまりにも飽きるから飛んだり跳ねたりブルース・リー的な声を入れながら、というかカンフーポーズも取り入れながらその場で足踏みしてみた。
「あちょ~、あちょ~、ワンツー、ワンツー、あちょ~~~~」
これなら、ちょっとは面白いや。そんなことを3日間くらいやったときだったかな。深夜の行進中にまたもや大家さんの影が見える。しかも手の影が小刻みに動いている。すわっ、やな予感。間違いない、窓を叩いている。慌ててヘッドフォンをはずして窓をあけると
「ドタドタ毎晩うるさい!」
またやってしまった。しゅ~~~ん。
とまあ頓珍漢な訓練を続けるもオレは全く上達しなかった。だいたいギターよりも行進ばっかやってたからギターが上達するわけないし、行進のほうもその甲斐なくさっぱりリズムが良くならない。フォームも相変わらず硬いまま。これじゃ教本の1ページ目がいつまでたっても終わらない。ってかオレのせいで、2週目も3週目も2ページ目に進めない。
「香津美は2カ月で教本2巻を終えてたぞ」
ギタリスト渡辺香津美さんのことだ。出来ないオレはともかく、オレのせいで先にすすめない他のみんなはイライラしているのではないだろうか。
「オレ、やっていけるのかな。無理なんじゃないかな」
ぐじぐじと本格的に悩みだした4週目はジャズの歴史の授業だった。この日は実技じゃないからギターを持って行かなくてよい。正直オレはホッとした。なにしろギターで怒られることもないし……なんて考えてしまう根性がね、もうなんというか、情けない。情けなさすぎる。
歴史の授業の中身はというと、ヨアヒム・ベーレントのジャズの歴史本を高柳さんが読みながら、出てくるミュージシャンや時代背景の解説をしてくれるもので、単に解説だけじゃなく、どんどん話が横道にそれていく。時代を順に追っていくからまずはジャズの創世記の話なんだけど、キング・オリバーやビッグ・スパイダーベックといった初期ジャズの話だけじゃなく、高柳さん自身がはじめてジャズを聴いた時の話やら、戦後まもなくのバンドマンの話まで、まるで落語家の講釈でも聴いているみたいに面白い。オレは夢中になってメモをとった。フリージャズやモダンジャズは結構聴いてきたけど、初期のジャズのことなんて考えたこともなかったし、そもそもなんでジャズが生まれて今の形にまでなったんだって考えるだけでも面白い。その上、本にでてくる情報を丁寧に拾いながらも、高柳さん特有の言い回しで、本の内容につっこみやdisりを入れるところがまた面白い。話は古いジャズだけでなく、時にフリージャズや現代音楽、ヨーロッパの即興にまで及ぶ。ハン・ベニンクのドラミングと初期のジャズのリズムの関連なんて話が出たら、もうたまらない。そんなときはオレも反応しまくった。
「あ、そのアルバム、大好きです。実はもう一枚同じ日の録音が出てて、これがもう……」
「お前、実技の時はしなびたたくわんみたいになってるくせに、今日はやたら元気だな」
その一言がもらえるだけで嬉しかった。ちっとも褒められてないのに。きっとオレ、この日だけは目をキラキラさせてたんだろうなあ。わかりやすいガキだ。
授業が終わると、早々ジャズ喫茶に行って、今まで聞いたことのない古いジャズのレコードをリクエストしては授業に出てきたミュージシャンをチェックしたりした。それまで興味を持つことのなかった最初期のジャズも、高柳さんの話を聴いた後だと、俄然面白く聴こえる。たった50年で、このリズムがフリージャズにまでなるのかと思うと、歴史の授業、月一じゃなくて毎週でもいいのにって思ったほどだ。
歴史の授業のあとは俄然やる気が出て、その日の夜は再び行進の練習を1時間みっしり。もちろん大家さんに怒られないようにこそこそ歩く。それが終わるとひびの入った鏡を前にギターの構え方と半音階の練習開始。そうそう、これも大家さんに怒られないように、夜中は弱音器ってやつを弦にくっつけて大きな音が出ないように練習した。
「よっしゃ、来週こそ次に行けるように頑張るぞ!」
そんなこんなで数カ月。ダメはダメなりに多少はレッスンについていけるようなり、これならなんとか続けられるかもと思えるようになった矢先のことだった。高柳さんの高弟の飯島さんから突然電話がかかってきたのは。高柳さんが倒れたのだ。食道静脈瘤破裂で緊急手術。生死も危ぶまれる状態だった。