ぼくはこんな音楽を聴いて育った・東京編

第12話 震災から10年の夏の日に「誇りをもつ」ということについて考えてみた
――大友良英 presents 武満徹の“うた”

2021年9月11日(土曜)15時からEテレで、「クラシック音楽館『大友良英 presents 武満徹の“うた”』」が再放送されます。その番組への思い、そして大友さんがこの10年考えてきたことが凝縮された回です。  

「誇りをもつ」ってどういうことなんだろう。10年前の震災の日からずっと考えてきたことだ。多分それ以前は「誇り」なんてことを考えたことはなかった。じゃ「誇り」なしでいいのかっていうと、そうでもなくて、考えたことがなかったってことは「誇り」に関わる危機感を経験してこなかった、あるいは、自覚しなかったってだけのような気がしている。

「誇り」ってなんだろう? 

 辞書を見たら「誇らしい気持ち」って書いてるけど、これ答えになってるか? と苦笑してしまった。英語だとプライドだけど、なんだかそんなもの前面に押し出すのは、自分の自慢をするヤツみたいで、どこかで下品だとオレは思っている節があって、そういうことを避けてきたようにも思う。でも、そう思えるのは、自分が恵まれた環境にいたからなのかもしれない。例えばだけど、国を追われ、自分と同じ言語を話す人たちが世界中に散り散りになってしまった場合、自分の出自に「誇り」を強く持たなければやっていけないよなとも思うのだ。そこまで極端じゃないとしても、生きる上で支えとなるようなものになんらかの危機を感じたり、あるいは自分の存在が疎かにされていると感じた時に、人は「誇り」という発想を発動するんじゃないだろうか。それこそ生きぬくために。

 30代になって欧米での仕事が中心になりだした頃、行く先々のインタビューで「禅の影響」とか「日本の古典音楽からの影響」なんて質問を頻繁に受けるようになり、そのことに自分はものすごくイライラしていた時期がある。たとえばイギリスやイタリア出身のアーティストにキリスト教の影響なんてことを普通聞くだろうか? 差別だと思ったけれど、当時はそういうのは差別だって言える感じは欧米でもまだなくて、オレはただ「また出た、そのステレオタイプの質問! 多くの日本人同様オレは禅なんかやったことねえし」なんて感じで乱暴に答えるだけだった。仮に日本の古典音楽の影響が多少はあったとしても、そんなことは答えたくなかった。こうやって少しずつプライド(誇り)が傷ついていったんだと思う。当時はそれが「誇り」ってこととは思ってなかったけど、でもオレは他の欧米の即興演奏家とは同じ土俵では扱われてないんだなって。エキゾチズムで評価されているんだろうなって。まあ、こういうのって「ひがみ」とも言うのかもだけど。

 話は飛ぶ。

 8月15日は太平洋戦争終戦の日であり、わたしにとっては10年前に震災直後の福島市でやった「フェスティバルFUKUSHIMA!」を開催した日だ。遠藤ミチロウさんはじめ本当にたくさんの人たちと大喧嘩しながらやっと開催にこぎつけたフェスからちょうど10年。この大切な日に「大友良英 presents 武満徹の“うた”」という番組がEテレで夜9時から放送される予定だった。終戦のこの日に放送されることの意味も嚙み締めつつ、10年前から始まる福島での活動に深く関わってくれた歌い手の方たちを中心に8月15日の夜にふさわしいものになればと思って進めた企画だったのだ。実は企画が始まった段階では「フェスティバルFUKUSHIMA!」10年を記念してこの日の昼間、今現在のプロジェクトFUKUSHIMA!のメンバーたちが福島市でなんらかのイベントをやるつもりでいて、わたしもそこに参加する予定だった。でもコロナの感染状況悪化に伴い諦めざるを得なかった。だから、せめてこのテレビ番組だけでもと思っていたのだ。ところが、西日本の豪雨の影響で甲子園の高校野球が大幅に延長になり、結果的には夜9時に放送予定だったこの番組は日をまたいで16日の深夜0時10分という、まず通常の生活をしている人は見ない時間に移動になってしまったのだ。どちらも自然災害の影響とはいえ、正直少しだけ悔しかった。

「フェスティバルFUKUSHIMA!」は「誇り」のことを考えて開いたフェスだった。人生で初めてそんな大げさなことを考えて開いたフェスだったのだ。今回はそのことを書こうと思う。

「未来はわたしたちの手で」

 英語だと「THE FUTURE IS IN OUR HANDS」

「フェスティバルFUKUSHIMA!」の企画を立ち上げる際に掲げたテーマだ。一体いつどんな経緯でこのことばを想起したのか気になったので、当時のメールを調べてみたら、は2011年5月27日の深夜3:35にプロジェクトFUKUSHIMA!のスタッフたちにこんなメールを出している。きっと例によって夜中にもんもんとしながら考えていたんだと思う。

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みなさま 山岸さま

プレスリリース原案

基本これでいいと思います!

素晴らしい!

これは次回にだすのがいいかもですが

8.15同時多発フェスのキャッチコピーとして

「自分たちの未来は自分たちの手で」

「未来は自分たちの手で」

といったような副題的なものがあればいいかなと思ってますが

いかがでしょうか。

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 この時点で最初に予定されていたキャッチコピーは「伝えたいことがある FUKUSHIMA! から世界へ」だった。それをなぜ変えたくなったのかといえば、やはり「誇り」のことを考えていたからなんだと思う。

 原発事故で福島に起こったことは、もちろん放射線による数多くの人たちの避難を含む膨大な実害であり、また様々な風評被害と呼ばれるものだったりしたわけだけれど、もう一方で当時オレが深刻だと思ったのは、自分たちの故郷に「誇り」が持てなくなることだったのだ。そのことを最初に感じたのは、3月にドイツで起こった反原発デモのプラカードに「NO MORE FUKUSHIMA」と書かれているのをニュースで見た時だった。正直ショックだった。もちろんオレは原発事故なんてノーモアだと強く思っている。あの時も今も。でも福島までノーモアって言われると、それは違うって言いたくなってしまったのだ。もちろんドイツのデモの人たちに福島の人を傷つける意図なんてなかったと思う。僕らだってそれまで普通に「ノーモア・ヒロシマ」って言っていたし、この言い方が福島の人たちに向かっていないのは十分わかっているつもりだ。それでもあの時に、そこまでナーバスではないつもりのオレでさえ傷ついたのだ。福島はノーモアじゃねえぞって普通に怒ってしまったのだ。なんで怒ったのかといえば、自分の中に福島というアイディンティティがあって、そのことを否定されたような気がしたからで、「誇りが傷つく」ってのはこういうことなんだって初めて自覚したのがこのときだった。

 同じ時期、福島から避難した人たちが避難先で差別されているというニュースを見たり、また実際にSNSで起こっている正義感をもっているように思える人々による福島への心無い言葉の数々に傷ついている人たちがいるのを見るにつけ、文化に関わる仕事を本業とする自分に出来ることがあるとすれば、この「誇り」に関わる部分しかないなと。「誇り」をズタズタにされた福島の人が「誇り」を取り戻すにはどうしたらいいかを考えて実行していくしかないなと。

「誇り」を取り戻す一番いい方法は、問題を自分たちの力で解決していくことだ。とはいえ、自分には原発事故を解決したり、除染したりするような技術はないし、そもそも専門家ですら簡単には解決できない事故だ。「誇り」を取り戻す道は程遠いように思えた。実は、当時もう一つ手っ取り早い、なんの努力もいらない「誇り」を取り戻す特効薬のような方法も思いついてしまった。それは誰かを差別することだ。差別することによって自分たちは素晴らしいと思う方法。もしかしたら、ヘイトスピーチのようなものはそうやって生まれるものなのかもしれないと。無論、そんな方法は絶対に取りたくなかった。でも、あのとき「誇り」を奪われたのは福島の人だけではなく、日本全体だとも感じていて、だとすると近いうちに偏狭な差別やヘイトのようなものが盛んになるんじゃないかと心配もしていた。だからそうではない方法をあみださなくては。あんなクソみたいなもんとは正反対の方法を見つけなくては。青臭いけどそんなことを考えていた。

 でもって、無い頭を振り絞って考えついたのは、自分たちで文化を生み出していくしかないってことだったのだ。どんなに大変でも、何十年かかってもいいから自分たちで文化を生み出していくこと。あの震災を乗り越えたからこそ、福島からこんな文化が生まれたんだって胸を張れるようなもんを作っていくこと。それは最高の米や果物でもいいし、最高の祭りでもいい。これまでにないポップスが福島から生まれるみたいな夢のような話でもいいと当時は思っていて、そのためには今の状況を誤魔化したり、イメージ戦略みたいなもんで「いいかんじ」を演出するんじゃなく、何年かかってもいいから、自分たちの手で一つ一つ問題を解決しながら文化のようなもんを生み出していくしかなくて、かつ、なるべく沢山の人が関わって作ったって実感の伴うものじゃなきゃダメだとも思ったのだ。そうやって自分たちの力で未来をつくることで傷ついた「誇り」を取り戻していくしかないと。そんなことを考えるなかで「未来はわたしたちの手で」という言葉にたどり着いたんだと思う。そう、自分たちで切り開かなくちゃ。ちなみに、この言葉の英訳「THE FUTURE IS IN OUR HANDS」をアドバイスしてくれたのは、当時こんなことをメールで相談していたジョン・ゾーンだった。

 

 2011年8月15日、様々な賛否がある中で、僕らは福島市の広大な公園の四季の里やその近くの県営あづま球場で大きなフェスをやることができた。参加してくれた音楽家も音響機材を提供してくれた人たちも、フェスの運営や会場を担当してくれたスタッフや、会場中に敷き詰めた大風呂敷を縫ってくれた人々も、そして会場の線量を細かく測ってくれた専門家や業者の人たちも、ほぼ全ての人がボランティアだった。参加したそれぞれの人たちが、皆自分たちのやり方で思い思いのことやったと思う。自分がやるべきは、参加したそれぞれの人たちが、自由にやれる環境を作ることだと思った。そして、オレも自由にやろうと思った。このときオレがやったのは、一般の人も音楽家も関係なく一緒にやれる即興のオーケストラ。二百数十人の人が参加してくれて、その中には小学生もいれば、近所のおじいちゃんやオレの同級生もいたし、日本中のいろんなところから集まってくれた人たちや、古い友人のドラマーの芳垣安洋や植村昌弘がいたり、坂本龍一さんや不破大輔がまざっていたり、神戸の音遊びの会のメンバーや広島から二階堂和美さんまで駆けつけてくれて、もちろんミチロウさんも参加してくれて、皆で大笑いしながらめちゃくちゃな演奏をさせてもらった。やっている最中は「誇り」のことなんて全く考えてなくて、ひたすら楽しく音をだしていただけだけどね。でも、これがその後の自分の活動の出発点になっているとも思っている。

  誰であれ楽器の上手い下手とか経験とか関係なくオープンに参加できる即興の巨大なアンサンブル。こんなものをやることで「誇り」を簡単に取り戻せるなんて思っていないけど、でも、最初の一歩にはなると思ったのだ。プロフェッショナルだけが音楽を作るのではなく、楽器なんてほとんどやったこともないような人も、腕っこきの専門家も同じ土俵に立ってつくるアンサンブル。あの日をきっかけに、そんなことを考えるようになっていった。正確には以前からそういうことを考えてはいたけれど、より強く志向するようになったんだと思う。

 再び武満さんの話に戻る。

 なんで大友が武満徹のことやるんだよ……って思う人もいるかもしれない。武満さんといえば日本を代表すると言っても過言ではない現代音楽の作曲家。一方のおいらはといえばですねえ、どっからどう見ても日本を代表してもいないし、現代音楽の作曲家でもない。あ、いや、もちろん現在進行形の音楽とかアバンギャルドな音楽を沢山作ってはいるし、そんな音楽を作っているって意味では現代の作曲家と言えなくはないけど、でも従来の西洋音楽的な意味での作曲家かって言われると、自分でもはっきり違うと思うもん。だから「なんで」って思う人がいるのはごもっとも、その通りだと思う。 

 ただ、ひとつだけ。武満さんの時代には確かに作曲家が先導して音楽の道を切り開いていたと思うけど、でも、21世紀の今現在、作曲という仕事は、沢山ある音楽の仕事の中の重要な1パートに過ぎないとオレは思っていて、そもそも作曲家一人が音楽を先導できるような立場にいる時代ではないとも思っている。様々な関係性の中でしか、面白い音楽はもはや生まれないのではないかと。だから武満さんのような仕事を今に置き換えた時、作曲家だけの話にすべきではないとも。担当ディレクターの福原さんから、武満さんのうたのリメイクの話が来た時に、わたしが真っ先に話した条件は、音楽の作り方のプロセスを丁寧に見せる番組にしてほしいということだった。一人の人間が主導して音楽をつくるだけではなく、様々な人との関わりの中で音楽が立ち上がってくるところを見てほしかったのだ。それなら、わたしが武満さんのことをやる意味があると。

 もし今作曲という仕事が意味を持つとしたら、それは単にメロディや和声やリズムを生み出すということではなく(そんなのは作曲家だけが独占的につくるもんではなく演奏者たちとみなでつくればいい)、様々なバックグラウンドを持つ演奏家、時には専門家と非専門家を、どうやって同じ土俵にあげてフェアに音楽を作っていくのかという方法なりシステムを丁寧に作ることにしかないのではないかと、少々極端ではあるけれど、わたしはそう思っていて、実は、そんな発想に至る萌芽のようなものが武満さんの創作の姿勢の中にたくさんあったように思うからこそ、あの番組の企画が成り立ったんだと思う。

 もしコロナ禍じゃなかったら「明日ハ晴レカナ、曇リカナ」は、沢山の子供たちを呼んで、ちゃんとした楽器もフライパンや鍋のような非楽器も上も下もなく使いまくって、プロたちと一緒くたになって大混乱の演奏をしたかった。もう楽しくて終われなくなって、むりやりエンディングに持っていくくらいの勢いでね。10年前のこの日に福島でやったあのめちゃくちゃなオーケストラのように。今回それは叶わなかったけれど、でも少ないメンバーで、やれるだけの演奏は出来たと思っている。

 取り上げた他の曲も同様で、参加した演奏家や歌い手たちと共に曲に向き合いながら、それぞれ全く別の方法で、武満さんが歌を書くことでやろうとしていたことに光を当てたいと思ったのだ。そしてそのことを伝えるためには、武満さんのバックグラウンドを見せつつ、僕らが作るプロセスも見せる必要があると思ったのだ。そして、そんな発想は、おそらくだけど、10年前の震災を経て、福島での長期にわたる活動がなかったら出てこなかったものだとも思っている。それがどういうものかは、ぜひ番組を見て欲しい。番組が深夜になってしまったことで、本当にたくさんのひとからNHKに要望が寄せられたそうで、そのおかげで9月11日の午後3時からEテレで再放送してくれることに。なのでまだ見てない人はぜひ! 一度見てくれた方も、もう一回そんな目で見てもらえると嬉しいな。今回もまた「誇り」のことなんて考えてなくて、結局は楽しく演奏しただけだけどね。

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クラシック音楽館「大友良英 presents 武満徹の“うた”」

9月11日(土曜)15時~ Eテレ

参加メンバー

コトリンゴ(vo p)、二階堂和美(vo)、青葉市子(vo)、原田郁子(vo key)、七尾旅人(vo,g)、浜田真理子(vo,p)

類家心平(tp)、今込治(tb)、松丸契(sax)、木村仁哉(tuba)、江藤直子(p)、近藤達郎(org,ハモニカ),

千葉広樹(b)、かわいしのぶ(b)、芳垣安洋(ds)、イトケン(ds,toy perc)、上原なな江(perc,toy)、

大友良英(g, perc, ディレクション)

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関連書籍

良英, 大友

ぼくはこんな音楽を聴いて育った (単行本)

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