アメリカ同時多発テロの年に
二一世紀はイスラームとの衝撃的な出会いによって幕を開けた。
二〇〇一年二月には、アフガニスタンのバーミヤンの仏像がターリバーン・イスラーム政権によって破壊されると報じられると、国際的な非難の中で、日本でも官民をあげた抗議の声が沸き起こった。そして九月一一日、ワシントンの国防総省とニューヨークの世界貿易センタービルにハイジャックされた旅客機が突っ込み、日本人数十人を含む数千人が犠牲者になったいわゆる「九・一一」事件が発生した。それに対してアメリカのブッシュ(ジュニア)元大統領は事件をアルカーイダの犯行と断じ、「テロとの戦争」を宣言し、一〇月にはアルカーイダを匿っているとの口実で有志連合を率いて当時同国の大半を実効支配していたアフガニスタン・イスラーム首長国(ターリバーン政権)に空爆を加え崩壊させ、アメリカ軍が同国に進駐した。
このアフガニスタン侵攻を機にアメリカはアルカーイダとの泥沼の消耗戦に引き込まれることになる。二〇〇三年にはアメリカは保有する大量破壊兵器がアルカーイダにわたる危険があるとしてイラクに侵攻しサダム・フセイン政権を打倒しイラクを占領した。アメリカに追随し日本の小泉政権もサマーワに自衛隊を派遣したが、その結果二〇〇四年、イラクに入国した日本人四人が自衛隊の撤退を求める「イラクのアルカーイダ」により誘拐され、三人は解放されたが、うち一人は一〇月に斬首された。
アメリカはイラクに傀儡政権を樹立し、二〇一一年にはオバマ大統領が戦争終結、米軍撤収を宣言したが、イラクは破綻国家化した。二〇一四年六月には「イラクのアルカーイダ」を前身とする「イラクとシリアのイスラーム国(ISIS)」がイラク第二の都市モスルを攻略し、イスラーム国と改称し、指導者アブー・バクル・バグダーディーをカリフに推戴し、カリフ制再興を宣言した。二〇一四年にはイスラーム国に潜入した日本人二人が人質になったが、二〇一五年一月に安倍政権はエジプトのカイロでイスラーム国との戦いの兵站(へいたん) を担うことを宣言、イスラーム国の人質解放の要求を拒否し、人質は斬首されることになった。
これらの一連の事件は、二一世紀の日本は、好むと好まざるとにかかわらず、もはやイスラームを無視して済ませることはできない事実を我々の眼の前に突きつけるものであった。
「イスラームを理解する」とはどういうことか
ターリバーンの仏像破壊のエピソードが、人類学者青木保の『異文化理解』(岩波新書、二〇〇一年)の巻頭にも引用されているように、イスラームが異文化であることは、自明のようにも見える。しかし本書はそうした立場を取らない。
法哲学者土屋恵一郎は、インドネシア人男性と結婚してインドネシアに渡った日本人の元ゼミ生の帰国歓迎会で、豚肉入りサラダを彼女のお皿の上に渡そうとし、「イスラム教徒だから」と言って断られた体験を『ポストモダンの政治と宗教』(岩波書店、一九九八年)の冒頭で紹介し、その時の衝撃を以下のように述べている。
「あっ、そうか」と小さく叫んでしまったのは、私である。
それは迂闊にもまったく予想していないことだった。
イスラム教の聖典である「コーラン」に、豚肉を食べることを禁ずる言葉があることを 知らなかったわけではない。インドネシアにイスラム教が勢力をもっていることを知らなかったわけでもない。ただ、もっと単純に、日本人である彼女がインドネシア人と結婚したことで、「イスラム教徒」となったことにまったく考えがおよばなかったのだ。「日本人」であることと「イスラム教徒」とを結びつける回路がまったく私のなかになかったのだ。
(略)そこには、「日本人」は変わることなく「日本人」であるという固定観念があった。(略)自分がどの世界に属しているのかという「アイデンティティー」の根拠は、つねに変化しているのだし、移動しているのだ。
この挿話は、日本における従来のイスラーム認識の在り方の問題点をはからずも浮き彫りにしている。「イスラーム教では豚肉はタブーである」、「イスラーム教はインドネシア人の多数を占める宗教である」といったイスラームに関する我々の知は、「客観的知識」として「異文化」のカテゴリーの項目にファイルされ、その時点でイスラームは「我々」「日本人」とは無関係なものとなり、両者の観念連合の回路は遮断される。異文化としてのイスラーム認識には、イスラームを我々自身の主体的問題として考える契機が欠けている。
しかし日本神道や、ユダヤ教、ヒンドゥー教のような民族宗教と違い、イスラームが普遍宗教であるとすれば、このような態度は対象の正しい認識を妨げるものではないのか。イスラームを正しく理解するためにはまず、全人類に向けられた普遍的メッセージとしてイスラームに向き合う必要がある、というのが本書の立場となる。
とはいえ普遍的メッセージとしてイスラームを理解する、ということは、イスラームを、慈悲、寛容、正義等の内容空疎な抽象概念に還元することでもなければ、イスラームの中に日本文化を読み込む日本宗教の万教同根的発想の安易な折衷を意味するわけでもない。普遍的メッセージとしてイスラームを理解するとは、異文化と対峙する緊張感を失わず、イスラームと日本文化の双方を相対化した上で、日本語によって「イスラームのロジック」を再構成する道を模索することを意味し、そしてそのことが本書の目的となる。
日本語というヴェール
有限な生物の情報処理能力に比して環境世界はあまりに複雑であり未来は不確定である。それゆえ生物には環境制御のために世界の複雑性と未来の不確定性を縮減する必要が生ずる(N・ルーマン)。生物はそれぞれの種に固有の複雑性、不確定性の縮減装置を有するが、人間においては、縮減は感覚器による縮減(身分け)、言語による縮減(言分け)の二重構造を有する(丸山圭三郎)。この二重の縮減によって過剰に複雑な混沌(カオス)は有意味な構造を持つ「宇宙秩序(コスモス)」として立ち現れるが、複雑性、不確定性の言語による縮減によって人間は「自然(ピユシス)」を越えて、より複雑な世界、すなわち「社会秩序(ノモス)」をも認知、構成、制御することが可能になる。
人間の世界認識は、環境世界の複雑性の過剰を無意味な混沌として捨象、隠蔽し、認識処理可能な有意味なコスモスにまで縮減することによって初めて成立する。従って世界の開示と世界の隠蔽は表裏の関係にあり、有限な人間の言語の本質に属する。言語・文化とは世界を開示しつつ隠蔽するものであるならば、日本語もその例外ではありえない。
日本語というヴェールはまず、日本語の描く世界が「日本語の描く世界」でしかなく「世界」自体ではないという自明の事実を我々の意識から隠蔽する。我々はこの隠蔽作用に抗し、日本語で書かれ理解されたイスラームが、日本人の目に映る、あるいは日本文化の枠組に嵌め込まれたイスラームでしかない、との前提を常に意識化し続けなくてはならない。
とは言え、「日本語で書かれ理解されたイスラームが、日本人の目に映る、あるいは日本文化の枠組に嵌め込まれたイスラームでしかない」との「事実」を見据えることは異文化理解が不可能である、とのペシミズムを必ずしも意味するわけではない。言語・文化は永遠不変ではなく、常に生成変化しており、自文化と異文化の間には永久不変の境界、堅牢な壁は存在しないからである。イスラーム世界でも何世紀にもわたるイスラーム文化の同化の努力の結果、ペルシャ語、トルコ語、マレー語等がイスラームを表現し得る媒体に鍛え上げられていったことが何よりもこのことを示している。
目を我が国に転じても、日本は漢字を取り入れ、中国文化を学ぶ過程で、漢字という中国語の文字コードを用いて書かれた作品をそのまま、語族を異にする日本語コードを用いた訓読の「漢文」に変換する希有な解読技術を発明し、漢字文化圏の一部と正当に見なしうる文化を育むことに成功している。
「日本語で書かれ理解されたイスラーム」と「イスラーム」とは確かにどこかで重なり合っており、重なる領域を増やしていくことはきっと可能に違いない。たとえそれを判定する最終審級がこの世に存在しなくとも。
イスラーム世界自身のヴェール
日本人による「異文化」としてのイスラーム理解が、イスラームのメッセージの普遍性を覆い隠すヴェールであることは既に述べた。しかしイスラーム世界ではちょうど逆のことが生じる。イスラームと自文化の同一視もまたイスラームのメッセージの普遍性を隠蔽する別種のヴェールである。
イスラームとは、そのアラビア語の字義は「服従」であり、「アッラーへの絶対帰依」を意味する。しかしイスラーム世界においてのイスラームとは、そのような実存的決断に基づく絶対者との関係であるよりは、まず自分が生み落とされた所与の現実、自明の日常世界の一部である。ところが通常その両者、いわば「宗教としてのイスラーム」と「文化としてのイスラーム」の乖離は意識化されないままに混同され、特定の時代の特定の地域のイスラーム文化でしかないものが、その文化の担い手にはあたかも普遍的に妥当する宗教としてのイスラームであるかのように映る、という現象が生ずる。このような個別文化の独善的ショービニズムもイスラームの普遍性を覆い隠すヴェールなのである。
それゆえ日本文化の中で「イスラームのロジック」を再構成するとの我々の目的を達成するためには、その前提として、イスラームを異文化とみなす「不変の日本」の幻想の呪縛から逃れると同時に、個別イスラーム文化の掲げる普遍性要求をも拒否しなくてはならない。
二重のヴェール
しかしイスラームの理解を妨げるヴェールはこれらに尽きるわけではない。戦後日本のイスラーム学は、欧米のオリエンタリズムの輸入から出発した。欧米のオリエンタリズムは、十数世紀にわたる西欧キリスト教世界のイスラームへの根深い敵意と蔑視の刻印を色濃く残すばかりか、イスラーム世界の植民地主義的支配のための道具でもあった。日本のイスラーム学は、このような西欧のオリエンタリズムの価値観を内面化することにより、西欧文化のレンズを通して見たイスラームを日本文化のレンズを通して見ることにより、いわば二重のヴェールによって対象を覆い隠しているのである。
それゆえ「イスラームの理解」はこれらのヴェールの層を剥がしていくことから始まらねばならない。そしてこれらの作業を通して行われる「イスラームの理解」はもはや「他者の理解」ではない。解釈学の使命が他者の生の追体験ではなく「地平融合」(ガーダマー)にあることが明らかにされた現在、日本におけるイスラーム研究の目的も、他者の思想体験の再構成としての「イスラームの理解」から、日本文化とイスラーム文化の「地平融合」へと再設定されねばならない。
しかし自文化の源流の研究を自認する西欧古典学の出自故に、ともすれば予定調和的に「地平融合」を前提しがちな西欧の「解釈学」と、我々のイスラーム研究とでは、その内実もおのずから異ならざるをえない。本書の目的とする「地平融合」とは、まず何よりも解釈学的反省、つまり日本語/文化が隠蔽するものを、イスラームを触媒としてその異化作用によって明るみに出すことにある。
「国家」というヴェール
言語文化の隠蔽作用は、言語・意識上の隠蔽にとどまらず、時としてその言語が構成する世界像を脅かす「逸脱」への社会的抑圧にも転ずる。それゆえ本書の目指す解釈学的反省の射程は狭義の「文化」を越えて社会・政治にも及ぶことになる。
一九九八年のインドネシアのスハルト政権の崩壊によって一兆円とも五兆円とも言われる想像を絶するスハルト一族の汚職、不正蓄財が白日の下に晒され、アラブの春はチュニジア、リビア、エジプトなどの長期独裁政権の目に余る腐敗堕落を世界に知らしめた。現在のイスラーム世界の国々は、王制であると共和制であるとにかかわらず、例外なく構造的に腐敗した強権的軍事警察国家であり、言論の自由は存在せず、マスコミや出版は政府の厳しい統制下にあり、独裁者の批判者は物理的に抹殺され、闇から闇へと葬りさられる。
このような世界では、権力による人権蹂躙、言論の弾圧の客観的情報が外部に漏れ伝わってくるのは、権力が弱体化し、弾圧が緩んだ時であり、従って人権蹂躙、言論弾圧の「客観的」情報が伝えられる国ほど、相対的に政治的自由が存在し、逆に体制が抑圧的であればあるほど、「客観的」には人権蹂躙、言論弾圧は「見いだされず」、自由、平等、民主主義の存在が吹聴される、という逆説が生じる。
自由な発言と対等な討議に基づく間主観的な合意形成による「客観的」認識の達成が、権力関係の介在による抑圧のない理想的コミュニケーション状況(ハーバーマス)において初めて可能になる以上、抑圧的体制下では、言論は構造的に歪んだものとなり、それは必然的に認識の歪曲を生み出す。
政治学者の杉田敦がまとめたように、「政治的『争点』の範囲そのものを管理する権力の存在」するところでは、たとえ「意思決定過程が多元的であるとしても、それは、紛糾を招きかねないような争点が、権力によって予め排除されている(「決定回避」)からにほかならない」「権力をおよぼされている人々」は、「自らの利害の『争点化』自体を、権力によって阻止されている」ばかりか、「自らの『真の利害』について認識することを権力によって阻まれている可能性さえある」(『権力の系譜学』六三―六四頁、岩波書店、一九九八年)。
国家は本質的に暴力装置(ヴェーバー)であり、まさに暴力の独占こそが「近代国民国家」の本質である。しかし国家が暴力装置であることにおいては本質的に同一であっても、自由・民主主義体制を取る「西側先進」諸国と、旧共産圏及び第三世界の国々の間では国家の暴力性の表象には顕著な差異が見られる。
前者の国々では既に「国民」形成の過程で、政権へのラディカル(根底的)な反対者、異質な要素の根絶は予め完了しているため、現行の秩序の維持には通常.犯罪者.に対する以外には「生の暴力」は顕在化しない。これらの国々では現在は「シビリアンコントロール」の理念が名実ともに浸透しており、市民の日常生活の中では軍や警察の姿はあまり目立たず、国民の自発的な合意、「社会契約」のフィクションが支配の正当性の根拠として強調され、国家が暴力装置であることは隠蔽される傾向が強い。
他方、旧共産圏及び第三世界の国々の間では、国家の支配は剥き出しの暴力性の誇示によって支えられており、イスラーム世界の諸国家もそうである。これらの国々では、そもそも多くの場合為政者は軍部の出身であり、軍と警察が政権の主たる支持基盤であるという意味で、国家は出自からして明白な軍事・警察国家であり、また街角の隅々まで制服の警官と軍人が配備され市民を威嚇し監視の目を光らせており、戒厳令体制が常態であるなど、国家の暴力性は可視的であるばかりか、むしろこれみよがしに強調されている。つまりこれらの国々は言葉の本来の意味でテロ(恐怖政治)国家なのである。
そして剥き出しの暴力によって体制が維持されるテロ国家である点においてはイスラーム世界の国々は、サウディアラビア、モロッコなどの王政諸国の伝統に依拠する「専制」体制も、アルジェリアやシリアのような共和制国家の人民の名によって支配する全体主義的「独裁」体制も、また政治体制のイスラーム化が謳われているイランやスーダンの「イスラーム国家」体制も、いわゆるイスラーム主義政党が統治する「世俗主義」のトルコのケマリスト体制も、すべて共通しているのである。
一〇〇万人を超える殉死者を出した独立戦争の末の一九六二年のアルジェリアの独立をもって、西欧帝国主義列強によるイスラーム世界に対する直接的植民地経営はほぼ姿を消し、一九九一年にはソヴィエト連邦の崩壊により、ムスリムが多数を占める中央アジアの五つの共和国がロシアの支配から独立した。しかしイスラーム世界の直接的な植民地支配の終焉は、より隠微な間接的な政治・経済・文化的支配に替えられただけであった。
つまり今日のイスラーム世界の抑圧は、欧米による外部からの「隠微な」間接支配と、内部の軍―治安警察国家群の支配階層による「露骨な」強権的弾圧という重層構造を有していることになる。
時間のヴェール
イスラーム世界の外と内からの言論と認識の重層的抑圧に基づくイスラームに関する情報の構造的歪曲、ディシプリンとしての欧米オリエンタリズムと我々の世界認識の基底にある日本文化という二重の認識枠組の介在による誤解の増幅。イスラームの認識を歪めるこれらのヴェールを仮に「空間的」と呼ぶとすれば、イスラーム認識には「時間的」なヴェールもまた存在することを忘れてはならない。
「『最後の時』が間近に迫る時、知識は滅び、無知が蔓延り、騒乱や流血の暴動が増えるだろう。」「アッラーは学者たちを死に絶えさせることでイスラームの知を取り去り、無知な者を人々の指導者につけ給う。彼らは知識もなく人々に教義を説き、自ら迷妄に陥ると同時に人々をも惑わせる。」
預言者ムハンマド(五七〇年頃~六三二年六月八日)の言葉である。
イスラームの使信、メッセージはアダム(アーダム)以来、アブラハム(イブラーヒーム)、モーセ(ムーサー)、イエス(イーサー)などの預言者たちによって段階的に人類に伝えられてきたが、最後の預言者ムハンマドをもってその最終形態を取る。そして預言者ムハンマドの逝去後には、イスラームの使信を保持・伝承すべきウンマ(ムスリム共同体)の間でも、その知は徐々に失われていく。ムスリム共同体はイスラームの知を喪失するのみならず、それを歪曲、改変することによって、真のイスラームのメッセージを隠蔽する。ムスリム共同体による歪曲、改変から生ずるノイズは歴史と共に増幅され、厚いヴェールとなってイスラームの原メッセージを覆い尽くす。そのノイズの堆積こそが、既に述べたイスラーム世界の抑圧の現状であり、またムスリム諸民族の個別文化の独善的ショービニズムなのである。
全体は部分から認識されるが、そもそも部分が認識されるためには全体が認識されねばならない。あらゆる理解には「先行理解=先入見(Vorurteil)」が前提されており、そうして齎(もたら) された理解は次なる理解のための先行理解=先入見となる。
我々の認識が、このような「解釈学的螺旋(Hermeneutische Spirale)」に則り、「先入見と理解」と「全体と部分」の間を往復しつつ進展するものであるなら、我々のイスラーム理解は、まずイスラームを認識の対象としようとする二一世紀に生きる日本人としての我々自身の認識視座、我々のイスラームに関する個別の事象の認識を成り立たしめる「イスラーム」そのものの漠然としたイメージ、「先行理解=先入見」への反省から出発するべきであろう。
そこで本書では、類書とは逆に、イスラームの教義、歴史に先んじて「イスラームと現代世界」「イスラームと日本」を論じ、我々の認識の依って立つ場を明らかにし、しかる後に、イスラームのメッセージがいかにして我々の許に伝えられたか、という問題意識に沿って、「アッラー」「預言者ムハンマド」「ウンマの歴史」の順にイスラームの教義と歴史を解説する構成を取る。
本書は安易な「イスラームの理解」の主張を方法論的に拒絶し、日本文化の解釈学的反省を目標に掲げる。しかしこのことは日本文化の閉空間への自閉の主張を意味しない。「語り得ること」と「示され得る」ことを区別したウィトゲンシュタインにならって言うならば、本書の目的は、日本語/日本文化の中では未だ「語ることができない」イスラームの存在を本書の彼方に「指し示し」、その探求へと読者を誘うことにある。