投資をするなら自分にせよ
かつて転職市場では「三五歳の壁」ということが言われていた。しかし今、四〇代~五〇代の転職者が増えているという。書店に行っても、さまざまな「転職」や「転換」に関する本が並んでいるが、その想定読者の中心は四〇代である。
確かに勤続二〇年前後は仕事と人生の一つの山場である。いわば転換期なのである。二〇年以上働き、自分の持ち場だけではなく、仕事の全体の流れや、意味が見え、自己の判断(裁量)で物事を決め、しかるべき結果が出るような立場になると、同時に自分の限界や、先行きもなんとなく見えてくる。
職場の先輩の現在のありようを見て数年先の自分が予測できたり、同期やその周辺と比較して自分の限界が見えたり、あるいは不満が生じてきたりする。つまり、自分の近未来が見えるようになるので、「これでよいのか」「このままで終わってよいのだろうか」といった"心の揺れ"が始まるのである。
自分の仕事の未来(将来)と、定年後(老後)をどうしようか、という分岐点であるかのようにも思えたりする。街に出かけると、自己啓発本が山積みされていて、また新聞や雑誌には豊かな老後のためのセミナーなどの開催の呼びかけが溢れている。そして「定年本」(老後本)は、しきりに不安を煽る。住宅ローン、教育費、老親の介護、老後の準備といった無数の「不安」が指摘され、結果、四〇代の後半になったら、貯蓄の準備をなどと「教える」ファイナンシャル・プランナーも登場する。
冗談ではない。四〇代は人生の前半戦が終了し、やっと人生の基盤が形成され、その結果を活かした後半戦が始まるときである。いわばまだスタート台である。株や不動産、あるいはビットコインなど資産を持ちたい人はどうぞご自由に、と言う以外にないが、普通のビジネスパーソンには「投資をするなら自分にせよ」と私は言いたい。
他社(者)への投資によってリターンを期待するのは個人の生き方・価値観の問題だから、お互いに「ご勝手に」ということになるが、自分に「軸」がないと、不安を煽って金儲けをしたい人間に振り回されるだけだ。
リスクがなくリターンだけが望める最大の投資は「自己への投資」である。どんどん知識を身につけ、新しい体験・経験を積み重ね、新たな出会いを糧にして、自分を大きくしていくことは、年齢と無関係に大切なことだ。そうすれば人は前に進める。転職や転換のまえにすべきことがやはりある。
特に、三〇代、四〇代といった若さがあるうちはなおさらだ。気力も体力も充実した年代は自己投資をためらってはならない。人間の成長には「知らないところに飛び込む勇気」が必須だが、どのようなときにも、たじろぐことなく生きるには、人間としての中身(コンテンツ)が必要だ。
学ぶチャンスを逃すな
勉強をすること。機会を見つけては学ぶこと。仕事に関わるセミナーなどには、積極的に参加すること。自分の仕事を深めて行くと必ず「他の仕事」とつながって来るものである。また直接仕事に関わらないことでも、一般教養はどんどん身につける必要がある。もちろん小説を読む、あるいはさまざまなエッセイを読むだけでも、語彙が増えると表現力が豊かになる。それは話題が広がるということである。むろん本格的に政治、経済、歴史、哲学を学ぶのもよい。一人で取り組めればそれでよいが、可能なら少人数のセミナーで学ぶこと。
もちろんよい本を読むことが必要だ。しかしよい本を読むにも努力が必要だ。とにかく自分を充実させること。優れた人間と出会うためには、自己を充実させておくことが必須である。率直なところ、バカはバカとしか出会えない。他人と交わるコンテンツがない人間に新しい機会は存在しない。それゆえ、会社の内外で学ぶチャンスがあったら逃してはならない。
内外で、というのは社内のOJT(現任訓練)、OFF・JT(職場外訓練)は、命令がなくとも自ら手を挙げて、機会を逃してはならない。もちろん、会社内での勉強会なども大切だし、多くの会社で開催している仕事に関するセミナーなどには積極的に参加したほうがよいのは当然だ。
あるいはもっと積極的に、自分のテーマを深めるために、商工会議所や行政が主催する各種の講習会に参加したり、職場の立地やさまざまな条件にもよるが、社会人を対象としたビジネススクールに入学するのもよい。そこにはたくさんの職場からさまざまな職種の人が集まっており、異なった経験を持ち、それゆえ異なった発想を持つ人たちの情報とヒントの集積の場と言ってもよい。
そしてなるべくよい先生と出会うこと。よい先生はよい本を知っており、よい学び方を知っている。例えば「どんな本を読んだらよいでしょう」との質問に答えられない先生はよい先生ではない。よい先生かどうかは、それは世間的に有名かどうかではない。専門の世界で、どのような業績を持った「先生」なのかを見極める能力が必要だ。
むろん、自分の知らない領域の場合、「よい」「悪い」の判断ができない。そのときは「主催者」や「学校」の過去の経過の評価や、そこで学んだ人間からの情報が必要だ。蛇が尻尾を嚙んでいるような説明になるが、それゆえ自分というコンテンツを広く、深くする時間を意識的につくることが必要なのだ。
しつこいようだが、学ぶことにお金を惜しんではならない。生活がやっとだ、という人が多いのはわかる。しかし生活のために借金をするのではなく、自分への投資に借金をするのは危険ではない。お金は自分が成長すれば必ず返せる。心配などないのだ。お金を貯めてから勉強しようというのでは遅すぎる。その二つは両立はしないものだからだ。「蓄財」にしか関心がない人はこの本を閉じたほうがよい。お金や不動産という有形の資産はあとからついてくるものなのだ。
特に三〇代後半、四〇代前半を全力で生きた(働いた)人間なら道は必ず開ける。その時代に過ごした困難と棘の道は、自らが成長するために必要な経過であったということが、あとから納得できるのだ。
仕事を頼まれる人間になれ――充実感と達成感
退職時の挨拶状をみなが書かなくなったのはいつごろからだろう。三〇年前、四〇年前にはけっこう挨拶状をいただいたものである。そこには「大過なく」とか「つつがなく」といった言葉が決まったように記されていた。
三〇年前、四〇年前の私はまだ二〇代、三〇代であり、「仕事から離れる」という事実が実感できる年齢ではなかった。それでも、職場でさまざまな事柄を見聞きするにつけ、大きな悩みなく職場生活を過ごせた人は相当に幸福な例外であると私は思っていた。職場での日々は、誰にとってもトラブルや悩みの日々であり、四〇年、五〇年という職業生活は、転職と転換及びそれにまつわる苦労話があるのが普通の人の職業生涯であると思ってきた。しかしそれゆえ、達成感や充実感、あるいは仕事仲間との交流の日々の楽しさ、なども経験できるのだ。
ただ私が二〇代後半、三〇代、四〇代前半の二〇年間を過ごした職場(労働組合の事務局)は、あまり一般性のない職場であったせいか、春闘の季節とか国政選挙といった労働組合の存否が問われるとき以外は、どう見ても苦労のない人が八〇パーセントくらいいた。毎日勤務しているのは確かだが、生産性が低く、昼間から来客と碁を打ったり、夕方になると酒を飲んでいる男がいた。気楽と言えば実に気楽な職場だった。
仕事で走り回っていたのはせいぜい二〇パーセントの人間であり、全体の八〇パーセントから九〇パーセントは走り回っている人間にぶらさがって生きていた。
どの職場にも「仕事は忙しい奴に頼め」という原則がある。当然である。「あいつは手が空いている」とか「あいつはヒマだから」ということで、仕事を頼むと、いつまでたって仕事は進まない。彼らはヒマなので、「後で」とか、「明日」に仕事を回す。彼らには「後」も「明日」も時間がある。しかも彼らは仕事を頼まれると、その仕事があることを理由に他の仕事を断ったりする。
しかし忙しい人間は、頼まれた仕事にすぐ着手する。「あと」も「明日」もやることが決まっており、頼まれたらすぐに片付けねばならない。またたくさんの仕事を知っているので、頭の中の引き出しには知恵と経験が詰まっている。それゆえ大体の仕事は手短に片付くのである。
では職場でぶらぶらし、仕事を頼まれない人間は仕合せだったのか、というと必ずしもそうではない。給料は同じようなものだったけれど、充実感や達成感のある仕事は彼らのところには行かなかった。仕事ができないからである。また企画力がないので、よい仕事、必要な仕事を考え出し、構想する力がなかった。
それゆえやることがなかったのである。その延長線上に充実した日々が待っているわけがない。
その点、こちらは組織を利用して自分が成長することが、結果として組織にとってもよいことだと勝手に考えて、さまざまな企画(仕事)を考えた。国内各地はもとより、アメリカを中心として、自分が仕事・職場にとって必要と思えるプランを立てれば、数カ月といった単位で、どのような調査も研究も必要な資金は用立てられたし、けっこう、贅沢は可能だった。また関連団体(私の場合は総評・調査部)に出向し、よい先生の下で金融論や経済学の勉強に没頭することもできた。一九八〇年代までの総評の調査部には、優れた人間が集まっていて、学ぶことを競う風習もあった。
つまり同僚たちと賃金や社会保障などはみな同じだったが、過ごしている時間の中身はそれぞれがまったく異なっていたと言ってよい。
組織の頹廃
私の職場生活は例外だったと思う。普通の企業はよりシビアであり、場合によると「過労死」などもあったりするのだから、職場で碁を打ったり酒を飲んだりしているわけにはいかなかったろう。
とはいいながら私の勤務先と似たような民間の職場はいくつもあった。例えば竹内慎司『ソニー本社六階』(二〇〇五年)という本があったが、それによると品川区の御殿山にあったソニー本社の中枢があった六階での人間模様は、会社というのはここまで頹廃できるものかと思わせるひどいものだった。一〇億円、一〇〇億円といった単位のお金がどんどんムダにされ、そこで働いている人たちは、上司への追従、おべっかを旨としていた。また都合の悪いことはみな他人に押しつけ、いったい仕事をしているのかどうかすら怪しい人の群れが描かれていた。この本を読んだとき、誰もがソニーの崩壊を予感した。
この、会社を食い物にしている人たちの群れが、その後ソニーが経営破綻に行き着いたときにいわゆる「追い出し部屋」(リストラ部屋)の住民になったのは当然であると私は思った。朝日新聞などはこのことをサラリーマンの悲劇として描いていたが、私には旧国労(旧国鉄労働組合)と同じ自業自得に思えた。
むろん仕事に全力をあげなくともよい。しかしその場合は、別途、全力をあげている対象があれば、の話である。大鹿靖明『東芝の悲劇』(二〇一七年)も同様の話である。魚は頭から腐るというが、破綻するどの会社も経営者が最初に頹廃する。しかしそこで働く人間も、それに染まったり、追随すれば同罪である。
そういえば崩壊してからずいぶんと時間がたつが、名門・鐘紡の崩壊も同様だった。徹底して無責任な経営者が続き、粉飾するのが仕事のような職場すらあって、三〇年近く粉飾決算を続けていた無責任ぶりに啞然としたことがあった。八〇年代のバブル期までは土地が含み資産になっていて破綻しなかったが、九〇年代に入り資産暴落が起きたとき、打つ手がなかった。実にひどい会社だった(嶋田賢三郎『責任に時効なし』二〇〇八年)。
こうした会社の頹廃に染まらないためには、当然転職という手段も必要になってくるだろう。
配置転換で辞めたくなるとき
以上のようなあまり一般的でない事例は別にして、転職を考えるときの職場の問題には、昇進に関する競争や、意に沿わない配置転換などが無数にあるだろう。
中間管理職クラスで先が見えてくる世代になると、大企業の場合は役職定年や、強制的な配置転換によって、職場の中心的な仕事から排除されるが、特に中小企業の場合は自分の仕事上の既得権益を墨守することに躍起となり、会社全体、セクション全体の利益や必要性を踏みにじるような人間も登場する。
もともと日本の大企業の雇用条件は、社員(メンバーシップ型)として採用されるのであって、職務別(ジョブ型)として採用されているわけではない。さまざまな配置転換を経て「専門」を確立し、スペシャリストになることはあるが、長期雇用(終身雇用)は、会社側の配置転換の自由という指揮権が前提となっている。もともとが「社員」として採用されているのであって「職務」で採用されているわけではない。
それゆえ「辞めたくなる」ような配置が生じるのである。しかし冷たい言い方をすると、それでなければ会社は成り立たない。むろん勤労者の側には、労働権はあるし、団結権を含め各種の自立した権利の擁護に関する法律もある。それゆえ勤労者自らが必要に応じて闘えばよいのである。率直なところ、労働組合費も払いませんという姿勢ではどうにもならないのである。
競争も転職も当たり前にある日本
「働き方改革」「同一労働同一賃金」「一億総活躍」などという掛け声を聞くと、いつも各論というか、普通の職場で具体的な仕事の進め方を見ている筆者のような者の側からすると、そこにさまざまな現実とのズレが見える。二〇一七年三月の「働き方改革実行計画」によれば、「転職が不利にならない柔軟な労働市場や企業慣行を確立できれば、労働者にとって自分に合った働き方を選択してキャリアを自ら設計できるようになり、企業にとっては急速に変化するビジネス環境の中で必要な人材を速やかに確保できるようになる」そうだ。だが、こうした議論には現実離れもはなはだしいものがある。
「柔軟な労働市場」や「企業慣行」をその「計画」は具体的に語ることができない。当たり前である。企業にとって「必要な人材」は自ら育てなければならない。企業の競争力や社会的有用性は「他と異なったサービスや技術」にあり、それは「市場」で調達するには限度がある。固有の競争力は自らの内部でつくらねばならないのだ。
また、そのことと関連し、終身雇用、年功序列型賃金、企業内福祉といったお定まりの「日本的雇用慣行」などと聞くたびに、私などはその「慣行」の中に自分が含まれている、と思ったことは一度としてなかった。
小池和男氏などが繰り返し指摘しているように、日本の職場は長期にわたって厳しい査定があり、個人間競争の中にある。「ぬるま湯」のような職場ではない。もちろん前述のように、「ぬるま湯」に入っている人間はいるが、それは、それなりの処遇しかされない。一生懸命働く人間と、いい加減な人間とは明らかに「処遇」に差がある。日々の激しい企業間競争に追われている職場は働く人にとっても戦場だ。それゆえ、仕事によって人は鍛えられ、また育つのである。
「柔軟な労働市場や雇用慣行」の確立などというが、今だって、現実はそれほど「硬直的」なものではない。問われているのは自らの意志である。そして最も大きいのは、景気動向である。どの会社もリストラが必要な季節はどうにもならない。
ただ、統計うんぬんではなく、自分の身内や周辺を見回してみると、二〇パーセントから三〇パーセントは最初に勤務した職場で定年まで働いているので「日本的雇用慣行」という指摘もまったく間違っているとは思っていない。しかしとはいえ、中小企業を中心に働き方や技術、経営などを調べ、本を書き、それを「経営」や「人的資源管理」といったテーマで大学において教えるようになると、後述するように日本でも転職は普通のことであり、シビアな企業間競争の中での職場人生の多くは「大過」と「トラブル」「悩み」の日々なのではないかと思えて来た。繰り返しになるが、それゆえ、一瞬の達成感や幸福感あるいは、仲間との同質の時間の共有、といった気持ちも持てるのだ。あるいは会社を辞めたくなる社員についても、「非は本人にあるのでは?」と思える場合もある。
本書の構成
このように考えると、現在、転職や退職をめぐる議論をさまざまな論者が展開しているが、それらには誤りも多いことがわかる。不本意な仕事をしている人が、より大きな達成感や幸福感を求めて転職するということは、これまでにも普通に見られた。そしてそのような転職を、日本の労働市場や雇用慣行が妨げているという事実はない。
実りの多い転職とは何かを考えていくために、本書では転職をできるだけ多角的に考察していきたい。まず第一章では、日本の転職をめぐる状況について、雇用の実態の基礎知識を解説する。日本が必ずしも転職しにくい社会ではないこと。どの国も日本と同じ長期雇用が普通であること。技術革新があってもそれほど仕事が大きく変わりつつあるわけではないことを説明する。
知識人やシンクタンクはマクロで語るが、現実の暮らしや仕事はみなミクロである。第二章では、転職はいつの時代も基本的には個人的な事情に基づくものであることを述べる。人は常に個人的な動機と置かれた状況によって、ものを考え行動する。
次に第三章では、さまざまなタイプの現実の大企業、中小企業における職場配置と訓練を紹介し、仕事能力の身につけ方やその中で転職についてどう準備していくものであるかを説明したい。
第四章は、ノンエリートである、普通の人の転職事例を二つ紹介し、成功する転職の条件を考察する。とはいえ、この章の二人の事例は、一年、二年といった長期のスキルアップのための自己投資がともなっている。
第五章では、働くことと雇用の根本を問いなおして、人々はきちんと学んで再就職をしているという事実と、社会の成熟度によって、労働力というものも歴史的に変遷してきたこと、そして今、非正規雇用=悪と捉えるべきではないことをここでは理解してもらいたいと思う。
第六章では、現実の仕事の複雑性や不規則性を直視することの重要性を説く。それがわかれば、昨今流行のAI論やシンクタンクの主張などがいかに実証性皆無の議論であるかが理解できるだろう。
第七章は、高齢化した現代社会で、長いライフステージをいかに生きていくか、そのために無形の資産が大事だということを論じる。必要なのは学ぶことと、そのメンテナンスだ。
終章では、いたずらに不安を煽るばかりの仕事論、転職論が横行する中で、人生は設計できるものではないこと、志と夢を持ってただ日々を生きるという当たり前のことが大事であることを、改めて強調して本書を閉じることにしたい。