ちくま新書

「JKビジネス」がなくならない理由

法で規制し、啓発活動を行っても、なぜ「JKビジネス」をなくすことはできないのか?そこには単純だけど、当たり前の抜け穴があるからだ。『「身体を売る彼女たち」の事情』の「はじめに」を公開します。

「JKビジネス」が死んだ日
  二〇一七年七月一日、東京都において「特定異性接客営業等の規制に関する条例」、いわゆるJKビジネス規制条例が施行された。
 JKビジネスとは、現役のJK=女子高生らが男性客相手に添い寝やマッサージ、散歩の相手を行うサービスの総称である。都内では秋葉原や池袋などの繁華街に「お散歩店」「リフレ」「見学店」などの業態があり、児童買春や犯罪・性暴力被害の温床になると指摘されてきた。
 今回の都条例では、こうした業態で十八歳未満の青少年に接客させることが禁止され、東京都内でJKビジネスを営業することは事実上不可能になった。
 施行日当日、警視庁の少年育成課員らがマスコットキャラクターのピーポくんと並んで原宿の街頭に立ち、十代に人気のモデル・藤田ニコルを起用した「STOP JKビジネ!」の啓発チラシを配布して、道行く女子高生らにJKビジネスの危険性を呼び掛けた。
 警察が原宿でチラシを配布している最中、私はJR池袋駅東口にある「楽屋」と呼ばれる部屋の中にいた。目の前では、モデルやアイドルのようにきらびやかなファッションに身を包んだ女の子たちが椅子に座り、スマホを充電しながらハイチュウを食べている。
 彼女たちは、JKビジネスの業態の一つとされる「派遣型リフレ」で働いている。店舗は存在せず、女性が直接客の待つホテルの部屋を訪問してサービスを提供する仕組みになっている。
 一般的な性風俗店とは異なり、リフレに決まったサービスメニューはない。どのような内容のサービス=「オプション」をいくらで行うかは、女性と客との交渉で決まる。オプションで得られた料金は全て女性の取り分になるため、いかに客を引き付ける魅力的なオプションを提供できるかどうかが、派遣型リフレで稼げるか否かの分かれ目になる。おしゃべりや添い寝、ハグなどのソフトなサービスを中心に行う女性もいれば、私服から制服への生着替えなどの大胆なサービスを行う女性もいる。
 中には、マイクロビキニやローライズの玉パンツなどのきわどい服装でM字開脚をしてみせる女性もいる。最終的には手や口で射精に導くこともあり、性風俗との境界線はかなり曖昧になってきている。
 派遣型リフレで働く彼女たちの姿は、皆一様だ。黒髪よりも明るいが茶髪よりも落ち着きのある暗髪をハーフアップにして清楚なイメージを演出。ピンクのチークや垂れ眉など計算して作り込まれたナチュラルメイク。ゆめかわネイルにビジュー(装身具)のついた服。titty&Co. のフラワー柄ワンピースに、Samantha やJILL STUART のハンドバッグ。こうした「量産型リフレ嬢」と揶揄される格好で武装した全身パステルカラーの彼女たちは、楽屋の中でスマホをいじりながら、店からLINEで連絡が来るのを待っている。
 私の目の前に座っていた女の子のスマホが鳴った。どうやら指名が入ったようだ。彼女はハンドバッグを腕にかけ、楽屋を後にして客の待っているラブホテルに歩いて行った。なぜ彼女たちは働き続けているのか?

 JKビジネスの営業が都条例で禁止された、まさにその当日にもかかわらず、なぜ彼女たちは堂々と働き続けているのか? 答えは、彼女たちの働いている店が「法律的にはJKビジネスではないから」だ。
 実はこの都条例が施行される二年以上前の時点で、警察による店舗の摘発や補導によって、現役の女子高生、及び十八歳未満の少女がJKビジネスで働くことは事実上不可能になっていた。現場で働いているのは、高校を卒業・中退した十八~十九歳前後の「JK 風」の女の子たちだ。この数年間は、JKに近い年齢の女性がJKのような服装をして接客やマッサージをするという「JK風ビジネス」が主流になっている。
 つまりその名称やイメージに反して、JKビジネスの現場には、既に現役の女子高生はほとんど存在していなかったのだ。楽屋に集まっている女の子たちも、全員十八歳以上の専門学校生や大学生、もしくはフリーターである。

「絶対、やっちゃダメ。」では止まらない
 ツイッターのタイムラインに流れる.JKビジネス規制の都条例施行.のニュースを横目で見ながら、楽屋にいる女の子の一人と雑談をした。
 「今年の春に高校を卒業されたんですか?」と尋ねると、「実は私、もう二十歳なんですよ」と照れ臭そうに答えた。彼女は十七歳の頃からずっとJKビジネスの世界で働いているそうだ。
 途中、働いている店舗の経営者が児童福祉法違反で逮捕されたり、彼女自身が警察に補導されたこともあったという。しかし、彼女はJKビジネスで働くことをやめていない。
 お散歩店や店舗型リフレでは固定客が減って稼げなくなったため、現在の派遣型リフレに移ってきたという。現役のJKでなくなっても、二十歳を過ぎても、彼女は量産型リフレ嬢としての「武装」を解除せず、楽屋で客の指名を待ち続けている。
 そんな彼女の目の前に座っている私のスマホの画面上には「ほんっとにヤバイよ、そのバイト。藤田ニコルは許さない!」「絶対、やっちゃダメ。」という東京都の作成した啓発画像が虚しく映っている。
 彼女たちはJKビジネスの危険性を知らないからやっているのではない。JKビジネスで働くリスクとリターンを冷静に計算した上で、期限付きの自らの若さと肉体の商品価値を最大価格で換金することを目指して、あえてこの世界に巻き込まれている。
 危険性を訴えることしかできない大人たちと、危険な目に遭ってもやめない少女たち。両者の思惑は永久にすれ違い続けるしかないのだろうか。

JKビジネスの「ゾンビ」が徘徊する世界
 二〇一七年七月一日、都条例の施行によりJKビジネスは死んだ。
 しかし、JKビジネスが社会から消え去ったわけではない。池袋の光景をご覧頂ければお分かりの通り、JK風ビジネスという名の「ゾンビ」になっただけだ。
 歴史を振り返ると、ちょうど六十年前の一九五七年、売春防止法施行によって売春は違法になった。しかし、売春は性交類似行為をサービスとして提供する「性風俗」という名のゾンビに姿を変え、法律や制度のグレーゾーンに棲みつき、そこで生きる男女を吸い寄せて貪欲に成長する存在、そしてそれゆえに規制も啓発も効きづらい存在へと厄介な進化を遂げた。
 売春防止法施行から六十年が経った今も、一部の地域や業態では半ば公然と売春行為が行われているが、「女性と客の自由恋愛」「店舗側は関与していない」という建前に阻まれ、法律で規制・撲滅することはできていない。
 同じように、二〇一七年の都条例施行によってJKビジネスの営業は違法になったが、「JKビジネス類似行為」を行う店舗や女性、そしてそれらを求める男性客は依然として消えていない。
 JKの雇用禁止によって、かえって市場におけるJKのブランド価値は高まる。そうした中で、JK風ビジネスはさらに怪しい輝きを増す。そして、そうした曖昧な空間の中に本当のJK=十八歳未満の未成年が紛れ込む・巻き込まれる危険性も、相変わらず消えていない。

性風俗と社会をつないだ「後」に見えてきた景色
 どんな法律や権力も、一度殺した対象を二度殺すことはできない。私たちはこれから数十年にわたって、「JK風ビジネス」が跋扈する社会の中で生きていかざるを得ないだろう。 だとすれば、今必要なのは、これ以上表面的な啓発や規制を繰り返すことではなく、グレーな世界とうまく共生、もしくは共闘するための具体的な戦略を考えることだ。 
 前作『性風俗のいびつな現場』(二〇一六年)では、グレーな性風俗の世界のカラクリを解き明かした上で、司法と福祉を媒介にして「性風俗と社会をつなぐ」というビジョンを提示した。
生活に困窮した女性の集まる性風俗店と司法・福祉が連携すれば、これまでの行政やNPOでは決してリーチできなかった層の女性に適切な支援を届けられる可能性を提示し、そこにこそ「性風俗の正義」=社会的存在意義があると訴えた。
 あれから二年。私たちは全国各地で、司法と福祉を媒介にして性風俗と社会をつなぐ試みを実践してきた。
 激安店や熟女店、人妻店や妊婦母乳店で働く女性たち、経営者や男性従業員、JKビジネスで働く十代の女性たち、派遣型リフレの店長やユーザーの男性たちの声に直に触れて、共に悩み、考え、行動を積み重ねてきた。
 今作では、そうした泥臭い実践の中から見えてきたミクロの世界=性風俗で働く彼女たちが抱えている課題を整理しながら、それらを生み出すマクロな社会構造を解き明かしていく。
 ミクロとマクロ、双方の視点から、性風俗と司法・福祉がつながった後に見えてきた景色を分析しながら、私たちの社会がこうした見えないグレーゾーンとうまく折り合いをつけるために必要なビジョンを提示したい。
 本書を読み進めていくうちに、あなたは、JKビジネスや性風俗の世界で働く彼女たちが売っているのは、決して「身体」ではないことに気づくだろう。
 そして、これらの世界に山積になっている課題が.彼女たちの.という三人称で語られるべき「他人事」ではなく、「私たちの」という一人称で語られるべき「自分事」であることにも気づくだろう。
 「彼女たちの問題」を「私たちの問題」として捉え直すことのできるリテラシーは、複雑性と不透明性が増していくこれからの社会を生きる全ての人にとって、必要不可欠な武器になると私は信じている。
 本書が、この社会に遍在する「彼女たち」を「私たち」へと変換していくための手引きになることを願って。