ちくま文庫

人々の繋がりと創造力
『三ノ池植物園標本室』書評

10年前の長編『恩寵』を大幅に改稿、改題し生まれた『三ノ池植物園標本室』上・下。刺繍、陶芸、標本作り、イラスト、文芸、そして書。さまざまな「創る」ひとたちが織りなす不思議なえにしの物語を、果たして『文字渦』の作家はいかに読んだのか。ご覧ください。

 一人目の主人公、勤めに疲れた大島風里は、枯れかけたテッセンの鉢をきっかけに会社を退職。植物園そばの一軒家を借り、自分の生活をもう一度はじめてみようと試みる。さすがに無職を続けるわけにもいかず、みつけたアルバイトは植物園の標本整理。
 雇い主の苫教授は分子生物学の権威なのだが、植物園に研究室を構えており、やや浮世離れしたところがある。この教授と大学院生たち、研究室に出入りする編集者の並木まほろに、イラストレーターの日下奏といった面々とつきあううち、大島は新たな生き方を見出していく──。
 と、ここで一人目の主人公といったのは、このお話にはもう一人の主人公と呼ぶべき人物がいるからで、こちらは葉という名の中学生。父親は書家をしており、大きな紙にただ漢字一文字だけを書く作風で有名である。それは「完璧に均整が取れ、文字の純粋な姿が形になって現れたような文字」であり、「村上の書く文字はそれひとつが世界である」と評されたりする。
 本書にはこの書道をはじめ、刺繍や陶芸、建築といった作家性の強い仕事や趣味が多く登場する。作品はどれも固有の力を備えており、コピーや大量生産には向かず(結婚式の引き出物にするくらいならできるものもある)、その作者がいなければ世に出ることも、もしかすると想像されることさえなかったかもしれないものたちである。
 誰と代わっても変わりのなさそうな仕事に息苦しさを覚えた大島が、趣味の刺繍を通じて自分にしかできない生き方をみつけ、テッセンとともに再生する──という話であれば単純なのだが、このお話に登場するオリジナルなものたちは、ときに製作者に牙をむく。葉の父が書くただ一文字の漢字を考えても、そこに込められた力や歴史は凡人の想像を絶するところがあって、ただ一文字をもって明らかな固有性を帯びさせるのは尋常なことではありえない。尋常ではない力は自然を破壊することだってあるかもしれず、だってそこでは文字それひとつが世界でありうるのだから、文字が崩れれば世界だって崩壊するのだ。
 一人目の主人公と二人目の主人公の出会いはその意味で、創作という行為によって生み出された尋常ではない存在が可能とした超自然現象である。
 といってはみても、あらゆることはやはり自然の中で起こるのであり、そうした「歪み」もまた日常へと平坦に回収されていくことになるしかない。そうでなければ日々の暮らしが成り立たない。しかしここで創作物の生み出す力はあまりに強力なものであるから、その回収もまた大仕掛けなものにならざるをえない。それは、一人目の主人公の借りた家をめぐる話にも、二人目の主人公の成長譚にも、院生たちの人生にもさまざまかかわり、大きな繋がりをうみだし、繋がりがまた繋がりを巡らせていく。
 もちろんこの同じ事情を逆の視点から眺めるのも自由なわけで、そこでは特別にして非凡な創作物が人々の繋がりを生んだのではなく、人々の繋がりがあってはじめて、特別にして非凡な創作物が可能になったということになる。してみると、一人目の主人公が会社をやめることになったのは、そこでは創造的な仕事ができなかったからではなくて、彼女にとってその場所が、人の繋がりをつくりにくい場所だったのだ、ということになる。
 こちらの視点から見るならば、大勢の人を介した二人の主人公の繋がりの方が先にあり、尋常ではない力を持つ作品を生み出したのだ、ということになる。
 オリジナルや自分らしさを操ることには、危険が潜む。
 と、ここで思い出しておくべきなのは、小説を書くということもまた、創造的とされる行為の一つで、当然そこには秘められた力の大きさというものがある。本書が程度を超えて尋常ではない力を秘めていたとしたなら、あなたの身の回りには、一体何が起こることになるのだろうか。あなたがこの書評を見ているという事実そのものが、本書の力であったりはしないだろうか。