ちくま新書

書評『はじめてのアメリカ音楽史』

12月刊『はじめてのアメリカ音楽史』について、筑波大学教授でアメリカ外交史がご専門の松岡完先生が、 原稿用紙20枚に及ぶ熱の入った書評をご寄稿くださいました。本書の特徴はもちろん、さまざまな「リクエスト」もいただきました。 ぜひお読みください。

 2 膨大な情報量との対峙

〇歩く音楽史事典
 それにしても、2人の博識ぶりには圧倒されるばかりである。ロックのファンだとか、ジャズには目がないとか、一定の範囲であればいくらでも語れる人はいるだろう。しかしアメリカ音楽史のほぼ全般、これほど多岐にわたるジャンルについて、ここまで該博な知識を2人がどこでどのように得てきたのか、不思議にさえ思う。そのプロセスについて、冒頭にもう少し詳しい案内があれば、なお読者の理解と共感が深まっただろう。
 この対談に接するのは、歩く “アメリカ音楽史事典” を2冊、同時にひもとくようなものである。おおむね同じ方向性を示しつつ、しかし編集方針も記載内容も微妙に異なる2冊。ある曲や歌手をめぐって同じ賞賛、同じ批判が展開されることもある。1つのものについて異なる見方が提示されることもある。読者はこの若干角度を変えた2つの視点を併せ持つことで、自分なりに何かを創り上げていく機会を持てる。
 概して事典というのは無味乾燥、面白くもなんともないものだが、この事典は違う。膨大な、おそらく新書の分量からはみだしかねないほどの事項説明に、ある色合い――さまざまな時代やジャンル、歌手や曲への、あふれんばかりの愛情と思い入れ――が加味されている。それが読者の共感を呼び、アメリカ音楽史への興味をかきたてさせる。読者は否応なしに2人の対話による旅に引きずり込まれてしまう。
 だが要注意。そこには危険も待っている。それまで特定のジャンルにしかなじみがなかった者が、他のジャンルへの興味を抱き、手を拡げたらどうなるか。金銭にせよ労力にせよ時間にせよ、大変な事態が待ち受けているだろう。より大きな楽しみの代償としてそれを受け入れるか、怖じ気をふるっていっさい手を出さずにいるかは読者しだい。ちなみに、各章末にそれぞれのジャンルで重要な(おそらく2人の趣味を反映したと思われる)アルバムが紹介されているので、読者があえて知的探求に挑もうとする際の手がかりになるだろう。その結果おそらく、アメリカの歴史がたかだか200年でよかったと胸をなでおろすのではなかろうか。

〇難題は著者とのギャップ
 里中氏は、英米のポピュラー音楽史を研究する中でしばしば「頭のなかでは理解できても、実感が伴わない」経験を味わったという(p.13)。本書はアメリカ音楽史に限ってだが、そうした隔靴痛痒の不満を解消しようという試みである。だがそれでもなお、同じ現象が読者にもたらされる可能性は否定できない。膨大な情報量に押し流され、溺れかけ、2人の話に置いて行かれる感を抱く者もいるだろう。白状するが、評者もその例外ではない。
 本書のタイトルは『はじめての』アメリカ音楽史である。だがアメリカの古い時代の音楽について予備知識をほとんど持ち合わせていない、文字どおり “はじめて” の者にとっては、列挙される歌や歌手の名前さえ記憶できない恐れがたぶんにある。知った歌手や曲であればまだしも、数多くの歌手や曲が列挙されただけの部分になると、ついつい読み飛ばしてしまうのではないか。充実した情報量ゆえの、じつに贅沢な問題点であるが。
 読者は、世界史や日本史の勉強に追われる受験生のような気分に襲われるかもしれない。そこでは膨大な人名・地名・年号などが暗記すべき知識としてのみ扱われる。その結果、受験勉強を含む歴史教育が、無数の歴史嫌いを生み出す触媒となってしまう。
 だがほんらい歴史とは、生身の人間やその集団がその欲求を実現しようと相互作用を繰り返してきた過程である。私たちはそこに共感や憤りなどを覚え、そこから何かを学びとる。いわゆる大河ドラマや歴史スペクタクル映画などに人気があるのもそのためだろう。 
 音楽史も同じこと。人種や階層などを問わず無数のアメリカ人がそれぞれに悩み、苦しみ、楽しみ、興奮しながら紡いできた歌や音楽。その歩みをたどる本書は、アメリカ人という存在、アメリカという国の姿をそのまま描き出そうとした試みにほかならない。
 であればなおのこと、この2人との間に存在する知識面の大きなギャップに、読者が正面から向き合えるような手がかりが欲しい。たとえば事項索引である。かりにロックンロールの時代について知りたければ、それを扱った第7章をひもとけばよい。だがその源流なり、ソウルやブルーズなど他のジャンルとの相互作用なりに興味を抱き、別の時代も展望したい場合、事項索引があれば大助かりである。残念なことに、本書の末尾には人名やグループ名の索引はあるものの、事項索引は整備されていない。もし今後可能であれば、ぜひ追加してもらいたいものである。新書なのだから最初からあらためてページを繰ればよいではないかともいえるが、しかし人間とはじつに怠惰なものだから。

〇立ち止まる手がかりも
 なじみのない時代やジャンルでも、それを味わい、歴史を理解する手がかりがないわけではない。たとえば小学校や中学校の時、音楽の授業で歌ったり聴いたりした懐かしい曲が登場する場面である。また、おぼろげに記憶している歌に、思わぬ歴史や背景があることを発見する時である。
 たとえば、

・〔アルプス一万尺〕の元歌が独立戦争時代の流行歌だったこと。
・プレスリーの有名な〔ラヴ・ミー・テンダー〕のルーツが南北戦争時代にあること。
・アメリカ国歌〔星条旗〕はもとをたどれば酒飲みたちの愛唱歌だったこと。
・アメリカの歌を日本に初めて紹介したのはジョン万次郎だったこと。
・結婚式などでよく歌われる〔アメイジング・グレイス〕を書いたのは奴隷売買に携わったことを悔悟した白人の船長だったこと。
・福音の歌、ゴスペルはもともとグッド・スペル(よい知らせ)、つまりイエスの教えだったこと。
・ジャズの起源は葬式をにぎやかに盛り立てたマーチング・バンドにあったこと。

などなど、クイズ番組のネタになりそうなトリビアがてんこ盛りである。
 そこで、本書が提供している情報を、小学校や中学校の音楽の授業で積極的に活用してはどうか。♪楽譜どおりに歌いましょうさあ1・2・3、よくできました――では面白くない。この曲はこうして生まれたんですよ、それがいま私たちが知っているこれこれにつながっているんですよ、という教え方をすれば、音楽に限らず歴史や文化、社会についても生徒たちの興味を刺激できるのではないか。自分が子供の頃にそうした授業を受けていれば……と痛感する。もしかしたら、先生はそうしたことにも触れていたのに、われわれ悪童どもが聞き流していただけかもしれないが。

〇逆読みのすすめ
 ようやく後半部分、ソウル、カントリー、ロックなど多少なりともなじみのある、いまに近い時代の話が登場して初めて、評者は2人の話についていけるように感じることができた。古い時代の音楽にとくに興味のある読者を除けば、多くの読者が同じ思いをするのではないだろうか。
 だが逆に、そこに楽しみを発見することもできる。最初のうちはごくまれにしか出てこない知った名前が、ページを追うごとに頻度を増していく。それがわくわくする気持ちを与えてくれるのである。好きな歌手が思わぬ場面に登場し、こんな昔の音楽や曲から影響を受けていたのか、古い時代と関わりがあったのかと知る驚きも同様である。
 そこで考えた。通読した後、今度は1章ずつ、後ろから読み返してみたのである。まずロックの誕生とその展開。その1つ前、カントリーやフォークの誕生。さらにその前はソウルなど。そしてジャズ……。
 たとえお気に入りでなくても、なじみのある曲や歌手なら想像力を働かせるのも容易である。それが愛唱歌であればなおのこと、それを口ずさんでいた当時の自分を重ね合わせることもできる。1つ前、さらにその前の時代にさかのぼっていくことで、そうした音楽がどこから来たのか、何が変わったのかもわかる。本書は「アメリカ音楽史を大河の流れのように捉える」(里中氏)ことをめざしているのだという(p.15)。とすれば、200年という時を超えてアメリカ音楽の全体像を捉えるうえで、この遡及方式はかなりお勧めではないか。