人は何故、ことばで思考をすることを感情の共感をもってサボタージュしてしまうのか。
そのことを改めて強く感じたのは、2016年8月28日の明仁天皇の「お気持ち」の表明に始まる国家規模のディスコミュニケーションをめぐってである。
この「お気持ち」発言をめぐって顕わになったのは、私たちが戦後憲法下における天皇について「考え」たくないという、「意志」でなく「感情」の国民的共有であった。それは、象徴天皇が日本国憲法の定める「国民の統合の象徴」であるのなら、天皇が可能にする「国民の統合」という公共性のあり方について主権者である私たちはそもそも考えたくないぞ、というサボタージュの選択だった、と言える。だから本書は、明仁天皇の「考え」に反する形で、いかに私たちが私たちに都合良く「お気持ち」の水準でこの問題をやり過ごし、平成を不作為に終わらせようとしているのかについて考えるところから始めたい。そのことをもって、「明仁天皇の時代」(ぼくは皇太子妃との結婚以降をそう定義する)を通じて私たちが「天皇」について考えることをいかにサボタージュしてきたかについて「考える」ことを主題とする本書の序章とする。
†「御意向」が「お気持ち」にすり替えられた
NHKのスクープによって2016年7月14日、「生前退位の意向」が一斉に報じられた時点では「御意向」と表現されていたものが、「お気持ち」へと表現を変えたのは、二週間後の7月29日あたりである。同日の『朝日新聞』夕刊はこう報じる。
天皇の位を生前に皇太子さまに譲る意向を示している天皇陛下が、8月にお気持ちを表明する方向で宮内庁が調整していることが、関係者への取材で分かった。天皇陛下が直接お気持ちを示す場を設け、記者が同席することも検討されている。日程は8月8日を軸に、15日前後も候補にあがっており、詰めの調整が進んでいる。
退位を実現させるためには、皇室制度を定めた皇室典範の改正などが必要になってくるため、天皇陛下の表明を受け、政府は対応を検討することになる。
天皇陛下はかねて「象徴としての天皇の地位と活動は一体不離」との姿勢を示し、公務を重視してきた。近年は年齢に伴う体力的な不安をごく親しい人たちに話すこともあり、天皇としての務めを全うできなければ退位もやむを得ないという意向を伝えてきた。
(『朝日新聞』2016年7月29日夕刊)
記事前段では「お気持ち」の表明に向けての調整が進むと報じる一方、後段では「象徴としての天皇の地位と活動は一体不離」という「姿勢」を明仁天皇は示してきた、とある。「お気持ち」会見で明確に示すことになる彼の象徴天皇観の存在が明記されていながら、一方ではそれを「姿勢」と非言語的な何かとして記事は表現している。同時に「意向」という少なくとも「意志」の存在を感じさせる表現も、後退していく。
つまり「意志」や「考え」が「お気持ち」という感情の領域へとすり替わっていくのだ。
こういった表現上の過度の慎重さの背景には、一つは天皇の「政治」への抵触を回避しなくてはいけないとする宮内庁なり皇室ジャーナリズムの配慮があったことは推察できる。しかし、同時にこのような微妙なことばの変化には、明仁天皇が象徴天皇制のあり方について公的な見解を述べることで政治制度に働きかけようとする、違憲行為に接近しようとしていることへの自覚が、明仁天皇やその周辺にはあった、ということもうかがえる。言うまでもなく日本国憲法下の天皇は国政に関する権能を有しない。しかし「お気持ち」発言は、結果として退位に関する法の制定を導くこととなった。やはり「政治」への作用は否定できない。だから「お気持ち」表現は憲法上のリスクヘッジではあった。
だが問題なのは、そのことによって「お気持ち」発言の意味がミスリードされたことにある。
†「個人」として語った天皇
それにしても「お気持ち」として表明された明仁天皇のことばは何を語っていたのか。改めて真面目に考え、理解してみよう。
実はこの「お気持ち」表明は、現在、宮内庁のHPでは「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」と表記されている。「お気持ち」ではなく「おことば」である。他方で象徴天皇の職能のあり方がその主題であるとタイトルから中身がうかがえる。また、そもそも宮内庁の天皇や皇室関係者の発言の分類に「お気持ち」という項目は実は、存在しない。
だからここではその題名の示すところに従い、明仁天皇の「ことば」を理解するという当り前のことをしてみよう。
彼はまず自分の年齢や体力面を踏まえ、「天皇としての自らの歩みを振り」返ったこと、そして次にその上で、今後の「自分の在り方」について「思いを致すように」なったと切り出す。一応、慎重に「考え」でなく、「思い」という語を一度は選択しつつ、こう話す。
戦後70年という大きな節目を過ぎ、2年後には、平成30年を迎えます。私も80を越え、体力の面などから様々な制約を覚えることもあり、ここ数年、天皇としての自らの歩みを振り返るとともに、この先の自分の在り方や務めにつき、思いを致すようになりました。
本日は、社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います。
(「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」2016年8月8日、宮内庁HP)
天皇の政治制度(当然、天皇という存在そのものも憲法と皇室典範という法に定められた政治制度の一部である)への介入は許されぬから、「私が個人として」「考えてきたこと」を「話す」というロジックである。だが、ぼくがこのくだりにこそ注目するのは、ここで何より彼が主張しているのは、これから「私の考え」を私は表明する、という彼の意思だからだ。つまり、私はこれから一人の個人として発言する、と言っているのだ。自分の考えを外に向かって発信するのは言うまでもない近代的個人の前提である。彼はそういう「個人」として国民に向けたビデオメッセージのカメラの前に立ったのだ。
そのことを見落としてはいけない。
明仁天皇の退位発言を天皇の人権問題としてとらえるスタンスは、老齢の彼が職務を自身の判断でリタイアできる「自己決定権」の問題として、憲法の定める幸福追求権から論じる記事(例えば、長嶺超輝「天皇陛下の基本的人権 ―― 日本国憲法から読み解く」『Newsweek』2016年8月18日配信)などからその存在が確認できる。天皇への人権擁護論から退位を認めるべきではないかという考えは、全体としてリベラルの側からなされた印象がある。
しかし、「お気持ち」発言で彼はそういう「私・個人」の権利を主張しているのではない。
これから見ていくように、明仁天皇は象徴天皇制についての「私・個人」の「考え」を「お気持ち」発言において述べるのだ。つまり象徴天皇制という、戦後憲法が設計する公共性についての「考え」を、自身の長い経験を生かし表明した上で、自分がその公共性を今後担うことが可能なのかを問うている。つまり彼は「象徴天皇制」という公共性の新しい合意形成に参加する一人の「個人」として語り始めるのである。
彼はビデオメッセージの中で真摯にそのような「個人」としてあろうとしたのだ。
(以下、『感情天皇論』に続く)