ちくま新書

「和解の時代」から「大国の時代」へ

財政危機、自爆テロ事件の多発、移民問題、イギリスのEU離脱交渉の難航など、いま現代ヨーロッパが直面する困難があらわになっています。この状況はどのように生まれたのか、複雑なヨーロッパの問題を歴史に立ち返って考えます。松尾秀哉『ヨーロッパ現代史』の「はじめに」をお読みください。

†「和解」からの逆戻り
 いったいどうしてしまったのだろうか。
 わずか世界の面積の3%ほどの小さなヨーロッパ(現EU加盟国。2018年末時点)は、20年ほど前までは私たちにとって憧れの地だったはずだ。特に英仏を始めとする西欧諸国はデモクラシーの発祥の地であり、お手本だった。また第二次世界大戦の惨禍から復興して経済を立て直し、しかもむき出しの資本主義に流されることなく、福祉国家体制を確立してきた。同時に仏独の対立を超越すべく、欧州統合という未曾有の大実験を成功裡に進めてきた。他の多くの地域や国が西欧に倣った。
 しかし、この数年、ヨーロッパは喘いでいるように映る。サブプライム・ローンの破綻に続くリーマン・ショックの影響下で露わになったギリシャに端を発する財政危機。シリアから到来する数多くの難民。これらの問題への対応をめぐる各国の足並みの乱れ。そのなかでドイツが存在感を強め、他方でフランスや他の西欧諸国では反移民や反EU、自国中心主義を掲げるポピュリズム勢力が一定の支持を集めている。東に行けば、ロシアの単独行動が目を引く。
 またフランスやベルギーで多発した自爆テロ事件は、「多文化の共存」というヨーロッパ社会の矜持を揺るがしている。こうした安全保障を一因として、いよいよイギリスはEUからの離脱を決断した。しかし、その手続きをめぐり執筆時点ではイギリスも右往左往しているように映る。
 この流れは2018年に入りイタリア、そしてかつて福祉国家のモデルだった北欧スウェーデンでさえ止めることはできていないようだ。東ヨーロッパではハンガリーやポーランドで、難民受け入れに反対する勢力が支持を集め、自国の司法と対峙している。こうした混乱のなかで、ついにドイツでさえも移民・難民を排除しようと主張する勢力が一定の支持を集め、メルケル首相が将来的に党首を辞めることを公にした。ドイツ、フランス、ロシア、イギリス、そしてハンガリー……。第二次世界大戦後、「和解」を旗印にともに歩んできたヨーロッパは、再び「大国の時代」に逆戻りしているかのようだ。

†「大国の時代」へ
 本書は、このような混乱に至るヨーロッパの歴史を改めて整理しようとしている。もちろん現在の混乱を解説するものを含め、ヨーロッパ現代史を論じる本はすでに数多く出版されている。今回の混乱にしても「もうEUは瓦解する」という論調のものから「たとえイギリスが離脱したとしても、EUは存続しているではないか」と擁護するものまで多岐にわたる。本書の役割は、以上のような様々な議論をできるだけ考慮しながら、現代のヨーロッパが辿ってきた歴史を振り返ることにある。あたかも道に迷って心細くなりながら、はたと立ち止まって、歩んできた道を振り返り、「どこで曲がり間違ったか。いや間違っていなかったのか」と、ひたすら冷静に自分の立ち位置を判断しようとしているときのように、ここまでの歴史を振り返りたい。それを通じて本書は、歴史に潜む変化の契機を描きだそうとしている。
 コンパクトなサイズで、できるだけわかりやすくヨーロッパの現代史を論じるために、本書は、本来複雑な歴史を一本の線に沿って論じる。それは「和解の時代」から「大国の時代」へという線である。
 第二次世界大戦の反省から「和解」の道を歩み始めた西欧諸国だが、その代名詞である福祉国家体制は、冷戦終結後、グローバル化が進むなかで、邪魔者扱いされるようになっていった。国家は激しい競争にさらされて、次第にお互いのことを配慮する余裕がなくなり、「自分が勝つこと」だけに執着するようになった。国を勝利に導ける強いリーダーが支持されるようになり、多くの国民が、かつてならば横暴と批判されていたはずのリーダーの行動を許し、支持するようになってきた。かつて私たちは「弱い者いじめはいけない」と教えられてきた。しかし今では弱い者を虐げる政治家の言動が支持される。それが本書のいう「大国の時代」の正体である。
 本書は他に以下の点に留意する。第一に、本書は欧州統合史の本ではない。欧州統合は第二次世界大戦後のヨーロッパ各国の重要な事業であり無視できないが、その歴史は私よりもはるかに詳しい専門家が大勢おられ、しかも近年の色々な出来事によって多くの論考が執筆、出版されている。私は主に各国史をベースに、現代ヨーロッパの展開を論じることにした。
 第二に、「現代」とは、一般には20世紀以降、もしくは第一次世界大戦以降を指すことが多いだろう。しかし本書は和解体制としての福祉国家の成立を新しい時代のスタートと見ており、その変貌の先に今の混乱があると考えているので、第二次世界大戦後から話を始めることにする。

†本書の構成
 本書の構成は以下のとおりである。序章で、本書の見取り図(「和解の時代」から「大国の時代」へ)を簡単に説明する。そして、1950年代前から現在に至る歴史をおよそ10年刻みで区切ってテーマを設定する。各章は、2010年代以降を扱う第七章を除き、おおよそイギリス、フランス、ドイツを念頭に置いた三節と、共産圏の動向、そしてそれ以外の小国など、それぞれの時代に特徴的な動きが見えた諸国を取り上げる節の計五節で構成する。
 ただし終章は、現在進行中の事態を取り上げることもあって、国を単位とした括りでは問題を描くことが難しいと考えて、現在のヨーロッパの状況を六つの論点に分けて取り上げている。
 第一章は「戦後和解と冷戦の時代」である。この時代は主に福祉国家という戦後和解体制の出発を中心に描く。続く第二章は「繁栄から叛乱の時代へ」である。福祉国家は各国に繁栄をもたらしたが、そこに時代を動かす亀裂の契機が潜んでいた。第一の契機は60年代後半に訪れた。もちろん状況は各国それぞれだが、繁栄のなかで福祉国家形成に尽力してきた社会民主主義勢力はその成果が認められ各国で確固たる地位を得た。しかし福祉国家に救済されず不満を抱える者たちは、それを左派が体制側に寄ったとみた。これを「裏切り」と非難する若者たちの激しい反抗が、主に1968年を中心に繰り広げられた。
 68年を機に亀裂を生んだ戦後福祉国家体制は、1973年の第一次石油危機によってさらに追い詰められていく。それを描くのが第三章「石油危機と低成長の時代」である。各国は一様に低成長に苦しむ。そのなかで、福祉国家の限界を指摘する新自由主義勢力が台頭し、社会民主主義やキリスト教民主主義勢力と対立した。その対立に勝利した新自由主義勢力が次の約10年を牽引する。文字通り「新自由主義の時代(第四章)である。その中心に立つのはイギリス初の女性首相サッチャーであった。福祉国家の改革が推し進められ、それと同時にいよいよ社会主義経済システムは行き詰まりをみせ、ソ連は自由化を進めようとした。さらに堰を切ったように東西ドイツの統一、さらには冷戦の終結と東欧革命になだれ込んでいった。
 冷戦終結の含意を第五章「冷戦後の時代」で論じる。自由民主主義の勝利が高らかに宣言され、そのなかで社会民主主義勢力は従来の和解体制とは異なる、新しい和解の道を模索し始めた。ここにおいて戦後和解体制としての福祉国家は新しい形に変質していった。その新しい形である、イギリスやドイツで進められた「第三の道」に当初は大きな期待が寄せられたが、実際は戦後和解体制が大きく後退したにすぎなかった。また旧共産圏ではエスニシティが台頭し、悲惨な民族紛争が生じた。実は繁栄の時代に数多く西欧に到来した移民の存在が社会問題と化すのもこの時期である。移民の排斥を謳うポピュリズム政党が支持を集め、これが現在の自国中心主義の土台となった。
 第六章「グローバル化の時代」では、2000年代冒頭の状況を概観する。混乱のなかからロシアではプーチンが登場し、そしてサブプライム・ローンの破綻とリーマン・ショック。さらにギリシャの問題などに苦しむ西欧の姿を主に描く。
 終章「現代のヨーロッパ」では近年の西欧を中心とした政治社会の動向を論じる。スペイン、イギリス、ベルギーなどで台頭している分離独立運動、難民問題、テロなど現在のヨーロッパが抱える問題をできるだけ簡潔に解説し、最後に現代ヨーロッパの混乱の要因を筆者なりに整理してみたい。

†歴史に立ち返る
 現在のヨーロッパが抱える問題はあまりに複雑だが、こうした事態を目の前にして、われわれがまずすべきことは徹底して「歴史に立ち返る」ことだと思う。本書を通じて、多くの方が歴史に立ち返ることの大切さや面白さを感じていただければ、またヨーロッパの歴史に関心を持っていただけるならば、望外の幸いである。
 なお、本書は、もともと朝日カルチャーセンター札幌教室における拙講義「戦後ヨーロッパ史」(2017年度)の講義ノートをベースに、それを最終的に龍谷大学「ヨーロッパ政治論」(2018年度)の講義で肉付けし、まとめたものである。講義ノートがもとになっているということもあって、従来の議論に異論を口はさむことや学術的な新しい知見を提示することよりも、なるべくわかりやすくヨーロッパの現代政治史を紹介することを目的としている。
 各章、各国について一、二冊のテキストをベースに骨格を作り、筆者自身がわかりにくい、難しいと感じた部分を他の資料や文献で補足していきながら執筆した。なるべくカタカナの人名は少なくし、経済の数字を減らすよう心がけた。またどうしても無理な場合を除いて、時系列的になるような記述を心がけたつもりである。そのため新鮮な解釈を期待された方にはそれを裏切ることをお断りしておきたい。いわんや、私が他の諸先輩、同輩に口をはさめるとは思ってもいない。なるべくわかりやすく伝えるために、だけを考えて執筆したものだ。
 加えて本書執筆の過程で改めて驚いたのは、わが国における戦後西洋政治史の研究、テキストの豊富さ、充実ぶりだ。本書は内容のほとんどを本邦で出版された過去の成果に負うが、特に梅川・阪野・力久編著『イギリス現代政治史(第2版)』(ミネルヴァ書房)、渡邊啓貴『フランス現代史』(中公新書)、同『現代フランス 「栄光の時代」の終焉、欧州への活路』(岩波現代全書)、三島憲一『戦後ドイツ』(岩波新書)、森井裕一『現代ドイツの外交と政治』(信山社)、松戸清裕『ソ連史』(ちくま新書)、横手慎二『ロシアの政治と外交』(放送大学教育振興会)は考えるきっかけにもなったし、実際内容の多くを負う。感謝したい。その他にも、ここで全てを網羅することなどとてもできないが、一つの研究論文が生まれることの大変さを知っている者として、先輩方の研究蓄積に改めて敬意を表したい。そして講義ノートがもとだとはいえ、私のような者にそれを出版する機会を与えていただいたことに感謝したい。

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