ちくま新書

一見して地味なヨーロッパ中世史は、喧騒と色彩に満ちていた
『沈黙の中世史』より「はじめに」

「本書は、沈黙をとおした中世ヨーロッパをめぐる旅物語でもある。心性史、霊性史、歴史のなかの女性、あるいは感情史などに関心を持ってきた筆者なりの、中世世界のガイドブックである。」

はじめに

私は、自分の考えが疑わしいから黙るわけではありません。たしかに私には才能も知識も足りないので、美しくは述べられないかもしれませんけれど。でも、私はもっと、自分を喜ばせることに専念したいのです。
―― クリスティーヌ・ド・ピザン『薔薇物語』論争
ピエール・コルへの最後の書簡より

 声と音が生活の大部分を占め、音のない言葉がごく例外的な人々の間に限定された時代があった。本書が光を当てる中世ヨーロッパ(西暦でおよそ500〜1500年)とは、そういう時代である。

 中世ヨーロッパにはおおまかに二種類の言葉があった。俗語とラテン語である。

 俗語とは、フランス語やドイツ語、イタリア語、スペイン語、英語など、われわれがヨーロッパときいてまず思い浮かべる国々の言語の古いものである。

 イタリア語が中世と現代とでもっとも変化が少ないとされるが、そのほかのヨーロッパ諸語でも、現代の言語を学んでいれば、発音してみると、「あぁ、あの単語か」とわかることも多い。

 およそ500年以上も前の世界だと思うと不思議である。こうした俗語は、中世の人々が日常会話として用いた、声の言語である。

 他方、ラテン語は学んで身につけるもので、教養ある人々のための言語であった。中世ヨーロッパで書き言葉といえば、基本的にはラテン語を意味した。

 西ヨーロッパ全域の共通語であった点で、日本人にとっての英語に近い存在かもしれない。とはいえ日本で英語は、義務教育のカリキュラムに含まれている。だが、そうした教育制度がない中世では、ラテン語は一部の上層階級が独占するものであった。

 盛期・後期中世(12世紀後半以降)になると、都市の発展がめざましく、商業の発達で文字の読み書きを必要とする人が増えて独占状態が緩和される。俗語文学も書かれる。
だが、中世の大部分において、文字とは限られた一部の人のためのものであった。

 ほとんどの人にとって、言葉は声であった。

†声と音の世界
 声と音の世界である中世ヨーロッパは、現代の日本よりもうるさい。中世はもともと、ほとんど農民たちの世界である。

 農民たちは、種蒔きから刈り取りまでの円環的な時間のサイクルを繰り返した。他愛ない会話と、重労働である農作業を少しでも楽にすすめるための鼻歌、合間に空気をつんざくような出産の女性の叫び声と新生児の元気な泣き声が聞こえる。
 

ジャン・シャルティエの『年代記』より。1435年のアラスの和訳がランスで宣言されたときの様子。二人の伝令が馬に乗ってトランペットとともに伝える
『マリ・ド・ブルゴーニュの時禱書』より。小さな鐘を手に、葬送儀礼に関わるお触れを告げる人
 中世都市では統治者による儀式や報せの音声のほか、物売りの声が鳴り響いており、ちょっと虫の居所が悪い主人の怒鳴り声や喧嘩の罵声などは、まったく気にならないくらいであった。

 鐘の音が祈りの時間を告げ、都市の市門の開閉を左右したために、鐘を鳴らす権利を持つ人たちと地域の権力者の系譜が一致した。これほどに中世ヨーロッパとは、声と音に満ちた世界だったのである。

 だが、本書は、沈黙と銘打っている。

†聖書の普及
 中世で文字を知る限られた階層を占めたのは、修道士や聖職者らキリスト教世界を引っ張っていく人たちであった。

 西洋中世は、ほとんどの人がキリスト教徒(現代で言うカトリック教徒)であった時代である。

 イベリア半島(現代のスペインやポルトガルにあたる地域)や南イタリアなど、場所によってはイスラームなりユダヤ教徒なりが比較的数多く暮らしていたが、いまの私たちがヨーロッパときいてまず思い浮かべる国々の大部分は、キリスト教をもとに秩序を形成しようとしていた。

 キリスト教とはユダヤ教をもとにしたものであり、『旧約聖書』はユダヤ人の経典と内容的には多くが重なる。そのため、神の言葉である聖書はもともとユダヤ人(ヘブライ人)の言語であるヘブライ語や、イエスが話したとされるアラム語で書きしるされた。

 古代地中海世界の覇権を握ったローマ帝国のもとにキリスト教が形を成していったために、聖書はやがて、当時の公用語であったギリシア語(コイネーと呼ばれるもので、古代ギリシアで用いられたそれとは厳密には異なる)に訳された。

 また、教えが広まるにつれて、聖書を断片的、あるいは全体的に、ローマで通常用いられたラテン語に訳そうとする動きが見られた。

 初期キリスト教時代、イエス論(歴史上のイエス・キリストは人間か神かといった論争)や三位一体説、原罪論などキリスト教にかかわる重要な教えを決定し、ギリシア語やラテン語で著作を残した知識人を教父と呼ぶ。

 教父のうちのヒエロニムス(347頃〜420)は、当時ばらばらに存在したラテン語版聖書をギリシア語版聖書と突き合わせて校訂し、ヘブライ語やアラム語により詳しい人たち(ユダヤ人でキリスト教徒となった人たち)の助けを借りながら、ラテン語の聖書の決定版をつくった。

 これが『ウルガタ』(vulgata、「普及した(もの)」という意味)と呼ばれるもので、中世で文字の読み書きをする人々がラテン語の読み書きを身につけようとしたのは、ラテン語のこの聖書を読み、解釈するためなのである。

†聖なる言葉
 中世の人々はキリスト教徒であったから、身分のいかんを問わず一日のうちに定期的に祈りを唱えた。この祈りは基本的には、聖書にもとづくものなので『ウルガタ』のラテン語であった。

 だが、大部分の人はラテン語の読み書きができない。母親や父親、あるいは司祭や説教師から、耳でその言葉をならい、音で繰り返して覚えて唱えた。つまり、音としての、神を讃えるラテン語は、多くの中世人に共有されていた。

 庶民の多くはごく簡単な祈り以外はわからなかったし、口に出して唱えていても、内容を理解しているとは限らなかった。だが、聖なるありがたい言葉は、それそのものとして、音で繰り返すことで、救いにつながると信じられた。

 キリスト教には秘蹟というものがある。秘蹟とは、洗礼、堅信、聖餐、告解、終油、叙階、婚姻(ただし婚姻が秘蹟となるのは12世紀頃以降である)の7つで、目に見えない神の御業(恩寵)を目に見えるかたちにする儀式である。中世では秘蹟をとりおこなえるのは、聖職者のみであるとされた。そして聖職者には男性しかなることができなかった。

 聖職者が地域の人々に洗礼や告解、終油(死ぬ間際に受ける儀式)などのキリスト教に関わる儀式を授けるわけだが、誰もがキリスト教徒だった世界ならば、彼ら聖職者が必然的にリーダー的な存在となるのは想像に難くない。

 多くの人々と常に接し、必要な秘蹟を授ける聖職者たちは在俗聖職者とも呼ばれる。

 聖職者の内訳は、助祭、司祭、司教、大司教、そしてローマ教皇で、教皇がもっとも権威が高い、ヒエラルキー状の組織となっている。このヒエラルキーは、キリスト教の布教当初から想定されたものではなく、古代末・中世の社会に適合する形で、キリスト教が変容した結果である。

 日常の信仰生活にかかわるリーダーが在俗聖職者であったほか、人里離れた場所で厳しい禁欲のもと集団生活を送り、人々の救いを神に祈る専門家たちもいた。それが修道士や修道女である。

†中世世界のガイドブック
 最後に述べたグループの人たち、修道士や修道女の暮らす修道院は、もともと開墾運動のもと森を切り開いて建てられるものなので、喧噪の中世世界から隔たった空間である。
神への祈りに専心するため、文字通り沈黙の規範が支配する場所であった。第一章ではその規範と、修道士にとっての沈黙に注目してみたい。

 続いて第二章で、王や司教といった、中世世界の上層部の人たちの統治手法に注目する。そこでは声、とくに叫びが重要な役割を果たすのが見てとれるいっぽう、沈黙はいかなる役割を持つのだろうか。

 第三章では、中世キリスト教世界の理想的君主に見られる、感情の統御という規範への関心から、その規範の淵源と展開について、服喪の嘆きを手がかりに探ってゆく。規範では理性的で声など荒げない、沈黙が美徳とされる人間像が明らかであるが、その理想像がどこまで実際に存在感を持ったのか検討したい。

 第四章では、政治的・社会的にも変化の時代であり、キリスト教教育がより広い社会層に関して問題となった盛期・後期中世に分け入って、声や沈黙という観点から変わるもの、変わらないものについて考える。俗人の声も少しずつ聞こえてくるようになるだろう。

 第五章は、第四章までの女性版とでも呼べるもので、中世で沈黙の座に落ち込むことが多かった女性たちに焦点を当てる。基本的に上層の女性からはじまり、転換期である盛期中世に着目する。

 第六章では、後期中世にいたって、より活発に声を出すようになった俗人に注目する。いよいよ沈黙に居場所がないようにも思われるが、価値観はそう簡単には消滅しない。大げさなパロディの意味を考えてみたい。

 第七章では、中世のキリスト教的規範からは罪とされ、沈黙させられてきた男女の愛に着目する。そして、その規範で女性はイヴに連なる罪深い本性を持つとされてきたわけだが、その価値づけに初めて疑問の声を上げたのが、クリスティーヌ・ド・ピザンであった。彼女はいかなる意味で沈黙を破る人だったのだろうか。



 本書は、沈黙をとおした中世ヨーロッパをめぐる旅物語でもある。心性史、霊性史、歴史のなかの女性、あるいは感情史などに関心を持ってきた筆者なりの、中世世界のガイドブックである。

 中世は一見、輝かしい古代ギリシア・古代ローマと、ルネサンスとの間にはさまれた地味な時代である。だが、本当は色彩ゆたかな世界なのだ。

 どうかあなたもいきいきとした色、音、かたちと出会えますように。