ちくま新書

「令和」について、安倍晋三は何を語ったか

令和の時代が始まりました。
『感情天皇論』刊行によせて、平成31年4月1日に執筆された論考を、PR誌「ちくま」より転載します。

 新元号が決まるまでの間、「安」の文字を含む元号を水族館のアシカが練習するという奇態なニュースが流れたほどに、安倍元年の予感なのか(待望なのか)、そういう釈然としない空気の醸成があったので、さて、「令和」という元号が報じられると、香山リカが「『思いのほかまともじゃん!』と感じられ、安堵」とついツイートした気持ちはわからなくもないが、「令和」の意図するものについて安倍の平成31年4月1日の首相談話の発表会見の「ことば」に沿って短くだが考えておく。
 その発言と続く質疑のやりとりは以下の通りだ。
 まず安倍は「談話」として、出典となる万葉集を引用しつつ「令和」を「人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つという意味」だと定義する。そして万葉集を「天皇」から「農民」までが広く参加した「国書」だともする。
 続く質問は4社で、記者クラブの幹事社による「次の時代の国づくり」についての質問が最初である。これが、実は国書を典拠としたことへの質問と、ひとまとまりの問いであることに注意したい。
 対して安倍は、「『若い世代は』変わること、改革することをもっと柔軟に前向きに捉えている」と切り出し、「かつては何年もかけてやっと実現するレベルの改革が、近年は国民的な理解の下、着実に行われる」ようになったと自らの「改革論」を語るのだ。次の質問も記者クラブの幹事社で、それを挟み、幹事社外で指名されたのがニコニコ動画で、「若い世代について」の質問に対して安倍は「SNSを使いこなす新しい世代」「新しい文化」をニコ動のコメント機能まで持ち出して礼賛するのだ。この奇妙なニコ動の礼賛は参加型文化としてのSNSによる「新しいムーブメント」がもたらす「政治・社会」の変化への期待として表明され、それが元号を決めるポイントだったとも語る。幹事社以外で2社しか許されなかった質問にニコニコ動画が含まれていたことは気にしていい問題だ。
 さて、この一連の「ことば」で示された元号の意図は何か。一つは万葉集とSNSへの言及からの日本文化論である。万葉集に限らず短歌とは先行する古典からの引用による二次創作的表現である。出典とされる万葉の「序」(正確には「題辞」と呼ぶらしい)に中国古典籍の出典があるように、こういう二次創作性は古典から初音ミクまでを「日本文化」と総括する「協働」としてクールジャパン的文脈の中で賛美されてきた。つまり新元号の発表は日本文化がニコ動型参加文化であり、その担い手が新しい政治体制をつくっていく、と主張するものだ。
 しかし、今のSNS型参加文化の元型は、戦時下、翼賛体制がつくり上げた動員のシステムに既に見られる。それは「投稿」を促すことで投稿者が自ら動員される仕組みで、それが安倍のニコ動礼賛の理由でもあるはずだ。
 そしてもう一つは改憲の意思表示である。このSNS型自己動員で育った若者は改革を恐れないから、これまで時間のかかった改革を、web中心の自発的プロパガンダでやり遂げられるだろう、つまり「改元」の会見で「改憲」の見通しを堂々と語ったのだと伝わってくる。
 最後の質問は、皇太子の反応についての質問である。安倍は事前に皇太子に面談した内容については言えない、としつつ、皇太子が誕生日の会見で、平成天皇の姿を心にとどめ、「人々と共に喜び、あるいは共に悲しみながら、象徴としての務めを果たしていきたい」という「お気持ち」を明らかにしたと語る。平成天皇の示したこのような象徴天皇観を僕は以前から感情天皇制と呼んできたが、安倍は新天皇の「お気持ち」を忖度し、令和における新天皇の感情天皇制と「共に歩」むと、その政治利用をも宣言した。この感情天皇制の何が問題かは拙著『感情天皇論』を参照されたい。
 そして、あたかも令和が「お気持ち」にかなうとでも言いたげな安倍の会見を補完するかのように、皇太子は、新元号の報告に、にこやかに「わかりましたとうなずいた」と報じられた。まるで彼もまたSNSのフォロワーのように、令和に「いいね」とクリックしたかのように見えてしまった。

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