単行本

みんな困っている世界で
ブレイディみかこ『ワイルドサイドをほっつき歩け――ハマータウンのおっさんたち』書評

今度はおっさんだ!? ブレイディみかこさんの待望の新刊『ワイルドサイドをほっつき歩け――ハマータウンのおっさんたち』を、『ベルリンは晴れているか』の作家・深緑野分さんに評していただきました。世代の分断を超えて、世界の困難に立ち向かうために。PR誌『ちくま』6月号より転載。

 “世界の敵”っていったい誰だろう。個人的な敵じゃなくて、“世界の”敵。
 思い浮かぶイメージは例えばアドルフ・ヒトラーやポル・ポト、原子爆弾、特に今なら新型コロナウイルスだろうか。しかし――ウイルス・パニック後の世界がどうなるか不明とはいえ――二〇二〇年現在、“世界の敵”は、おじさんたちを指していたようである。かのバラク・オバマ前大統領でさえ「問題の根本はだいたいおっさんどもが悪い」的なことを言ってしまえたくらいだ。
 ブレイディみかこ著『ワイルドサイドをほっつき歩け――ハマータウンのおっさんたち』は、そのタイトルどおり、著者の身近にいるイギリスの労働者階級のおっさん(時におばさん)たちのエピソードを集めた社会派エッセイ集である。
 この“おっさん”はどこの世代を指すのかといえば、ベビー・ブーマー世代、第二次世界大戦が終わった直後から一九六〇年代前半までに産まれた人々である。日本の高度経済成長期は六〇年代いっぱい続くが、イギリスでは六〇年代から七〇年代にかけて停滞するので、ベビー・ブーマーと呼ばれるのは六〇年代も前半までだ。
 本書に描かれるおっさんたちもベビー・ブーマーで、現在は「ブレグジットに賛成した反移民&保守主義者のマジョリティ」と見做されている。昔はザ・クラッシュを聴き、自由を愛し、サッチャー時代には圧政に屈せぬとストライキを行った、誇り高き労働者階級の若者たちであった。今だって彼らの青春を描いた映画や小説が世代を超えて胸を打ち、心を熱くさせる。悪い人々なんかじゃないのだ。
 ……知らんがな。と言いたい人たち、わかるぞ。誰もが年を取るし世代批判は自戒せよだが、今そこで人を踏んでいる足はどかせって話である。辛酸味わい記録達成中の若い世代的にはおっさんの苦労なんてむしろざまあみろだ。奴らは差別問題も鼻で笑いやがり、「昔は楽で良かった」とのたまう。どうしてこっちが気を遣わにゃならんのだ! 正直、怒りたい。世代間闘争は本当に由々しき問題だ。私は両親が一九五三年生まれと同世代なので余計に頭を抱える。
 本書はそれを踏まえるからこそ「おっさんの人間くささ」に注力するし、読んで面白い。「刺青と平和」の盛大な誤字タトゥーには爆笑したし(それに彼のお相手は私と同世代なので時々耳が痛い)、「ワン・ステップ・ビヨンド」の最後はつい泣いてしまう。著者の筆致は時に辛辣だが、その目はどこまでも愛に満ちている。おっさんだって時代を選べない。ただ、社会を良くしようと前進し、やがて中心世代になれば胸を張って働くが、関節痛に悩まされる頃に自分は時代遅れだと気づき戸惑う。滑稽だけど真剣、つまりごく普通の人間で、同じ時代を共に過ごす社会の一員なのだと著者は投げかける。ならば、どうするか。
 世代間闘争は永遠に続く。とりあえずセクハラもパワハラもやめてほしいが、先は長そうだし、残念ながらこの世にハッピー・エンドは存在せず、いつの時代も若者は「上の世代にとってのハッピー・エンド」のツケを払い、その続きを生きねばならないからだ。同情すべきは、今や上の世代すらも幸せな幕引きができない点だろう。その根拠は本書を読めばわかる。誰が困っているのか? 答えは「みんな困っている」。世界は分断のあっち側もこっち側もひっくるめて、悪い方に爆走しているのだ。
 ベビー・ブーマー世代を親に持つ私たちは、いつまで彼らを下ろさないまま「自分たちは下の世代」と逃げていられるだろうか。おっさんがどいてくれないと嘆くのをやめ、オルタナでも新思想でも何でも持ち寄って、メインストリームのど真ん中で「さて」と大声で話しはじめる時期だ。手遅れになり、誰も救えなくなる前に我々は重い腰を上げて中心に立ち、上に疎まれ、やがて若い世代からも煙たがられて退くおっさんおばさんになろう。
 その最中には、「平和」よりむしろ「中和」の気持ちが必要なこともあるかもしれんと、本書を読みながら思うのだった。