ちくま新書

低福祉・高負担な日本の惨状

消費税増税で消費が冷え込んでいるさなかの2020年、世界的な新型コロナウイルスの流行が日本を直撃しています。年金、医療、介護、子育て支援・保育無償化などの惨状を解説。そもそも消費税とはどのような税制なのか。そして、これからの社会保障はどうあるべきか提言する『消費税増税と社会保障改革』の冒頭を公開します。

†まるでクイズのように複雑
 2019年10月1日、消費税が10%に引き上げられた。同時に軽減税率やポイント還元もはじまったが、小売りの現場は大混乱に陥った。
 第一章でみるように、小売企業などの対象店舗で、クレジットカードやスマートフォンによるQR決済などキャッシュレス決済をした場合にポイント還元がなされるが、当初は、店の還元率が本来適用されるべきものとは違っていたり、店を探すためのスマートフォン用アプリに間違った位置が表示されるなど、トラブルが続出した。そもそも、制度の仕組みを理解していない人、収入等の要件を満たせずにクレジットカードが作れずキャッシュレスで決済できない人にとっては何の恩恵もない。中には、ポイント還元がずっと続くと勘違いし、クレジットカードを作った後で、期限があることを知って憤っている人もいた。
 軽減税率も、似たような商品でも税率が異なり、同じ商品でも食べる場所によって税率が異なるなど、複雑怪奇というほかない。たとえば、飲食料品の購入の場合は8%で、外食の場合は10%になるが、持ち帰り(テイクアウト)の場合は8%となる。アルコール度数が10%以上の「みりん」は酒税法上の酒類となるので10%、糖類などから造られる「みりん風調味料」は酒類ではないため8%の軽減税率。ミネラルウォーターは飲用なので8%、水道水は、洗濯や風呂など飲用以外に使われることもあるので10%。まるでクイズ番組の世界だ。軽減税率に対応するべく導入を余儀なくされたレジの不具合も相次いだ。
 ほどなくして、インターネット上で、「イートイン脱税」という造語が広まった。飲食料品の軽減税率制度の下、コンビニエンスストア(コンビニ)やハンバーガーショップの会計を税率8%の持ち帰り価格で済ませ、外食だと10%になる税率の差額を支払わず店内で飲食する行為を指して生まれた用語だ。コンビニなどは、持ち帰りが基本の業態であるため、会計の際、店内飲食(イートイン)の有無をいちいち尋ねたりはしない。イートインを自己申告した者だけが10%分を負担する、つまり正直者がばかをみるという「不公平」感から生まれた用語で、「脱税」という言葉にインパクトがあったためか、またたくまに流布した。しかし、消費税の納税義務者は、年商1000万円以上の事業者であり、持ち帰りとみせかけて店内で飲食した消費者ではない。納税義務のない人が「脱税」することなどありえず、明らかな誤用だ。消費者同士で「ずるい」などといがみ合うのではなく、事業者(店側)が、客の全員に8%の税率で商品を販売した事実通りに確定申告すれば済む話なのである。「消費税」というネーミングにも問題があるが、大多数の国民が、消費税の基本的な仕組みや本質を理解していないことを象徴する造語であった。

†介護現場からの悲鳴!
「地方では、人手不足が深刻で、事業所が閉鎖に追い込まれている。(ホーム)ヘルパーの平均年齢は60歳近くで、若い人はほとんどいない。このままでは、ヘルパーは消滅してしまう」
 消費税の増税から1か月後の2019年11月1日、介護保険の訪問介護を担っているホームヘルパー(以下「ヘルパー」という)たちが、介護報酬の引き下げが続く中、労働基準法違反の状態に置かれているのは国の責任だとして、国家賠償請求訴訟を起こした。その原告の一人の言葉だ。
 消費税の増税は、社会保障の充実のためといわれながら、社会保障費は削減され続けている。なかでも、介護保険のもとで介護事業所などに支払われ、介護職員の給与となる介護報酬は、2000年に介護保険がはじまってから20年、基本報酬は平均で20%以上も引き下げられてきた(介護保険開始時が一番高い報酬だった!)。いまや介護の現場では、安い給与と過密労働で介護職員の疲弊、離職が加速し、募集をかけても人がこないという状況が常態化している(第五章3参照)。中でも悲惨なのが在宅介護を支える訪問介護の現場だ。ヘルパーの高齢化が進み、全国的に三十代、四十代のヘルパーのなり手がなく、現状のままでは、10年もたたないうちに、ヘルパーは枯渇していく可能性が高い。国家賠償請求訴訟の原告の言葉は、この危機的状況に何の手も打とうとしないばかりか、介護報酬の削減で危機を加速させている安倍政権の無策への怒りの告発といってよい。
「年を取っても少しは装いたいと思っても、美容院に4か月に1回。……お化粧品は全然買いません。それで、お洋服もバザーで買ったりとか、全然買いません……(年金引き下げで)本当にお先真っ暗です。これ以上年金下がったら、預金もそんなにないし、治療費もかかって、そんなことを考えると心配です」
「(生活保護を受けたらと貧困状態にある知人に勧めたところ断わられ)、今の状態だったら病気になって(お金が払えず病院にも行けず)死ぬこともあるよという話をしましたけれども、それは自己責任だからしょうがないと言われました」
 これは筆者が原告側の学者証人として陳述した年金減額違憲訴訟の福岡地方裁判所の公判での原告の陳述である(2019年11月25日)。
 2013年10月から、特例水準(物価が下落した時期に特例として年金給付が据え置きとなっていた水準)の解消を名目に、老齢・障害・遺族年金が引き下げられ(13年から15年まで3年間で2・5%減額)、母子世帯などに支給される児童扶養手当や障害のある子どもへの手当なども減額された(同じく3年間で1・7%減額)。2015年4月には、年金給付額を物価・賃金の伸びより低く抑えるマクロ経済スライドがはじめて発動され、2・3%の物価上昇に対し年金上昇は0・9%増に抑えられた。2020年度も、マクロ経済スライドが2019年度に続き2年連続で発動され、物価変動率に比べ年金給付は実質0・3%削減された(第三章6参照)。消費税の増税の一方で、年金は削減されているのである。高齢者の生活は苦境に立たされ、前者の原告の陳述にあるように、衣類も満足に買えない生活状況だ。
 高齢者の貧困が深刻化し、生活保護を受給する高齢者が増大しているものの、それでも、生活保護の捕捉率(生活保護基準以下の人で実際に生活保護を受給している人の割合)は、2割と推計されており、他の先進諸国に比べれば、日本は断トツに低い(イギリス87%、スウェーデン82%など)。恥の意識(スティグマ)や家族に迷惑をかけたくないという気持ちから生活保護を受給していない人も多数いる。深刻なのは、後者の原告の陳述にあるように、支援が必要な人ほど、国に助けを求めず、自己責任論の呪縛にとらわれていることだ。なぜ、こうした事態になったのか。消費税の導入から、その経緯をたどってみよう。

†歴代政権を揺るがしてきた消費税
 1989年4月に税率3%でスタートした消費税は、8年後の1997年4月に5%に引き上げられ、さらに、安倍晋三政権になって、2014年4月に8%に引き上げられた。この間17年かかっている。8%から今回の10%への引き上げ(食料品等は8%のまま据え置きとはいえ)までは、わずか5年半である。同じ政権(内閣)のもとで2回も消費税が引き上げられ、税率も倍になった(5%→10%)。
 導入から30年余り、消費税は前身の売上税のときから、時の政権の命運を左右してきた。
 税収における直接税(所得税や法人税など)の比率を下げ、間接税(消費税など)の比率を高める「直間比率の見直し」をはかるべく、大型間接税の導入が提案されたのは、1979年の大平正芳内閣の一般消費税にまで遡るが、法案として提出されたのは、1987年の中曽根康弘内閣のもとでの「売上税」が最初だ。しかし、売上税は、国民の強い反対にあい、一度も法案が審議されないまま廃案に追い込まれ、中曽根内閣も退陣に追い込まれた。
 売上税の頓挫に懲りた与党自民党と大蔵省(当時)は、売上税に反対した業界を懐柔するなど、周到に準備を進めて、売上税から消費税と名称を変え、竹下登内閣のときの1988年に法案を提出、衆参両院とも強行採決の連続で、法案を成立させた。そして、1989年4月に、消費税が導入され、この暴挙のため、竹下内閣は、内閣支持率を一桁に落とし総辞職、かくして、しばらくは、自民党政権のもと消費税には手を付けないことが通例となった。
 1994年には、非自民の連立政権のもとで、当時の細川護熙(ほそかわもりひろ)首相が、7%の国民福祉税構想(実態は消費税の増税)を打ち出したが、すぐに頓挫した。しかし、1995年に成立した、自民党と社会党および新党さきがけによる、いわゆる「自社さ政権」のもと、社会党の村山富市首相は、これまでの「消費税絶対反対」という方針をくつがえし、消費税率5%アップを決めてしまった。これがきっかけとなって、自社政権は倒れ、現在に至るまでの社会党(1996年からは社会民主党)の凋落をもたらした。その後、自民党単独政権となった橋本龍太郎内閣のもとで、1997年4月から消費税率が5%に引き上げられたが、アジア金融危機とも重なり、深刻な消費不況を引き起こし、橋本内閣も総辞職に追い込まれた。自民党政権のもと、消費税はタブー視され、引き上げの議論は封印された。
 2009年に成立した民主党政権でも、鳩山由紀夫首相は「消費税率は4年間引き上げない」とするマニュフェストを掲げていた。しかし、鳩山内閣退陣後の菅直人内閣は、突如、消費税率10%への引き上げを表明、2010年の参議院選挙で惨敗した。その後を継いだ野田佳彦内閣は、2012年に、社会保障・税一体改革として、消費税率10%への段階的な引き上げを、当時野党であった自民党・公明党と結託し三党合意で成立させた。
 消費税率を上げないとの公約を覆した民主党政権は、他の失策も重なり、国民の信頼を失い、2012年12月に瓦解(がかい)、自民党が政権を奪還、公明党との連立で安倍晋三政権が成立した。まさに、消費税の扱いは政権の命運を左右する「鬼門」といえた。その後、民主党は、かつての社会党と同様、党名の変更(民進党)から分裂(立憲民主党と国民民主党)へと凋落の道をたどり、現在の「安倍一強」といわれる長期政権の出現を許すことになった。

†消費税を選挙利用した安倍政権
 安倍政権は、2014年4月の消費税率8%の引き上げは三党合意どおり断行したものの、経済の悪化を理由に(実際は、2014年12月の衆議院選挙、2016年7月の参議院選挙に勝利するために)、2回にわたり10%への消費税率引き上げを延期した。第二章でみるように、経済優先と「アベノミクス」と呼ばれる経済政策を全面に押し出し政権奪取をはかった安倍首相は、消費税増税が日本経済に壊滅的な打撃を与えることをある程度理解していたと思われる(安倍首相本人が「消費税は上げたくない」と言っていたという情報もある)。
 安倍首相は、2014年11月の1回目の延期(2015年10月→2017年4月)の際に、消費税法の「景気弾力条項」を削除し、リーマンショック級の金融危機や東日本大震災並みの自然災害が起きた場合以外は再延期しないとしていた。しかし、結局、2016年6月に、「新しい判断」と称する苦しい説明で、再延期(2017年4月→2019年10 月)を余儀なくされた。さらに、2017年9月には、今度は増税延期ではなく、社会保障・税一体改革の際に定められた消費税率10%の引き上げによる増収分の使い道を変更し、幼児教育・保育の無償化など子育て支援に回し充実するとして、衆議院の解散・総選挙に打って出た。衆議院総選挙では、野党第一党であった民進党の分裂もあり、自民・公明与党が勝利した。
 安倍政権の選挙公約であった消費税の使い道の変更と幼児教育・保育の無償化などは、同年12月に、閣議決定された「人づくり革命」において具体化された。すなわち、8%から10%への引き上げで、5兆円強の税収増になるが、そのうち軽減税率の導入に伴う減収が1兆円程度となるので、国債の発行抑制などの部分であった1兆7000億円程度を「人づくり革命」と称して、幼児教育・保育の無償化と高等教育の無償化、保育士・介護職員の処遇改善などの施策に用いるというものだ(図表序-1)。

図表序-1 消費税率10% 引き上げによる社会保障の充実・安定化のイメージ図

†ちぐはぐな増税の見返り
 幼児教育・保育の無償化施策の具体的な内容の検討は第六章に譲るが、安倍政権は、消費税率10%への引き上げに、よほど自信がなかったのだろう、2018年末には、増税による経済への影響を緩和するため、「消費税の増税分をすべて国民に還元する」として、総額6兆円にも及ぶ対策を打ち出した(詳しくは第一章4参照)。そもそも、丸ごと還元しなければならない増税分ならば、はじめから増税などしなければいいのだが。
 参議院選挙前の2019年6月には、金融庁の金融審議会・市場ワーキンググループが、年金給付の減少で老後30年間に夫婦で2000万円の蓄えが必要などとする報告書を公表し、大きな波紋が広がった。政府が、公の文書で、公的年金制度は頼りにならず、望むような生活ができなくなるから資産を運用しろと、国民にあからさまに自助、生活の自己責任を求める内容であり、第三章でみるように、年金を減額し続け、無年金・低年金受給者の問題を放置してきた安倍政権の年金政策への不信と批判が一挙に噴出したといえる。
 しかし、「老後2000万円問題」も、2019年10月からの消費税増税も、2019年7月の参議院選挙の大きな争点になることなく(安倍政権が巧みに争点化させなかったといえるが)、自民党は議席を減らし、選挙前の改憲勢力の3分の2の議席を確保できなかったものの、自民・公明両党の政権与党は71議席と過半数の議席を維持した。各種の世論調査では、消費税増税に反対が過半数を占めていたのに、政権与党が過半数に達したのはなぜか。増幅する老後不安を解消するには、年金制度を立て直さなければならない、その財源確保のためには、消費税増税もやむを得ないと認識する人が増えたのかもしれない。うがった見方をすれば、「老後2000万円問題」の発端となった金融庁の報告書自体が、消費税増税を正当化し、増税賛成に世論を誘導するために仕掛けられたものだったといえなくもない。
 先の増税対策で安心したのか、それとも森友学園問題で財務省に恩を売られたためか、消費税増税の三度目の延期(もしくは凍結)はなく、ついに、安倍政権は、2019年10月から消費税率10%の引き上げを断行した。かくして、安倍政権は、二度にわたり消費税増税を断行したにもかかわらず、総辞職に追い込まれなかった初の政権となった。

†増税タイミングとして最悪
 しかし、今回の消費税増税は、過去2回の延期時以上に、日本経済に陰りがみえはじめ、デフレ経済が続く景気後退局面で断行され、まさに最悪のタイミングの増税であった。
 すでに警鐘はならされていた。経済の悪化を示す数値が相次いで発表されていたからだ。消費税率8%への増税(2014年4月)から5年半が経過しても、家計消費は回復どころか、増税前に比べて年間20万円以上も落ち込んだままで、消費の冷え込みが続いていた。増税前の2019年8月に、内閣府の発表した景気動向指数は基調判断を「悪化」に下方修正し、同じく内閣府の発表した消費者心理の明るさを示す消費者態度指数は、同年9月に12か月連続で悪化し、過去最悪の水準に落ち込んだ。
 増税後も経済の悪化は加速している。総務省が発表した2019年10月の家計調査では、二人以上世帯の消費支出は前年同月比5・5%減となった。減少は11か月ぶりで、減少幅は2014年4月の前回増税時の4・6%減を上回った。また、日本銀行が発表した「全国企業短期経済観測調査」(いわゆる日銀短観)でも、企業の景況感を示す業況判断指数(「良い」と答えた企業から「悪い」と答えた企業を差し引いた数値)が、大企業製造業でゼロとなり、前回調査から5ポイント低下、6年9か月ぶりの低水準となった。さらに、内閣府の景気動向指数も、2019年10月は前月より5・6ポイント低下、これは東日本大震災のあった2011年3月やリーマンショック後の2009年1月に次ぐ下げ幅となった。

†消費税増税と新型コロナのダブルパンチで大不況へ
 2020年3月、内閣府が発表した2019年10〜12月期のGDP(国内総生産)改定値は、年率換算でマイナス7・1%と大幅に落ち込んだ(2月の速報値マイナス6・3%を下方修正)。GDPのマイナス成長は5四半期ぶりで、消費税増税に加え、2019年秋に相次いだ台風災害などの影響で、GDPの約6割を占める個人消費が前期比2・8%のマイナスとなり、民間企業の設備投資も前期に比べ4・6%の落ち込みとなった。内需の低迷は明らかで、新たな消費不況に突入したともいえる。
 2014年4月の8%への引き上げの時も、消費が大きく落ち込んだものの(現在まで増税前の水準に回復していない)、外需・輸出が好調だったために、なんとか持ちこたえることができた。今回は外需・輸出も、米中貿易摩擦の影響で低迷、また日韓関係の悪化で韓国からの訪日客が激減し、地方経済を支えてきた観光業に陰りがみえていた。山形県では、消費税増税の影響で、2020年1月、老舗の百貨店「大沼」が倒産、従業員約200人が解雇されるに至った。愛知県蒲郡市の温泉旅館も倒産するなど観光業を中心に中小企業が大きな打撃を受けつつあった。
 ここに追い打ちをかけたのが、2020年1月からの中国発の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の拡大だ。世界経済を牽引してきた中国の経済成長が大きく鈍化し、日本国内でもインバウンドの中国人観光客が激減し、観光業と地方経済に壊滅的な打撃を与えている。中国でも人やモノの移動が制限され、進出した日本企業の現地生産に影響が出ている。国際的なサプライチェーン(部品供給網)が断ち切られ、中国からの部品調達が遅れ、日本国内の生産活動も滞り、製造業を中心に軒並み企業業績を下方修正する緊急事態ともいえる状況だ。後述のように、消費税増税とのダブルパンチで、景気が急速に悪化し、企業の倒産と失業者が急増しつつある。

†メッキがはがれた増税理由
 一方で、冒頭の現場からの声にみられるように、安倍政権のもと、消費税は二度にわたり増税されたが(5%→8%→10%)、社会保障は充実するどころか、削減されている。
 2020年度予算でみると、医療・介護などの社会保障費の自然増部分(高齢化の影響などで自然に増大する部分)が概算要求段階の5300億円から4100億円に削減された(1200億円の削減)。安倍政権になってから2018年末までを振り返ってみても、医療崩壊をもたらしたといわれた小泉政権の時代を上回る1・6兆円もの大幅削減がなされてきた。同時並行で、社会保障削減を内容とする法律が次々と成立、生活保護基準や年金などの引き下げが断行されている。
 中でも、社会保障の中心をなす社会保険制度(年金・医療・介護)については、保険料の引き上げ、給付水準の引き下げ(マクロ経済スライドによる年金水準の引き下げ)、給付要件の厳格化(特別養護老人ホームの入所対象者を要介護3以上に限定など)、患者・利用者の自己負担増が次々と断行され、保険料や自己負担分を払えない人が、必要な医療や介護サービスを受けられない事態を招いている。また、年金から天引きされる保険料の増大や年金給付の減額は、年金生活者の生活困難を増大させている。
 そもそも、消費税の増税は、社会保障の充実のためではなかったのか。この間、安倍政権のもとで進められている社会保障の削減をみれば、それが虚偽であったことは明らかだ。消費税の増税と社会保障削減で、国民は生活不安(とくに老後の不安)を抱え、財布の紐が固くなって貯蓄に回している。これでは消費が低迷するのも当然だ。

†子どもの貧困は放置
 日本国憲法(以下、本書では「憲法」と略)25条1項は、国民の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」(「生存権」といわれる)を明記し、同条2項は「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と規定している。国(都道府県や市町村など自治体も含むとされている)の社会福祉・社会保障における責任を明記しているわけだ。この憲法25条の規定を踏まえ、社会保障を定義するならば、失業しても、高齢や病気になっても、障害を負っていても、どのような状態にあっても、すべての国民に、国や自治体が「健康で文化的な最低限度の生活」を権利として保障する制度ということができる。そして、憲法25条1項で保障されるべき生活水準は、生存ぎりぎりの「最低限度の生活」(すなわち、ヒトとしての生命体を維持できるぎりぎりの生活)ではなく、「健康で文化的な」ものでなければならないと解されている。
 しかし、日本では、社会保障が脆弱で十分機能せず、社会保障の削減が続いているため、子どもから高齢者まで全世代にわたり貧困が深刻化している。高齢者の貧困問題については第三章で検討することとし、子どもと若者の貧困の様相についてみていこう。
 2017年6月に、厚生労働省が発表した2016年の国民生活基礎調査(2015年の所得)によれば、日本の相対的貧困率は、前回調査(2012年の所得)の16.1%から15.6%に低下した(図表序-2)。

図表序-2 相対的貧困率と子どもの貧困率の推移

12年と15年の二回の調査を比較して、安倍首相は、アベノミクスと自称する経済政策の効果で貧困率が低下したとしているが、これは数字のマジックだ。
 相対的貧困率(以下、単に「貧困率」という)とは、所得のない人から、最高所得者まで並べて、そのちょうど真ん中の人(その人の所得を中央値という)の2分の1未満の所得しかない人の割合をいう。これは世界各国の貧困率を比較する際の物差しになっている。貧困率をOECD(経済協力開発機構)加盟国で比較すると、日本より高い貧困率を示しているのはアメリカなど数か国にすぎず、しかも、日本の場合、1985年(当時の貧困率は12%)以降、若干の減少はあったが上昇を続けている。中央値の2分の1未満の所得(貧困線)も、1997年の149万円(月額12万4000円)から、調査のたびに下がり続け、2016年調査では122万円(同10万2000円)となった。貧困線が下降しているにもかかわらず、貧困率が上昇していることは、貧困線未満層の人々が増大していることを意味する。
 子どもの貧困率は、前回調査の16.3%から13.9%と低下したものの、就学援助(小中学生の学用品費、学校給食費、修学旅行費などを支給)を受けている子どもの数は、過去最多とはいえ157万人、生活保護受給世帯の子どもは25万人(18歳以下)にすぎない(2017年の数値)。日本では、貧困状態に置かれている多くの子どもたちが、必要な支援を受けられないまま、放置されている。ひとり親世帯の貧困率も、前回調査の54.6%から50.6%に低下したが、OECD諸国の中で最悪水準である。日本のひとり親世帯は約140万世帯、うち約9割にあたる123万世帯が母子世帯であるが、母子世帯の平均年間所得は、社会保障給付を含め243万円と、子どものいる全世帯の平均の36%にとどまる(厚生労働省「ひとり親調査」2016年)。しかも、母子世帯の母親の就労率は8割以上で、こちらはOECD諸国の中でも最高レベルである。つまり、大半の母親たちが就労しているにもかかわらず、低賃金就労で、給与だけでは生活費が賄えない典型的なワーキングプアということだ。
 また、親の学歴が中卒の場合は、世帯の貧困率が一挙に高くなり、親の所得と子どもの学力には比例の関係があることが実証されている。生活保護世帯の子どもの高校進学率も、90.8%で、全体の98.6%と比べ依然として低い(2013年。厚生労働省・文部科学省調べ)。貧困の世代間連鎖が顕著である。

†貧弱な教育予算、ローン化する奨学金
 日本では、社会保障支出が削減されているのみならず、GDPに占める教育への公的支出割合も、主要国の中で最下位にある。高等教育の授業料についてデータのあるOECD加盟諸国の中で、日本は最も授業料の高い国の一つであり、過去10年間、授業料は上がり続けている。高等教育機関は多くを私費負担に頼っており、高等教育段階では、68%の支出が家計によって負担されており、この割合は、OECD加盟国平均30%の2倍を超える(OECD, Education ata Glance 2018)。
 給付型の奨学金は2017年からようやく導入されたものの、対象は住民税非課税世帯に限られ、学生数は各学年わずか2万人、給付額は月2〜4万円にすぎない。現在、大学生の2人に1人が貸与型奨学金、しかも多くが利子付奨学金を借りており、大学卒業生は、奨学金という名のローン返済に苦しんでいる。卒業時に抱える平均負債額は3万2170ドル(1ドル110円換算で353万8700円)で、返済には学士課程の学生で最大15年を要する。これはデータのあるOECD加盟国の中で最も多い負債の一つである。2011年から2016年の5年間で延べ1万5000人が、奨学金に絡んで自己破産している(『朝日新聞』2017年11月27日)。
 高い大学授業料については、2020年4月から、前述の「高等教育無償化」と称する就学支援制度がはじまったが、対象は住民税非課税世帯と非課税に準じる世帯で子2人と夫婦の4人世帯で年収380万円以下の世帯に限定され(非課税世帯は学費全額支援。非課税世帯に準じる世帯は3分の2、3分の1を支援)、支援を受けられるのは2万1000人にとどまる。また、これまで各国立大学では、中所得世帯までを対象に授業料等の学費免除措置を実施してきたが、これが段階的に廃止され、約2万4000人が支援を受けられないか、免除額が減らされる。現在、大学に在学している学生は経過措置として従来通りの措置が継続されるが、2020年度以降の入学の学生は対象とならず、これでは「無償化」どころか、就学支援の後退である。
 加えて、低賃金・不安定雇用の非正規労働が労働者全体の4割近くに達し、1998年以降、賃金の下落が続いている。他の先進諸国と比較して賃金の下落が続いているのは日本だけだ(第二章3参照)。ワーキングプアのため、自分一人食べていくのが精一杯、結婚し家族を形成できない男女が増加し(とくに非正規労働の若年男性の有配偶者率が大きく落ち込んでいる)、少子化に拍車をかけている。

†社会保障の問題は争点化されにくい
 以上のような貧困の拡大により、生活保護世帯数は過去最高を更新し、貧困に起因するとみられる子どもの虐待件数、高齢者の虐待件数も過去最多を更新し続けている。多くの国民、とりわけ冒頭の年金生活者の証言にあるように、年金生活者の生活実態は「健康で文化的な最低限度の生活」には程遠く、これらの人の生存権保障どころか、生存権侵害が常態化している。安倍政権が社会保障改革と称して断行している社会保障の削減は、国民の生存権侵害をもたらす憲法25条違反の政策といえる。社会保障政策の転換が必要なゆえんだ。
 とはいえ、社会保障の法制度は複雑なうえに、その範囲が、年金・医療から子育て支援などに至るまで多岐にわたるため、一般の国民には理解が難しい。毎年のように法改正が行われ、頻繁に制度が変わる。多くの国民は、それらの内容を知らないまま、法律が施行されて、はじめて保険料や自己負担が増えていることに気づき驚く。
 国政選挙でも、年金、介護、子育て支援などの社会保障政策は景気対策と並んで、有権者が投票の際に重視する項目では、常に1位か2位にランクインされるのだが、与野党とも、選挙になると(表面的とはいえ)社会保障の充実を公約に掲げるため、違いがわからず争点になりにくい。年金が削減され生活が苦しいとぼやく高齢者が、なぜか選挙になると、年金を削減する法案を通した政権与党(自民党・公明党)に投票する。
 そして、安倍政権も、社会保障削減の実態を国民に知らせない、政治問題化させない、選挙の争点とさせない、争点化しそうな場合には、待機児童対策のような小出しの改善案を打ち出し、矛盾を覆い隠すといった巧妙な政治手法をとっている。

†財政危機論は本当か?
 社会保障を充実してほしいという国民の要求は高いのだが、そうした要求を封じ込めるために、しばしば国の財政が苦しいという財政危機論が持ち出される(これは、安倍政権に限らず、民主党政権も含めて歴代の政権がそうであったが)。国・地方の借金は1000兆円を超えている一方で、少子高齢化、さらには人口減少社会の進展で、税や保険料を納める社会保障の「支え手」が減るため、現在の社会保障制度は持続できなくなるとあおり、「持続可能」な制度(年金制度改革の場合には、これに「世代間の公平の確保」が加わる)にするための改革、すなわち増え続ける社会保障費を削減・抑制する改革が必要だとし、社会保障の充実を求める声を封じ込める。同時に、社会保障の充実のためには、消費税の増税しかないとの宣伝を行う。少子高齢化の進展と人口減少社会の到来↓社会保障の支え手の不足↓社会保障の持続可能性確保のための歳出削減と消費税の増税というお決まりの図式だ。
 しかし、社会保障は国民生活に安定をもたらすための制度なのだから、いくら社会保障制度が「持続可能」になったとしても、国民生活が成り立たなくなれば意味がないし、本末転倒だ。社会保障は国民生活に必要なものであるから、財源が足りなければ、どこからか財源を工面して、社会保障の充実に充てるのが、政治家の仕事ではないか。
 そもそも、日本は本当に財政危機なのか。国・地方の借金なるものをみると、2014年末の統計(国民所得統計)で、日本政府(国と自治体をあわせた政府部門全体)の債務残高は1212兆円であり、GDPの2・4倍にもなる。しかし、その一方で、政府部門の資産残高は1199兆円(金融資産598兆円、非金融資産601兆円)にも及ぶ。つまり、日本政府は巨額の債務を抱えてはいるが、ほぼそれに匹敵するだけの巨額の資産を保有しており、財政危機といえる状況にはない。だとすれば、本当に社会保障の財源はないのか。その財源は消費税しかないのだろうか。消費税を増税することなく、社会保障充実のための財源を確保することはできないのか(この問題については、第二章および終章で検討する)。

†過剰な家族主義と自己責任論が覆い隠す重大事
 また、これは安倍政権に顕著な特徴だが、生活保護バッシングのように、生活保障を求めようとする人を「怠け者」や「不正受給者」のごとく攻撃し、助けを求めさせない、声を上げさせない社会的雰囲気が作りだされている(助けを求めたら、バッシングされる!)。社会保障を公的責任による保障の仕組みとしてではなく、家族や地域住民の「助け合い」(共助)の仕組みと歪曲(わいきょく)し、できるだけ国の社会保障制度に頼らず、自分や家族で何とかすべきだという自己責任、家族責任が強調される。
 家族がその構成員の生活保障に最終的な責任を負う体制は「家族主義」と呼ばれる。世界的にみても、日本は、南欧諸国(イタリアやスペイン)とともに、現在に至るまで家族主義のきわめて強い国とされている(エスピン・アンデルセン/渡辺雅男ほか訳『ポスト工業経済の社会的基礎』桜井書店、2000年)。家族主義は、1970年代末の「日本型福祉社会」論にその淵源を見出すことができる。かつてはそれに加え「企業」による生活保障もあったが、1990年代後半以降、企業も従業員の生活保障の責任を放棄しはじめ、家族の負担がますます増大した。にもかかわらず、安倍政権のもと家族責任がますます強調されるようになっている。
 自民党の「日本国憲法改正草案」(2012年4月27日決定)の24条は、新たに1項を設け、「家族は、互いに助け合わなければならない」と規定している。そのこと自体が、戦前の家制度など古い価値観の復活を思わせるが、社会保障との関係では、自助や共助の基本的単位としての家族内での助け合い、つまりは扶養の強要につながる。家族の扶養や助け合いで何とかならないこそ、社会保障が発展してきたという歴史的事実がまったく看過されている。
 日本の過剰なまでの家族主義は、家族の介護疲れによる介護心中事件、親亡き後の将来を悲観した障害者・家族の心中事件を多発させている。近年では、社会的な孤立や「8050問題」といわれる深刻な「ひきこもり」問題を顕在化させている。内閣府の調査によれば、「ひきこもり」状態にある人は、15〜39歳で54.1万人(人口比1.57%。2015年調査)、40〜64歳(同1.45%。2018年調査)で61.3万人と推計され、調査時点が異なるので単純な合計はできないものの、15歳から64歳までで約100万人を超える。これらの人の将来への生活不安は大きく、2019年6月には、東京都練馬区で、40代の息子のひきこもりと家庭内暴力に悩んでいた元農林水産省事務次官の男性が、息子を殺害する事件も起きている。
 安倍政権は、こうした現在の日本社会に噴出している貧困問題やさまざまな社会問題を覆い隠すために、「日本はすばらしい」「美しい日本」(安倍首相の著書のタイトルでもある)という日本礼賛を繰り返している。マスメディアに圧力を加え、政権に都合のいい情報提供の方向にコントロールしようとする。まさに強権政治といってよい。

†悲痛な叫び
 それでも、社会保障の相次ぐ給付引き下げに対して、当事者が声をあげはじめている。
 生活保護基準の引き下げについては、同基準の引き下げを違法とする行政訴訟(生存権裁判といわれる)が、全国で29件提訴され、原告は1000人を超え(2017年12月現在)、生活保護史上空前の裁判運動に発展している。
 年金給付の引き下げについても、全日本年金者組合の組合員を中心に、全国で12万人を超す集団審査請求の運動が展開され、それを受けて、全国42都道府県の原告が39の地方裁判所に年金減額に対する取消訴訟を提起している(2017年9月現在)。原告は4000人を超え、社会保障をめぐる史上最大の集団訴訟に発展している(筆者も、同訴訟で原告側の共通意見書を東京地裁などに提出している)。
 2016年2月には、保育園の入所選考に落とされた母親が政治への怒りをつづった「保育園落ちた日本死ね!!!」と題するブログが国会質問で取り上げられ、待機児童問題に真剣に向き合おうとも解決もしようとしない安倍政権に対する怒りの声が急速に拡大、待機児童問題が大きな政治問題に浮上し、安倍政権は、待機児童解消を(表面的にでも)重要政策に掲げざるを得なくなった。社会保障を政治問題化し、選挙の争点としていくことができれば、政治を変えていくことができるという展望が見出せる出来事だったといえる。

†改竄と隠蔽の情実政権
 2018年に入り、森友学園への国有地払い下げ問題に関する財務省の決裁文書の改竄が発覚し、近畿財務局で改竄を命じられた職員の自殺まで出たにもかかわらず(のちに自殺した職員の妻が国家賠償請求等を提訴している)、官僚にすべての責任を押し付けようとする安倍政権の姿勢に批判が噴出、内閣支持率が急落した。その後、支持率は再び上昇し、2019年7月の参議院選挙では、自民党・公明党与党が過半数をかろうじて維持したものの、今度は、政府主催の「桜を見る会」に、反社会勢力や安倍首相の後援会の会員が多数招かれていた問題が発覚、さらに安倍政権の成長戦略の目玉であったIR事業(総合リゾート型事業)にからんで自民党議員が中国企業からの収賄の容疑で逮捕され、その利権構造が明らかになるなど、次々に不祥事が噴出した。「桜を見る会」の問題では、招待名簿を破棄したとの言い逃れで何の説明もしない安倍首相の姿勢とその人間性に国民の不信が強まり(道徳教育をいう首相が平気でうそをつき、ごまかす!)、再び支持率が下落しはじめた。安倍首相は政治資金規正法等違反で自己に捜査が及ぶのをおそれたためか、腹心の黒川弘務東京高検検事長の定年延長をこれまでの政府見解・法解釈を変更して閣議決定し、さらに、検察庁法改正案を国会に提出したものの、2020年5月に、黒川氏の賭けマージャンの発覚による辞任で同法案は先送りとなった。
 これまで、安倍政権は、消費税の増税延期を繰り返し(もしくは使い道を変更するなど)、不祥事については徹底した隠ぺいと説明しない姿勢で、国民が忘れることを待つという戦略で、支持率の浮上をはかってきた。しかし、こうした手法も、消費税増税を断行したため、もはや使えなくなった。安倍首相が保身のみを考え守りに入ったともいえる。

†現実化した医療・介護崩壊、そして新型コロナ不況へ
 そして、ここにきて、新型コロナウイルスの感染拡大が、国民生活にも日本経済にも大きな影響を及ぼし、医療など日本の社会保障の脆弱さを顕在化させた。
 時系列的にみると、2020年2月、日本政府はクルーズ船のダイヤモンド・プリンセス号の検疫に失敗し、船内で多くの感染者を出して海外メディアから厳しい批判を浴びた。国内でも感染経路が不明の感染者が多数出てきたにもかかわらず、東京オリンピック・パラリンピックの2020年開催に執着する安倍政権は、クラスター対策を重視するあまり検査を絞るなど、対応は後手に回り、感染者数の増加を招いた。焦った安倍首相は、2月末、大規模イベント・行事の自粛要請に続き、全国の小中学校、高校、特別支援学校に対して3月2日からの一斉休校の要請に踏み切った。あまり突然で、準備期間もわずかで、学童保育(放課後児童クラブ)の受け入れ態勢の不備など、現場は大きな混乱に陥った。
 その後、3月末に、世界各国で感染拡大が続くに至り、ついに東京オリンピック・パラリンピックの1年延期が決まった。その直後、今度は小池百合子東京都知事が、大規模な外出自粛要請を行った。そして、4月7日、安倍首相は、東京都、神奈川県、大阪府など7都府県に、緊急事態宣言を発令、4月16日には対象地域を全国に拡大した。しかし、外出・休業自粛要請には強制力はなく、休業する事業者にも金銭的な補償はない。安倍政権は、強制ではなく、あくまでも事業者や国民への休業・自粛要請という形をとることで、感染を拡大させた失策の責任を国民の自己責任に転嫁し、休業補償をしぶったわけだ。かくして過剰なまでに自己責任論と同調圧力の強い日本社会では、自粛要請は事実上の強制と化し(マスコミも異常なまでに自粛を訴えた)、休業要請に応じない事業者へのバッシング、感染経路不明の感染者が増大し誰もが感染する可能性があるにもかかわらず、感染者(注意しなかった本人が悪い!)や、はては医療従事者など感染可能性のある人への差別や偏見が助長された。
 何よりも、新型コロナの感染による重症患者が増加する中、感染拡大地域では医療提供体制が逼迫し、医療が機能不全に陥る「医療崩壊」が現実化した。感染症治療を担う公的・公立病院や保健所を統廃合などの形で削減し、さらには病床を削減し医師数を抑制してきた日本の医療費抑制策のツケが回ってきたともいえる(第四章5参照)。
 介護現場も、介護保険の介護報酬の度重なる引き下げが介護職員の低賃金を招き、深刻な人手不足で介護サービスの基盤が大きく揺らいでいるところに、新型コロナが直撃、「介護崩壊」が現実化した。しかし、安倍政権は、感染症対策を現場の自助努力に丸投げ、人員増員など必要な予算措置もなく、マスクなども不足する中、少ない人手で介護職は緊張と過重労働を強いられ、障害者施設や高齢者施設での集団感染が相次いだ(第五章5参照)。
 安倍政権は、新型コロナ対策のための2020年度の補正予算を4月30日に成立させた。世論の批判や公明党の要望を入れ、国民一人当たり10万円を現金給付する特別定額給付金を盛り込み、一度閣議決定した補正予算案を国会提出前に大幅に組み替えるドタバタぶりであった。一般会計総額(いわゆる「真水」といわれる財政支出)は25兆6914億円だが、新型コロナ患者を受け入れる医療機関などに交付される「緊急包括支援交付金」は1490億円にすぎず批判が出ていた。
 批判の高まりを受け、6月12日に成立した二次補正予算では、一般会計総額は31兆9114億円となり、「緊急包括支援交付金」に2兆2370億円が積み増しされた。また、売上が減少した法人に最大200万円、個人事業者に100万円を支給する持続化給付金も対象が拡大され、一次補正に盛り込まれなかった家賃補助も実現した(2兆242億円)。従業員を休ませた事業者に休業手当を助成する雇用調整助成金も、日額上限が8330円から1万5000円に引き上げられた。さらに、児童扶養手当を受けているひとり親世帯に5万円の臨時特別給付金が支給される(子どもが一人増えるごとに3万円ずつ加算)。自治体の休業補償などとして活用されている「地方創生臨時交付金」も、一次補正の1兆円に2兆円を積み増しした。
 とはいえ、安倍政権は、新型コロナ対策については、布マスク(アベノマスク)の配布など場当たり的な対応に終始し、事業者への「補償なき自粛要請」、医療・介護現場、そして国民への「自粛・自助努力」の無理強いだけで、まさに無為無策であったといってよい。それでも、現場の医療従事者・介護従事者の懸命の努力と、安倍政権のあまりの無為無策にあきれた国民の外出自粛、手洗い・マスク着用の徹底といった自助努力の結果、5月半ばより、感染者数が減少しはじめ、緊急事態宣言も、5月25日に全国で解除された(ただし、隠れた感染者が多数いると推察され、今後、感染拡大の第二波がくることが確実視されている)。
 しかし、その代償は大きかった。観光・飲食業界をはじめ事業者の倒産・廃業、そして非正規の人を中心に失業者が急増しているからだ。新型コロナ関連の倒産は、2020年6月1日時点で、200件を超え(帝国データバンクによる)、新型コロナの影響による解雇や雇止めは、同年5月28日時点で1万5823人となっている(厚生労働省調べ)。解雇や雇止めまで至らなくても、休業者は、同年4月で前年同月比420万人増の597万人にのぼり、リーマンショック直後のピーク時の153万人の約4倍と過去最多となっている(総務省調べ)。これらの人がそのまま職場に戻れず失職すれば、失業者はさらに増大する。また、朝日新聞社の調査では、休業要請などが行われた「特定警戒都道府県」の13都道府県の主な自治体では、4月の生活保護の申請が前年比で3割増大している(『朝日新聞』2020年6月2日)。
 雇用調整助成金や持続化給付金も、申請手続が煩雑なうえ(申請の際の添付書類も多岐にわたる)、支給が遅れている。持続化給付金では、広告業界最大手の電通などが設立した一般社団法人サービスデザイン推進協議会が国から委託を受け、協議会は電通に再委託し、さらに電通は子会社5社に外注し、巨額の差額を受け取っていた疑惑まで持ち上がった。一次補正に組み込まれた経済産業省主導の「Go Toキャンペーン事業」(新型コロナ収束後に観光やイベント、飲食業を支援する事業)をめぐっても、事務委託費の上限を事業費の2割にあたる3095億円と見積もるなど事業の不透明さが問題となり、委託先の公募が中止される事態となった。給付金の支給が遅れて、資金繰りが間に合わず廃業や倒産に追い込まれる事業者も出ていることは問題である。申請を簡略化し、事前審査から事後審査に切り替えるなどしないと、倒産と失業の急増を止めることは難しい。
 新型コロナの影響で、2020年1〜3月期のGDPは、実質成長率が対前期比年率で2.2%のマイナス(改定値)と2四半期連続のマイナスとなり、続く同年4〜6月期は、緊急事態宣言が出されていた時期と重なるため、年率20%程度のマイナス成長と、戦後最悪の落ち込みになると予想されている。消費税増税による消費不況に追い打ちをかける形で、リーマンショックをはるかに超える戦後最悪の新型コロナ不況が到来しつつある。今後は、新型コロナに感染して亡くなる人より、仕事を失い自殺で亡くなる人の方が多くなるかもしれない。まさに未曾有の危機というほかない。

†本書の目的と構成
 こうした危機的な状況にあるいまこそ、私たち一人一人が消費税と社会保障の内容を正確に理解し、新型コロナの感染拡大が、はからずもあぶり出した日本の社会保障の脆弱さを直視したうえで、だれもが安心して暮らせる社会保障を実現するための道筋を考える必要があるのではなかろうか。本書は、こうした問題意識から、消費税の仕組みと問題点を解説し、消費税とリンクされた「社会保障四経費」、すなわち年金、(高齢者)医療、介護、子育て支援・保育(少子化対策)の現状と問題点を読み解き、諸制度の問題の解決策と、消費税に依存しない社会保障充実の道筋を示すことを目的としている。
 第一章では、消費税の基本的な仕組みを解説し、その本質と問題点に迫る。あわせて軽減税率やポイント還元など安倍政権の増税対策についてもみていく。ついで、第二章では、消費税の増税が、社会保障のためでなく、法人税・所得税の減税、つまり大企業や富裕層の減税の財源として用いられてきたことを指摘し、消費税が社会保障財源として最もふさわしくないことを明らかにする。第三章以下では、消費税を主要財源とする年金(第三章)、医療(第四章)、介護保険(第五章)、子育て支援・保育(第六章)の順に、それぞれの法制度の現状と課題を考察する。終章では、消費税に依存しない社会保障の再構築に向けて、憲法に基づく税制改革と社会保障改革の方向性を提示し、改革の実現に向けての政治的課題を展望してみたい。

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