武田砂鉄

第4回 吾妻線の中学生に負ける

ローカル線の車内には不可思議な雰囲気と力がある。そこに紛れ込んだ旅人が見つけた「本友」共通の悩みとは──。究極の偶然にまかせた読書調査、第4回。

ローカル線の風景

 鉄道フォトライター・矢野直美さんの写真集に『汽車通学』という作品があって、北海道のローカル線の車内やホームに佇む学生たちの自然な表情を切り取った写真を眺めて「あぁ懐かしい」と郷愁に浸るのだが、こちらは東京都出身の自転車通学なのだった。堂々と捏造される記憶。ボックスシートで、同じクラスの女の子と膝を突き合わせたことをきっかけに話すようになったのは、当時回し読みしていた漫画『BOYS BE…』のエピソードだったかもしれない。

 本数の少ないローカル線には、そこら辺の学校に通う学生たちがクラスの光景をそのまま持ち込んだような状態で乗り込んでくるから、「ゆっくり読書できないじゃん」と読書を妨げられた苛立ちを漂わせる旅人が生じる。しかし、学生たちは、そんな些事など見向きもしない。

 吾妻線は高崎駅と大前駅を結ぶローカル線で、岩島駅と川原湯温泉駅の間にある全長約7.2mの日本一短いトンネル・樽沢トンネルが鉄道好きに知られていたが、一昨年に新しい通行ルートに変更されてしまった。高崎駅から乗り込み、いくつかの駅を経由すると、案の定、中学生たちの群れを次々と吸収していく。

「意外とユキエは年下が似合うかも」

 彼氏にするなら同級生か年上か、はたまた年下という選択肢もありうるのか、を議題にした女子たちが、ハナから結論など出すつもりの無い侃々諤々の議論を続けていると、その奥に、「ゆっくり読書できないじゃん」との心持ちが生み出した苦い顔を発見。角度の問題で何を読んでいるのかは確認できないのだが、それなりに厚いハードカバーがもう残り十数ページになっている。時折、はしゃぐ中学生を見上げては「没頭させてくんないかな」と哀願するような目を向けているが、気付くはずもない。

 「意外とユキエは年下が似合うかも」「えー、年下って頼りない」「年上が頼りがいがあると思ったら大間違いっしょ」「意外とユキエは年上が似合うかも」「そんなことないよ」「逆にあるよ」「そうかな、逆にないよ」と、落ち着くつもりのない会話。前衛音楽のように毎秒ごとに変転していく。クラスの光景をそのまま持ち込んだかのように振る舞う以上、読書に励む彼は、まるで友だちのいない中学生がクラスの隅っこでポツンと読書に励んでいるかのよう。

 読み終わったようでカバンにしまう。一瞬、カバーが見える。貴志祐介『硝子のハンマー』だ。その場で版元サイトの紹介文をチェックしてみれば「異能の防犯探偵が挑む、究極の密室トリック!」とのことで、休み時間の教室と化した環境下で読むにはまったくふさわしくない。おそらくクライマックスで繰り広げられた緊迫の会話に「意外とユキエは年上が似合うかも」などが混じり合ったはずで、この密室環境は小説内の密室と乖離している。

読み終え方が悩ましい

 本のクライマックスを迎え入れる環境というのはとてもデリケートなもので、たとえば静かな喫茶店で、今、本を読み終えたという光景に立ち会えるとなんだか嬉しい。すうっと、本が体に溶けていくような、そういう顔をしている人がいる。あと10ページで終わるのに残すは1駅半、という悩ましい事態が生じた時、人はついついその駅に向けて読むスピードをあわせてしまう。急いで読み終えた後になって、数日間、400ページ近く付き合ってきたのに、この終わらせ方で良かったのか、と自問する。自問したところでもう終わってしまったのだから、その自問は不毛だ。

 あと1駅半で10ページ。その手のプレッシャーに屈したくない友人は、そのまま駅のホームのベンチに座り込むそうで、「自分の都合を本に強いてはいけない」と名言っぽいことを言い放つ。しかし、喝采に湧く汽車通学という密室で密室ミステリーを終えなければならなかった彼に逃げ道はない。目の前の話題がいつのまにか「最近、逆にV6がアリになってきた!」「わかるー!」に行き着いている彼女たちを受け止めることはできない。

 万座・鹿沢口駅で折り返す。帰りの列車は閑散としていて、読書に励んでいるのは、ヨレヨレのスーツを着たサラリーマンが読む「名探偵コナン 名探偵の弟子」のみ。そこには「大長編“ロンドン編”を一挙収録!!」とある。キャプテン翼が世界規模で活躍していたり、島耕作が会長になっていたり、長いこと放置していた漫画はいつのまにかスケールがデカくなっていて驚くが、知らぬ間にコナンはロンドンであれこれしていた。

 そういえば、中学生は誰一人として漫画すら読んでいなかったなと後々になって気付き、寂しくなる。しかし、『汽車通学』を見て懐かしく思ったのが捏造だったように、中学生が電車の中で騒いでばかりいることを寂しがりつつ苦言を呈すなんてのにも捏造は付随している。だって、自分たちがどうだったかと振り返れば、読書に勤しむ奴など誰1人としていなかったし、つり革にぶら下がって「池谷幸雄!」などと騒いでいたのだから、ここでもまた記憶が捏造されているのだった。

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