今から50年ほど前、つまり1964年の東京オリンピックの頃の医療は、どのようなものであったか。その時代を経験した人ならご存じだと思うが、現在とは大きく違っていて、当てにならない、頼りにできないものであった。
一例を挙げてみると、50年前に患者への癌の告知は一般的なものではなかった。かつて癌は早期診断が困難で治療の手段が限られ、たとえ告知されても目の前の死を待つしかない例が多かったのである。現在では癌の告知をして、患者とともに治療方針を決定するのが原則だ。早期に的確な診断がされ、さらに手術以外の治療手段も増えて、癌と共存することも視野に入ってくるので当然のことである。
癌だけでなく他の多くの病気についても、新たな診断・治療技術が開発されて、状況が大きく変わってきた。CTやMRIのような画像診断技術は、1980年代以降に本格的に用いられるようになり、病変の部位や形状が精確に診断される。重症の不整脈に対しては、植え込み型の心臓ペースメーカーが開発され1970年代から急速に普及した。冠状動脈の閉塞による虚血性心疾患に対しては、1980年代からステントを用いた冠状動脈形成術が行われ、多くの生命を救っている。腎不全は死に直結する病であったが、1970年代あたりから普及した人工透析を使って、多くの人たちが生き続けている。2020年の新型コロナ感染症という新しい脅威に対しても、医学はワクチンや治療薬を開発して対処しようとしている。
医師と患者の関係も大きく変わってきた。かつての医療においては、医師が病気についてすべての情報を把握し、最善と思われる治療方針を決定し、患者はそれを当然のように受け入れていた。しかし現在では、医師は病気についての情報を患者によく説明し、患者が治療方針を選択できるようにすることが求められる。すなわち医療における医療者と患者の関係は、決定の権利と責任を医師が持つ「父権主義的な関係」から、インフォームド・コンセントに基づいて患者の自己決定権を尊重する関係へと、あるいは医師と患者が協力して決定をする「平等な関係」へと変化してきた。暗黙の信頼に基づく関係から、明示的な契約に基づく関係へと変化したと言えよう。
現代の医学・医療は急速に進化し続け、社会と深く関わりを結んでいる。こういった時代に、過去の医学を研究する医史学は何を目指し、何をもたらすことができるのだろうか。
「医史学(history of medicine)」は、過去の医学を研究対象として歴史の物語を描く。しかし著者の生きる時代によって、描かれる物語は異なる色合いを持つ。かつて医学史は、医師や医療者が医学の先人たちの来歴を知り業績を顕彰することを目標として書かれていた。またある時期には、社会の側から医学・医療の独善的な面に対する批判が目的とされた。しかし、そのような一方の視点に偏るような医学史は、現代においては不毛であると思われる。
本書で描く医学史の物語の最も重要なテーマは、西洋医学から生まれた現代医学はなぜこのように進歩し続けることができるのか、である。その問題を解き明かすための手がかりは、これまでの医史学者の研究によって得られている。
アーウィン・アッカークネヒトは、『医学小史』で、それ以前の病宅医学から19世紀以後の病院医学、実験室医学が区別されると述べ、ミシェル・フーコーは『臨床医学の誕生』で、一九世紀に入って病理解剖学を通して臨床医学が生まれ、医学への眼差しが変わったと論じた。
このように、18世紀以前の医学が現在の医学とはまったく異質なもので、それが19世紀になって大きく変貌したことは、漠然とではあるが知られていた。しかし残念ながら、18世紀以前の西洋医学がどのような内容と構造をもっていたか、現在の医学と何がどのように違っているのかを明らかにしようとする医史学者は現れず、数多くの医学史書からも有用な情報を得ることができない。
私はかねてから解剖学書の古今の原典を蒐集し、それをもとに『人体観の歴史』(2008年)を上梓し、その頃から18世紀以前の西洋医学についての研究を始めた。さらに古今の医学書についての世界中の書誌情報や画像データを蒐集し調査して、いくつもの論文を発表し、それらを通して18世紀以前の西洋医学の内容と構造、現代医学との違いがようやく明らかになってきた。その要点を以下に挙げてみよう(坂井建雄編『医学教育の歴史』)。
第1に、18世紀以前の西洋医学は、13世紀から大学の医学部で教育され、主に医学理論、医学実地、解剖学/外科学、植物学/薬剤学の4教科が教えられていた。当初はアヴィケンナの『医学典範』や古代の医学書の講読が学習の中心で、討論を用いるスコラ的な学習方法がとられたが、16世紀中葉から新たな医学書が書かれるようになり、講義を中心とした学習が行われるようになった。医学理論書は生理学、病理学、徴候学、健康学、治療学の5部門からなり、古代のガレノスに由来する体液説や病理説を中心として書かれていた。
第2に、18世紀以前の西洋医学の内容は、3つの要素に分類することができる。4教科の内容の大部分は、「経験的医療(経験に基づく診断・治療)」と「推論的考察(科学的根拠のない理論)」であり、他の伝統医学と同様のものであった。これに対して解剖学だけは西洋医学に独特のもので、人体の構造についての「科学的探究(観察・実験による事実の探究)」である。解剖学は古代のガレノスから本格的に始まり、16世紀のアンドレアス・ヴェサリウス以後に多数の新発見をもたらした。解剖学の知見は内科的疾患の診断・治療にはほとんど役立たなかったものの、外科手術の技術向上には少なからず貢献した。
第3に、19世紀に入って、医学における科学的探究の対象が広がり、生理学、薬理学、病理学、生化学、衛生学、細菌学など、人体と病気を科学的に探究する基礎医学の諸学科が成立した。これに対して、病気の診療を行う諸学科は臨床医学を形成し、内科と外科に加えて眼科、産婦人科、整形外科、小児科、精神科などいくつもの診療科が新たに生まれた。新たな診断・治療技術の登場、基礎医学の研究からもたらされた人体と病気についての科学的な理解に基づいて、臨床医学の水準は次第に向上していった。
このように内容と構造の違いが明らかになったことから、18世紀以前の医学を「西洋伝統医学」と呼ぶことにし、19世紀から現代に至る「西洋近代医学」から区別した。
西洋近代医学を特徴づけるものは科学的探究であり、これが基礎医学の諸学科を形成し、次第に臨床医学の諸学科にも浸透していった。科学的探究においては、観察や実験によって事実が検証・記録され、新たな理論を裏付ける証拠となり、論文・著作として発表される。発表された知見は他の研究者にも共有され、さらなる研究の基礎として利用される。西洋近代医学が発展してきたのは、このように知見を蓄積して継続的に進歩し続ける科学的探究の特性によるものである。
西洋近代医学のもう一つの特性は、科学的探究を通して病気の原因を特定し、それを取り除くことによって治癒を図ることである。感染症では病原体を取り除くことによって、循環器系の疾患では心臓や血管の異常を修復することによって、癌では異常な細胞集団を取り除くことによって治療を行う。しかし人間の病気には原因を特定できないものも少なくなく、それは「不定愁訴」と呼ばれる。そのような原因のよくわからない病態に対して現代医学はしばしば無力であり、むしろ漢方などの代替医療が有効な場合もある。
本書の第Ⅳ部では、日本の医学の由来と歴史について述べる。日本の医学は中世以来、中国から輸入した漢方を中心としており、さらに江戸時代になってから積極的にオランダ医学を取り入れて、漢蘭折衷の医学が広く行われた。幕末および明治以後に西洋医学を積極的に取り入れたが、この時期はまさに西洋近代医学が成長を始めた時期に重なっていた。日本は医学の後進国であり、はるかに進歩した西洋医学を取り入れたとしばしば誤解される。しかし実際には、日本の医学は発展途上の西洋医学からやや遅れながら同時代的に成長してきたのである。このことも、西洋医学の歴史の研究を通して明らかになった新しい知見である。
私は『図説医学の歴史』(2019年)を医学書院から上梓した。この本では本書とかなり重なるところの多い医学の歴史の物語を、多数の図版や歴史上の医学書からの引用や表を交え、出典となる文献の書誌も含めながら述べた。本書『医学全史』では、その内容を一般の読者向けに精選・簡略化し、また再編成して執筆した。学術的なより詳しい内容や典拠については、本書の親本にあたる『図説医学の歴史』を参照していただきたい。
ふだん私たちの健康維持に欠かせない医療・医学は、先人たちの試行錯誤の繰り返しによって少しずつ進歩し、また今日も進歩を続けています。古代メソポタミアから現代の日本まで、古今東西の医学の誕生から現在までの長きにわたる歴史を繙き、その発展の背景に迫る、ちくま新書『医学全史』の「はじめに」を公開いたします。