ちくま新書

ヴェーバー思想の核心に真正面から挑む

今年2020年、没後100年を迎えた近代社会学の祖マックス・ヴェーバー。『プロ倫』『経済と社会』などの主著を丹念に読み込み、その思想の核心を解き明かす画期的入門書。12月刊『ヴェーバー入門――理解社会学の射程』より「はじめに――理解社会学の再発見」の一部を公開します。

ヴェーバーと言えば
 今日、マックス・ヴェーバーと言えば、例えばつぎのような言葉をいちばんはじめに思い起こす人が多いかもしれません。

精神なき専門人、心情なき享楽人、この無なるものが、人間性のかつて到達したことのない段階にまですでに登りつめた、と自惚れている。(『プロ倫』I-18: 488/RS I: 204/366)

これは、ヴェーバーにとって最も大切な著作の一つと言ってよい『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(以下では『プロ倫』と略す)の末尾に登場するとても印象的な一節で、近代資本主義の進展が結果として生み出していく人間像、その貧しく一面化して歪んだ形の行く末(「この無なるもの」!)を予見したものと理解され、広く知られています。ニーチェ風のニヒリズムの影を宿すこの警句は、明晰な社会科学の論理に貫かれた著作の末尾でことさら際立ち、〈近代〉という時代を堅固な学問の構成をもって問うた社会科学者ヴェーバーが下す時代診断の痛切な結語として、とても意味深く受けとめられてきました。
 かつてヴェーバーという思想家は、「近代社会」の原像を個人の「主体性」と社会関係の「合理性」が尊重される社会として明るく肯定的に描きだし、それに向かって近代化の道を説くキリスト教的ヒューマニズムの伝道師とも見なされたことがありました。それは、日本という場では特にアジア太平洋戦争の終結に前後する時期に注目されたヴェーバー理解で、近代化の遅れが敗戦を招いたとの「反省」から日本社会の近代化が切実な課題と意識されたときに、その導き手として彼の近代に志向する思想が求められたのでした。
 そのヴェーバーが、著作の深部では同じ近代社会、近代資本主義の根底に人間をこのような歪みに追い込む「合理的非合理性」(大塚久雄の表現)があると認めていて、それへの警鐘まで実は鳴らしている。そうした事実を証示すると認められるこの警句への注目は、それまでのヴェーバー像に大きな転換をもたらしました。「近代化の道の唱道者」から「近代批判者」へ、関心の軸足を移すこのような認識転換は、ヴェーバーが生きた時代から100年ほどが過ぎ、そうした近代的諸事象の内包する矛盾がいよいよ噴出して制御不能にも見えてきた21世紀初半の時代状況にむしろ照応し、この思想と学問がもつ積極的な現代的意義にあらためて気づくきっかけともなって、近年またヴェーバーに特別な関心が寄せられるようになっています。
 本書で、わたしがいまこそ真剣にヴェーバーに「入門」しようと提案するのも、ひとつにはもちろん、このような近代という時代への鋭い批判的問いかけが彼の思想にはあると考えるからです。わたしたちの経済をなお支配しつづける近代資本主義、それに対応する政治の基本枠と見なされる近代国民国家とその官僚制、そこで組織され専門分化しつつ営まれる近代科学、そしてそれらすべてを根底で規定し続ける近代的な合理主義。ヴェーバーと言えば多くの人がただちに意識する近代のこうした社会文化諸事象、それが生み出す病理とも言える諸問題が、いまなお解決を見たとは言えず、むしろさらに深刻な事態をさまざまに派生させて切実な課題になり続けている。こうした現実を目の当たりにして、ヴェーバーの学問が、この近代という時代への批判にまで踏み込んでその問題に比類なく原理的かつ包括的に取り組んだと考えられればこそ、いまいちどそれを基礎から学び直し、そこにある問いと答えの全体像をしっかり再確認しておきたい。本書では、まずはこのような認識と志をもって考察を出発させようと考えます。

それはヴェーバーに独自な問いではない
 もっとも、このようにヴェーバーへの問いを始めようとするときに、しかしここには実はひとつ重大な落とし穴があるということを、今日のわたしたちは知っておかなければなりません。というのは、冒頭に引用したヴェーバーの言葉、『プロ倫』の末尾にあって考察の結語とも見えるその警句が、実はそれ自体としてはヴェーバーその人にオリジナルな表現ではなかったということが近年知られてきているからです。ヴェーバーがこの言葉を書き込んだ『プロ倫』第二章を公表したのは、1905年に刊行された雑誌『社会科学・社会政策アルヒーフ』(以下では『アルヒーフ』と略す)第21巻1号の誌上でしたが、それ以前に歴史学派国民経済学者のグスタフ・シュモラーが1900年に発表した著書『一般国民経済学要綱』で、時下の経済状況に触れる際につぎのような表現を使用していたのです。

〔今日では〕富裕層は際限ない享楽を追求し、また中産層や貧困層は彼らの贅沢を羨むから、いずれにおいても内面を幸福で満たすことができない。そこで数年前にある偉大な技術者は、この傲慢な時代を、的外れとは言えないつぎの言葉で特徴づけた。「愛なき享楽人、精神なき専門人、この無なるものが、人間性の歴史上到達したことのない高みにすでに立っている、と自惚れている」と。

この一節は、当書の「国民経済学上の意義から見た技術の発展」と題された章に登場するもので、シュモラー自身は「ある偉大な技術者」の言葉の引用としてこれを書いていますが、微妙な差異を度外視すれば『プロ倫』の警句との類同性は明らかでしょう。当時、学界の重鎮だったシュモラーの著作のことですし、広く流通した本でもあるわけですから(初版3000部、23年までに15000部刊行)、これをヴェーバーが読んでいた(知っていた)のはほぼ間違いないと考えられます。
 こうした事実は、シュモラーとヴェーバーが、資本主義経済の進展とともに生み出されている人間へのネガティヴな影響、そこに生まれつつある人間性の歪みについて、同時代の観察者としてともに「ある偉大な技術者」の言葉に共感し、その点では認識を共有していたことを示していると考えられます。ヴェーバー自身としても、この警句に同時代である資本主義近代についての批判的な認識を託したと見て間違いないでしょうが、しかしその限りの認識であるならば年長の同時代人であるシュモラーと重なっており、むしろこちらの方が先駆けてそれを提示していたというわけです。
 そうだとすれば、ここにヴェーバーを理解する上できわめて重大な問題が生ずるのは避けられないでしょう。すなわち、するとヴェーバーに真にオリジナルなこととはいったい何なのか、という問題です。ヴェーバーにとって最も大切な仕事のひとつである『プロ倫』の末尾の言葉にこの学問の思想の深さを見いだしてきたこれまでの研究は、その中心部でヴェーバーをシュモラーに重ねたまま理解し、ヴェーバーその人の学問の独自性を、その本当に鋭利な問いの形を、実は見損なっていたかもしれないのです。(中略)

理解社会学の再発見
 これに対して、理解社会学という観点に立つと、冒頭で触れた『プロ倫』末尾の警句に関わる疑問についても、問題の連関がはっきり見えてきます。疑問というのは、1905年の初出時に『プロ倫』末尾に盛り込まれたその言葉には1900年刊行のシュモラーの著作に類似の先行用例がすでにあって、そうだとすれば、ヴェーバーのオリジナリティとはいったいどこにあるのかというものでした。そこで、そんな疑問を持ちながらこの1900年から05年へと続く時期をヴェーバーの学問的歩みという視角から見直してみると、ちょうどこの時期こそ、彼がオリジナルな理解社会学という学問を粒々辛苦しながら創設しようとしている、まさにその時期であったと気づかされるのです。
 ヴェーバーは1913年になって、初めて「理解社会学」を表題に掲げた論文を『ロゴス』誌上に発表しますが、そこでその表題そのものにつぎのような注を付しています。

ジンメルの(『歴史哲学の諸問題』における)叙述と、私が以前(シュモラーの『年報』とヤッフェの『アルヒーフ』に)発表した論文の他、リッカートの(『限界』第二版における)覚書とK・ヤスパースのさまざまな著作(特に現時点では、精神病理学総論)を参照されたい。(『カテゴリー』I-12: 389/WL: 427/6)

 これは「理解社会学」という表題自体にヴェーバー自身が付けた注なのですから、この学問の成立を考えるうえで第一の手がかりとすべき参照注に間違いありません。この参照指示からジンメルなどヴェーバー以外の人びとの作品をとりあえず別にして、ヴェーバー自身の仕事だけを取り出すならば、参照すべき作品とはつぎの諸論文だということになります。

①「ロッシャーとクニース 歴史的国民経済学の論理的諸問題」(『年報』1903-06年)
②「社会科学と社会政策に関わる認識の「客観性」」(『アルヒーフ』1904年)
③「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(『アルヒーフ』1904-05年)
④「文化科学の論理学の領域における批判的研究」(『アルヒーフ』1906年)
⑤「R・シュタムラーによる唯物論的歴史観の「克服」」(『アルヒーフ』1907年)

こう並べてみると『プロ倫』は、まさにそれこそが、理解社会学とは何かを知るためにヴェーバー自身が参照指示する諸論文の中核に位置していると分かります。しかもその前後の論文は、ヴェーバーが付けた表題通りに内容を受けとめるなら、彼が同時代の国民経済学、社会科学、社会政策学、文化科学、そして歴史認識の方法について進めた克明な批判的検討の成果をまとめた著作と認められるでしょう。そうだとすれば確かにこれらは、全体として理解社会学という新しい学問の創設作業であったと考えてよいように思われます。
 しかも、その内容は順次立ち入って詳細に検討していきたいと思いますが、ここであらかじめ概括的に言えば、第一論文①『ロッシャーとクニース』は歴史学派国民経済学の第一世代であるロッシャーとクニースを、そして第二論文②『客観性』はまさにその第二世代であるシュモラーらを批判対象とする性格の明確な方法論論文であり、それに対して第三論文③『プロ倫』は、それら方法論上の論考で理論的に論じた学問方法を実質研究のモノグラフをもって実際に応用してみせるという、構造的な対応関係にあると理解できます。すなわち、一連の論文をまとめて参照指示するヴェーバーの意向を正面から受けとめるなら、これらは理解社会学の実質研究とその方法論としてワンセットに読むべきものであり、それゆえ『プロ倫』末尾の言葉も、このロッシャーとクニースへの批判やシュモラーらへの批判を踏まえてはじめてその深意が理解できると考えられるのです。そこから第四論文、第五論文まで射程に入れて、一連の成果を理解社会学の基本論文として統一的に読み進めてこそ、この学問のオリジナリティも本当の姿を現すと見なければなりません。
 それなのに、現在のヴェーバー研究やその紹介は、総じてこの学問の理解社会学という基本性格を後景に退けてしまっていると見えるのです。そこで、本書の出番がめぐってきます。これは理解社会学の再発見という道です。この一点に関心を集中しようと考えて企画された本書では、「人間ヴェーバー」とか「大学人ヴェーバー」とか「政治家ヴェーバー」とか、さまざまに語られうる多面的な存在であるマックス・ヴェーバーの全体像をもれなく包括的に論ずるというのは断念しようと思います。そのように焦点をしっかり定めて理解社会学の核心に迫ろうとするこの道は、しかし、ヴェーバーその人の学問には確かに入門しうる道に違いないと考えられます。であれば、この道に分け入ってこそ、ヴェーバーの学問の真価も見えてくるはずなのです。そう見定めて、いざ出発することにしましょう。