ちくま新書

オオウミヘビやニューネッシーの正体から、進化論まで

19世紀の船乗りたちが恐怖したシーサーペントやダイダロスモンスター、1977年に日本の漁船が引き上げたニューネッシーは、なぜオオウミヘビや首長竜と言われたのか。地上の動物には見られない深海生物の不気味な容姿や不思議な生態とは。……大迫力のイラストで、大海原の神秘に迫る『ダイオウイカvs.マッコウクジラ――図説・深海の怪物たち』のまえがきを公開します。

まえがき

 奇妙な姿をした数々の深海生物。奇怪なれど美しいその姿は、分厚い水に閉ざされて手が届かなかった。しかし2000年代以後、機械の発達で深海生物の写真撮影が可能となる。美しい深海生物の写真で本をつくる。これには需要があって、つくれば売れた。実際、私がそうしてかつてつくった深海本はそこそこ売れたのだ。売れるとわかれば皆が同じものをつくって売るし、実際、類書が多く出た。人はそれをパクリと言うが、いやいや、これこそが経済学者シュンペーターの言うイノベーションである。
 イノベーション理論とは新商品がパクリを生み出し、金の流れをつくって好景気を作り出す、その過程を解説した理論であった。そして結果も示した。たくさんつくれば値崩れが起こり、利潤を生み出せない投資は、今や重しとなって景気を低迷させる。つまりは不況。珍奇とパクリと投資と景気と不景気の循環。これが深海生物本にも起こった。しかも、数少なかった画像はすぐに使い尽くされてネタがなくなり、深海バブルは終わりをつげたのである。
 とはいえ、画像にこだわるから尽きるだけで、ネタ自体はいくらでもある。たとえば深海生物の眼。これだけで本が一冊以上書ける。チョウチンアンコウだけで一冊本を書くこともできる。あるいは伝説のオオウミヘビで本を書くこともできた。
 今回、私が書いたこの本はオオウミヘビをテーマにしている。少なくとも本の3分の1はそうだ。100年以上前の19世紀。海で奇妙な怪物を目撃した報告が相次いだ。それは人間が知る既知の海洋生物ではない。見た目はヘビのようだが、しかしはるかに大きい。だからオオウミヘビ。ところが目撃談を丁寧に読むと、それらはダイオウイカとかリュウグウノツカイとか、深海大型生物の誤認であることが分かる。
 オオウミヘビ伝説は消えたが、私が小学生であった1980年代はまだその名残があった。当時の子供向け怪奇本に必ず登場した怪獣御三家。ネッシー、雪男、そしてオオウミヘビ。このうち実在が確かなのはオオウミヘビだけだ。ネッシーと雪男は違う。ネッシーと雪男の目撃談は形が一定しない。彼らは実在でもないし、誤認でもなかった。ネッシーと雪男は妖怪や都市伝説の類なのである。
 しかるにオオウミヘビは実在であり生物学の範疇に入る。それも深海生物の範疇に。だから今回、オオウミヘビをネタにして深海生物を語ろう。これは世界のミステリーを夢中になって読んでいた子供時代の私自身への回答であるし、同様な経験をした、かつて子供だった大人たちへの解説でもある。
 とはいえだ。オオウミヘビのネタだけで一冊書くと、それはもう深海本ではなくなってしまう。だからオオウミヘビの後はチョウチンアンコウとデメニギス、ダイオウグソクムシを語る。彼らはゲームにも登場する人気深海生物だ。そして後半3分の1は生きた化石である深海生物を取り上げる。オウムガイ、コウモリダコ、シーラカンス。これで一般の皆が知る深海生物はほぼ網羅し尽くせる。
 最後のシーラカンスでは、変化するものが生き残るという、ダーウィンの「名言」も解説する。この名言の正体とダーウィンの真意は、ビジネスマンにとって興味ある内容ではないだろうか。これは取ってつけた話題に見える。しかし、変化するものが生き残るという名言の正体を明らかにせぬ限り、深海魚シーラカンスの謎は理解してもらえぬだろう。なんといってもシーラカンスは変化しないまま生き延びてきた深海魚であるのだから。
 さてもさても50代のサラリーマンには懐かしいネタを含めて今回、深海魚の本を書いたわけだが、この本はパクリを生み出して次なるイノベーションを引き起こせるだろうか? 景気をささやかに向上させられるだろうか? 景気高揚が急務である昨今、これが実際にできるかどうかはわからない。ともあれ、かつて子供であり、今は大人である皆さんがかつて抱いた疑問と興味。それにこの本はお答えしよう。

 

【目次より】

第1章 怪物と呼ばれた深海生物
  1 ダイオウイカ――“巨大海ヘビ"はマッコウクジラのディナー
  2 ラブカ――ヘビの顔をした深海ザメ
  3 ミツクリザメ――古代の巨大肉食魚の正統な後継者
  4 ウバザメ、メガマウス、ニューネッシー――人は見たいものしか見えない
  5 リュウグウノツカイ――古代から想像力を刺激する容姿
  6 レプトケファルス幼生――巨大ウナギ伝説の起源
第2章 想像を絶する深海の生態
  7 ビワアンコウ――極端に小さいオスの役割
  8 デメニギス――透明な頭と巨大目玉の超能力
  9 ダイオウグソクムシ――無個性という特殊能力
第3章 生きた化石は深海にいる
 10 オウムガイ――貝がイカに進化する過程
 11 コウモリダコ――独自のニッチで1億6600万年
 12 シーラカンス――ダーウィン進化論の神髄

関連書籍