ちくま新書

デジタル・テクノロジーと教育

スマートフォン、YouTube、SNS、電子書籍、ICT教育…急速に変化するデジタル環境にあわせ、子どもたちの「学び」に大きな変化が起こっています。動画やSNSはどんな影響を子どもたちに与えるのか? うまくデジタルをとりいれた学習法はどんなものか? そんな疑問に答えるバトラー後藤裕子『デジタルで変わる子どもたち』(ちくま新書)の「はじめに」の一部を公開いたします。ぜひお読みください!

 過去20〜30年のデジタル・テクノロジーの発達および普及はめざましい。2007年の時点ですでにアメリカでは、生後3か月の赤ちゃんの40%がテレビ、DVD、ビデオなどを定期的に見ており、1歳児ではこの割合が90%に上るとのレポートが報告されて話題になった(Zimmerman et al., 2007a)。その後、スマートフォンやタブレット、パソコンなどのいわゆるニュー・メディアの普及が急速に進み、2015年に発表されたある報告では、アメリカの赤ちゃんは1歳の誕生日を迎えるまでにその35%がタブレットなどのタッチスクリーンに触れ、15%がアプリケーションを使い、12%がビデオゲームをしているという(Sifferlin, 2015)。
 日本の赤ちゃんも、動画などマルチメディアに触れる機会が急速に増えてきている。ベネッセ教育総合研究所(2018)の調べでは、2018年には、2歳児の平均で、テレビ(録画を含む)視聴に1日約190分、ビデオ・DVD視聴に約50分、タブレット端末は約40分、スマートフォンの使用に約30分を使っている。子どものデジタル機器の使用はアメリカがけん引する形となってきたが、日本をはじめ、他の多くの国々で、デジタル機器使用の低年齢化・普及は加速的に進んでいる。
 中高生にもなれば、ニュー・メディアは生活の中心になっているといっても過言ではないだろう。日本の中高生のスマートフォンの利用率は、2018年で中学生で69・0%、さらに高校生で92・8%と、ほぼ100%に近い利用率となっている。その主な使用目的はLINEなどの通話アプリを介したコミュニケーション、インスタグラムなどのソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)、ゲーム、動画や音楽の視聴である(内閣府2020)。すでに、中高生の間では、友達とのコミュニケーションは、対面型よりも、SNSなどバーチャルな方法が主流となりつつある。
 その一方で、日本では、他の先進諸国に比べ、デジタル・テクノロジーの学校教育への導入が遅れている。人工知能(AI)時代に生き残っていける能力を身につけていない若者が大量生産されているのではないかとの指摘もでている(新井2018)。文部科学省は、2019年に、児童生徒1人1台の端末の支給や、電子教科書の導入などを打ち出した。しかし、2020年春、新型コロナ感染拡大で学校閉鎖を余儀なくされた際には、他の多くの先進諸国とは異なり、義務教育ではオンライン授業は一部の例外的なケースを除きほとんど行われず、子どもたちの学校教育は停滞してしまった。
 もちろん、デジタル・テクノロジーをとにかく導入すればいいというわけではない。デジタル・テクノロジーは、利便性が高く、人間の活動を大きく広げる機会を与えてくれる一方で、使い方次第では人間の学びを損ねる危険性もある。デジタル・テクノロジーをどのように使っていきたいかという明確なビジョンがないままでの導入は、学びの質の貧困化と画一化を生み出すことにつながりかねない。デジタル・テクノロジーが、人間の認知機能の一部を担うような形で発達を遂げる一方、認知機能の低下を心配する人もいるだろう。活字を読むのが苦痛な新入社員を対象に、マニュアルを文書ではなく動画で作成することで若者の離職率をおさえる努力をしている企業もあるという(日本放送協会2020)。
 さらに、急速なデジタル・テクノロジーの発達は、アクセスの差による教育格差の問題も浮き彫りにした。ただ、単なるテクノロジーへのアクセスの差だけでなく、社会経済的地位によるテクノロジー使用の質の差も問題にされるべきであろう。デジタル・テクノロジー使用の質の差は、言語習得を含むさまざまな子どもたちの学びのプロセスと結果に、大きな影響を与えると考えられるからだ。

†本書の内容
 このような状況を踏まえ、本書では、人間の持つさまざまな能力のなかで最も重要なものである言語という能力に特に焦点をあて、生まれた時からデジタル・テクノロジーに接してきた2000年前後以降に生まれた子どもたち・若者たちのテクノロジー使用と彼らの言語発達・言語能力との関係について考えてみようと思う。その際、主な実証研究をもとにしながら、どのようにデジタル・テクノロジーを選択的・自主的・効果的に使っていくべきなのかを科学的に考察することを目的とする。私たちは、デジタル時代やICT(Information and Communications Technology)、人工知能といった新しいテクノロジーに対して、漠然とした不安や期待感を持っているが、これからますます浸透していくテクノロジー時代のニーズに適切に対応していくには、事実を正確に把握することが第一歩であると考えるからである。
 2000年以降に生まれ、デジタル・テクノロジーとともに育ってきた子どもたち・若者たちを、本書では「デジタル世代」と呼ぶことにする。こうした子どもたちを対象としたさまざまな教育的判断をしていくにあたり、私たちはいろいろな疑問に突き当たる。本書では、保護者や教育関係者が、常日頃疑問に思っているような項目をいくつか選んで扱っていく。
 第1章では、テクノロジー環境がどのように変わってきたのかを概観し、デジタル世代を取り巻く環境と、彼らのテクノロジーへの取り組みの現状をみてみる。
 第2章では、デジタル・テクノロジーと乳幼児の言語習得について考えていく。早期からデジタル・テクノロジーに触れさせてしまうのは、果たしてよいのだろうか。テレビやビデオ・動画の早期からの視聴は、言語発達にどのような影響を与えるのだろうか。乳幼児を対象にしたさまざまな言語教育プログラムがあるが、こうしたプログラムは子どもの認知言語発達に効果的なのか。子ども用の外国語習得のためのアプリはどうなのだろうか。
 第3章では、デジタル・テクノロジーがデジタル世代の読解力に及ぼす影響をみていく。リテラシーとは、従来、テクストの読み書きのことを指していたが、デジタル・テクノロジーの浸透で、リテラシーはもはや単なる「読み書き」ではなくなっている。その一方で、学校でのリテラシー教育は従来のままだ。デジタル絵本と紙の絵本とでは、子どものリテラシーに及ぼす影響に何か差があるのか。最近は、仕事や学業の上でも、デジタル機器を使って読むことが多くなってきたが、デジタルでの読み書きのプロセスは、紙上で読み書きする場合とどのように違うのだろう。
 デジタル世代はSNSに多くの時間を費やしているが、SNS上で子どもたちは、どんな言語使用をしているのだろうか。そして、こうした言語使用は、学校での読み書きにどのような影響を与えるのだろうか。第4章では、SNSに焦点をあて、デジタル世代のSNS上の言語使用と読解力との関係をみる。
 続く第5章では、やはりデジタル世代の心をとらえてやまないゲームを取り上げる。わが子がデジタル・ゲームに何時間も没頭している姿にため息をつく保護者も少なくないと思うが、やはりゲームは時間の無駄でしかないのか。子どもたち自身は、ゲームの持つ学習への潜在的メリットをどのようにとらえているのか。
 さらに第6章では、人工知能(AI)の技術が進む中での言語学習を考察してみる。子どもたちはAIロボットとどのような言語コミュニケーションをするのだろうか。機械翻訳技術の進化で、もはや外国語能力は不必要なのか。
 私たちが思い込んでいることと、実証データが示すことが、一致しないことも少なくない。実証データを見てみると、テクノロジーを無条件に取り入れるのではなく、いかに使っていくかが大切であることがわかる。テクノロジーを言語習得・言語学習に有効に使うには、テクノロジーという無機質なものに、身体性や社会性、情緒性を付加して使っていくことの重要性が浮かび上がってくる。
 テクノロジーは諸刃の剣であるともいえる。テクノロジーは、学習の効率を上げ、広いネットワークを構築し、英知・情報を集結し、創造性を高めてくれるなど、大きな可能性を秘めている。しかし使い方を間違うと、マイナスの結果を招くことにもなりかねない。効果的・創造的に使うには、どのような条件が必要なのかを的確に知っておくことが大切だ。
 さらに、実証データは、デジタル世代の中で、言語能力の格差が広がっていることも示している。このまま対策をとらないと、ある一定の子どもたちは、学校での学習に必要な言語能力(学習能力)の習得が不十分となり、その結果、他教科の学習も不十分なまま、社会にでていくことになってしまう。
 その一方で、従来の言語教育で考えてきた言語能力というものを、デジタル・テクノロジーが進歩する中で、見直すことも大切だといえる。必要な言語能力は時代によって変化する。デジタル世代の言語使用も理解しながら、その強みを最大限に活かす教育アプローチの構築が必要だろう。最終章の第7章では、デジタル・テクノロジーの時代に必要な言語能力について提案をしたい。従来、日本の教育のなかで重視されてきた言語知識に加え、非言語的手段も駆使しながら、自律的に、社会的に、そして創造的に言語を使っていく能力が必要だろう。そのような能力を子どもたちが身につけるために、教師や保護者が果たす役割は非常に大切である。

 デジタル・テクノロジーの使用に関しては、依存症など、精神発達上の問題もたくさん指摘されている。教育現場ではこれは非常に重要な問題であるが、今回は本書の対象としないことをお断りしておく。本書では、言語能力という面に焦点をあてて、デジタル・テクノロジーが言語能力の発達にどのような役割を果たしていくのかを、言語教育の視点から考えていくことを目的とする。

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