ちくまQブックス

体にだって言い分はある

体は面倒だ、と思ったことは誰にでもあるはず。頭ではわかっているのに、その通りには動いてくれない。心も体もどんどん成長する10代の頃は、とくにそう思う。でも体の側から見れば、ちょっとちがう景色が見えてくるらしい──。9月創刊のちくまQブックス『きみの体は何者か』の本文より一部分を公開します。読み終わると不思議に体を愛しく感じる14歳からの身体論です。

きみはきみの体に満足してるかな?
もっと背が高かったらよかったのに、とか、もっと目が大きかったらよかったのに、とか、男に生まれたかったな、とか、病気がなくて丈夫だったらな、とか、そんなふうに考えたことはある?

体って不思議だよね。

そもそもきみは、その体を自分で選んだわけじゃない。

自分で選んでその体型なのではないし、
自分で選んでその顔なのではないし、
自分で選んでその性別なのではないし、
自分で選んで体が弱かったり障害をもっていたりするわけではない。
それなのに、きみはその体を、一生かけて引き受けなくちゃいけないんだ。

買い物だったら、返品したり、サイズを交換したりできるよね。
仕事も、自分に合わなければ転職することができる。
部活だって、やめたり転部したりできるだろうし、そもそも入る前にお試し期間が用意されているものだ。

ところが体に関しては、お試し期間ゼロ、返品不可、でいきなりうまれてくる。
拒否権はないんだ。
どんなにあがいても、きみはその体から出ることができない。
この世に神様がいるとしたら、ずいぶん乱暴なことだよね。

もちろん、努力して体をきたえ、理想の体型に近づけることはできるよ。
勉強をして、学力を高めることもできる。
整形手術や性転換手術を受けることもできるし、遺伝子操作だって技術的には可能だ。
だとしても、やっぱりそこには限界がある。

まず、老いがやってくるよね。
ずっと先のことだと思っているかもしれないけれど、きみの髪にもやがて白髪が生えるよ。顔はシワシワになり、腰こしはヨボヨボになる。
年とった自分の姿を想像したことはあるかな? 体のあちこちにガタがきて、痛みがない日のほうが珍らしい、なんてボヤくようになるかもしれないね。

あるいは、交通事故や天災にあうかもしれない。目が見えなくなったり、片足を切断しなければならなくなったりする可能性だってある。
ビックデータだAIだとテクノロジーが発達したって、人生には想定外がつきものだ。何が起こるか分からない。
そして究極は死だ。きみはいつか死ぬ。どんなに長く生きたいと思っても、誰だれにも等しく、死はやってくる。
 
要するに、きみの体はきみの思い通りにはならないんだ。
きみは、体という「自分では思い通りにならないもの」をかかえて生きている。
 
不安になってしまったかな?
絶望してしまったかな?
それともとっくに絶望していたかな?
 
大丈夫。

「思い通りにならないこと」をネガティブにとらえる必要はない。
「思い通りにならないこと」は、きみが思うよりもずっとおもしろいことだ。
もちろんつらいと感じることもあるだろう。
体なんて牢獄だ、と逃にげ出したくなることもあるかもしれない。
でも、そこにはきっと宝石のような発見がある。
なぜなら、「思い通りにならないこと」は、「思いがけないこと」でもあるのだから。

逆の世界を考えてみよう。すべてが思い通りになる世界だ。
じゃんけんをしたら必ず勝つ。
外を歩くだけで、好みの人がどんどん声をかけてくる。
いくらでも食べたいものを食べられる。
いわば全能、神の視点だ。

でもそれって、そんなに楽しいことだろうか。
そんなに幸せなことだろうか。
そこには「うまくいくかな?」というスリルもないし、偶然の出会いもないし、その先にあるときめきもない。
だって、最初からそうなると分かっているから。
台本に書かれたとおりにしか、ものごとが進まないから。
思い通りになることは、案外つまらない。
プログラムされたとおりにしか動かないロボットと同じだ。
生きているという感じはしないだろう。
そもそも、人が頭で考えて思いつく「こうありたい」と願う内容なんて、大したことない。

これに対して、思い通りにならないことは冒険だ。
思い通りにならないことは、きみを想定外のところへ連れ出す。

つらいこともあるけど、それこそが問いだ。

この偶然与あたえられてしまった体をどう生きるか。
きみが与えられた体、その体が教えてくれることがある。
体はきみに語りかけている。
耳をすますんだ。

    *

続きはぜひ本書で。

 

 

 

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