筑摩選書

現代、そして将来を超える知恵と賢慮と

ショートショートをはじめとする、千篇をはるかに超える膨大な作品群を遺した日本最初のSF作家、星新一。エッセイも含め、その全仕事を読み抜き、ポストコロナを生きるための哲学を浮かび上がらせたのが、『星新一の思想――予見・冷笑・賢慮のひと』。初の本格的評論であるこの書の「プロローグ」を公開します。

プロローグーー「流行の病気」『声の網』「おーいでてこーい」ほか

ワクチンと陰謀
 「〈ことしの夏には脳炎が流行いたします。万一、もし感染いたしますと高熱を発し、死亡率も低くありません。みなさん、予防薬をお飲み下さい。そうすれば、なんの心配もいりません……〉
 テレビのアナウンサーがしゃべっている。
 〈…なお、念のためご注意しますが、ことしの脳炎ビールスは昨年のと型がちがいますので、昨年の薬をお飲みになっても無効です……〉」
 「新聞には、製薬会社の広告がいっぱいのっている。どれも「脳炎予防薬はわが社のを」という文句だ」
 2020年、世界中に拡がった新型コロナウィルス感染症は、日常生活から国際政治までを一変させました。感染して発症すれば高熱を発し、死亡例も少くない。ワクチンによる予防は可能のようだが、ウィルスは次々と変異種が生まれ、今のワクチンがいつまで有効かはよくわからない。そして各国とその製薬会社は、わが国のこそはわが社のこそはとワクチンの開発、売込みに余念がありません。
 そんないま、冒頭の引用を読んでも、肺炎じゃなくて脳炎?とか、接種するワクチンではなくて飲む予防薬?あたりで首をひねるくらいで、どうということもないでしょう。
 しかし、これが半世紀以上前、一九六八(昭和四三)年に発表されたとしたらどうでしょうか。
 右の引用は、星新一(以下、敬称全て略)の作品「流行の病気」(『ひとにぎりの未来』所収)冒頭からなのです。
 日本最初のSF作家星新一の仕事全体を徹底的に考察してみたい。
 以前より抱いていたこの想いが、コロナ禍を迎えて、あらためて強くなってきました。
 いま私たちはきわめてSF的な時代を生きています。
 私たちが直面しているそんな状況を、半世紀まえに活写していた星新一という作家。
 千篇をはるかに超えるショートショートを始めとするその膨大な遺産から、現代を将来を超える知恵、賢慮が汲みとれないか。
 そう考えるからです。


 死後、四半世紀を経てなお作品集四十数冊のほとんどが文庫で入手可能な作家。そのうちの十四冊がミリオンセラー。『ボッコちゃん』と『きまぐれロボット』はダブルミリオンセラーです。「おみやげ」、「おーいでてこーい」などを小中学校の教科書で読まれた方も多いでしょう。
 翻訳され海外で読まれている作品も少なくありません。
 しかし、星作品は本格的評論の対象とはされて来なかった。その生涯については、最相葉月『星新一――一〇〇一話をつくった人』(以下、評伝『星新一』もしくは評伝と略記)という決定版が大いに評判となりましたが、作品論の類はいまだ刊行をみないのです。
 なぜでしょうか。誰もがすぐ思いつく理由は、星新一といえば、ショートショートという少年少女向きの短くて読みやすいお話を書き続けた作家としてしか認識されず、ことさらに評論する対象とはならないとされてきたから。これでしょう。教科書にしばしば収録されてきたのも、小中学生向けの読書入門として最適だからでしょうし、各国語への翻訳も、日本語学習初心者用テキストとして需要があるからです。
 平成期、メディア上で目立った星新一の話題が、AIすなわち人工知能に小説を書かせようというプロジェクトで、星新一のショートショートが目標とされた一件だったのも、コンピューターでも書けてしまいそうな単純簡単な物語と思われたが故でしょう。
 いやもうひとつ、目立つ取り上げ方がありました。
 それは、二一世紀となった頃から星作品のおそるべき予見力が注目され始めたのです。皮切りは、二〇〇一年一一月から「サンデー毎日」に連載された最相葉月の「あのころの未来」でしょうか。
 そして、その予見力が最も再評価された星作品が、『声の網』(一九七〇)でしょう。

ネット社会をデテールまで予見
 『声の網』はショートショートではなく、十二の短編がつながってゆく形式を採った連作長編です。
 「コンピューター管理社会への移行の時代を扱った長編」(「物体など」一九七八、『できそこない博物館』所収)と作者自身が要約しているこの作品。
 二〇〇七年〇一月二八日付「毎日新聞」朝刊では「いまのネット社会そのもの」が描かれているとされ、ミステリ・SF研究家の日下三蔵は、「断片的なエピソードを積み重ねることで、ネットワーク社会に潜む恐怖を浮かび上がらせた」(『日本SF全集・総解説』)とまとめています。
 では『声の網』は、いまのネット社会をどう予見しているのでしょうか。角川文庫改訂版(二〇〇六)の解説で恩田陸は、こう紹介します。
 「例えば、冒頭の短編「夜の事件」で、土産物屋の主人が電話で今の売れ筋の商品の情報を得たり、在庫の補充を行うところがある」
 「考えてみれば、まだバーコードもPOSシステムもなかった時代に、こんにちのネットショッピングと同じようなことが予見されているのである」
 右の商店主は次いで、電話で自分の体調不良を伝えて診療を受けます。これに続く章「おしゃべり」では、若妻が不倫の悩みを「身上相談センター」へ電話して聞いてもらい、またメンタルヘルスの診療をこれも電話で受ける。まさしく、こんにちのオンライン診療やヤフー知恵袋などの人生相談的利用と同じようなことが描かれているのです。
 『声の網』では、「情報銀行」というアイデアも描かれます。
 「情報銀行」とは、つい忘れがちなあれこれ全てを保存でき、必要に応じて電話一本で思い出させてくれる「脳の」「心の出張所」であり、「優秀で忠実な個人秘書」でもあるサービスなのです。
 すなわち、私たちがもはや意識すらしない日常ツールと化したメーリングリストや予定表アプリ、グーグルやAmazon の検索履歴、いや、送受信メールも撮った写真も動画も、閲覧したネット情報などもみな自動的に記憶して、いつでも検索できるネットや携帯電話やスマートフォンの機能を、五十年以上まえに活写しているのです。
 さらに、蓄積された顧客の諸データから好みに応じた商品をおすすめしてくるサービスまでが登場するに至っては、Amazon 等のそうしたサービスになじんだ我々は、「すんなり読み飛ばした表現が驚くべき先見性を持っていたりして、その都度慌てて立ち止まっては読み返し、なぜこんなにも正確なのかとほとんど不気味に感じた」という恩田陸の感嘆(前記「解説」)にただうなずくしかありません。
 彼女の指摘するとおり、「『声の網』というタイトル自体、ネット社会のこんにちを予言しているように思え」てきます。
 『声の網』だけではありません。
 「無料の電話機」(一九六八、『盗賊会社』所収)を読めばバナー広告を、「番号をどうぞ」(一九六八、『ひとにぎりの未来』所収)、ではパスワード失念の焦りやマイナンバーを、「ナンバークラブ」(一九七二、『かぼちゃの馬車』所収)ならば出会いサイトやSNSコミュニティを、「指紋の方程式」(一九八二、『どんぐり民話館』所収)はビッグデータによるマーケティングを、私たちはすぐ想い起すはずです(★1)。
 「ものぐさ太郎」(一九七〇、『なりそこない王子』所収)では、ニートでひきこもりの青年が、電話ネットで老人の話し相手ビジネスを開業、裏情報通となり、政財界を動かすまでになってゆきます。

洞察された「秘密」を抱く猿たち
 二一世紀ネット社会の諸相を知る私たちが読むと、ああ、あれだなと思い当たる箇所に幾度となくぶつかる。そして、発表年を確かめ、半世紀まえの指摘であると知って、あらためて感嘆せずにはいられなくなる。そんな星作品がそれはもう無数にある。
 しかし――、後世のこうした評価を、はたして星新一はどれほど喜ぶでしょうか。
 というのは、エッセイ『できそこない博物館』に、こんな箴言があるのです。
 「予言者は、実現するまでは信用されず、実現したら無価値になる」。この伝でゆけば、予見の的中のみを讃えるのは、その作品がもう無価値となったというに等しくはないか(★2)。
 SF作家新井素子も、『声の網』についてこう語っています。
 「ここで、「星新一の先見の明は凄い!」って思うのは、多分間違ってないと思うんだけれど、この驚き方じゃ、星新一のほんとの凄さを見逃してしまうと私は思う」(「面白いんだけど、じっくり考えると怖くなる」『きまぐれ星からの伝言』所収)と。
 では、「星新一のほんとの凄さ」はどこにあるのか。
 新井素子は、こう続けます。
 「星新一が本当に凄いのは、パソコンなんてない時代に、コンピュータが電話で「声の網」を作ってしまうってお話を書いたことじゃなくて、その声の網に人間が絡め取られてしまうのは、人間の持つ"秘密"故だってことを喝破したことじゃないのかなあ」と。
 『声の網』は、いわばSFサスペンス・ミステリーです。
 第一話「夜の事件」。土産物屋の店主は、強盗が入るぞという謎の電話をうける。やがて、本当に強盗が来たが、じきに警察が駆けつけ逮捕。
 じつは強盗も、謎の電話に唆そそのかされたというし、警察も謎の声で通報があったという。すべては同一人物のいたずらなのか。なんの意図でそんな手のこんだことをするのか。
 電話はそれから、さまざまな老若男女にかかって来ます。青年には、元彼女へストーカー的電話をしたのを知っているぞと若妻には不倫がばれてるぞと囁く。誰も知らないはずの皆の秘密を謎の電話の主はすべて知っているらしい。なるほど、新井素子の指摘通り、物語の鍵は「秘密」にありそうです。
 恩田陸の文庫解説は、『声の網』の登場人物たちがしばしば「秘密」について考えると指摘しています。
 なるほど。第四話「ノアの子孫たち」登場の情報銀行支店長は、イヴのリンゴもノアの方舟も、「秘密」が鍵となる物語だと気づき、食料がとぼしい原始時代、そのありかが身内で「秘密」とされて以来、秘密とその詮索こそが人間の特質かもしれぬと、壮大な思索をめぐらす。第十話「ある一日」のサラリーマンは、愛と友情、信用と評価、取引に政治、文化など社会のまとまりは全て、「秘密」が守られるという基礎の上で成り立っていたと考える(★3)。
 そうした「秘密」は従来、心の裡とか親密な間柄だけといった狭い「内部」にのみあった。
 「だが、その境界がいつのまにかぼやけてきた。クラインの壺のように、内部と思いこんでいた部分がいつのまにか外部となっていて、とめどなく拡散してしまった……」ことに気づくのです。
 この作品の発表から半世紀を経、インターネット以後の世の中を生きる我々に、なんと身に迫る総括でしょうか。システム障害が起こす個人情報の漏洩。企業秘密や国家機密へのハッキング。ウィキリークスにスノーデン、バイト・テロ。インスタ写真からの住所特定……。ここ二十年、様々な「秘密」をめぐって内部と外部が裏返ったようなトピックがあまりに多い。
 新井素子も、恩田陸も気がついたこの「秘密」というテーマ。これが物語の鍵となるのは、『声の網』には限らないのではないか。
 じつは、この「秘密」というテーマは、星新一の仕事全体にその影を落としているのです。

「原子炉のカス」もプライバシーも
 星作品のなかで、最も知られたショートショートのひとつ、「おーいでてこーい」(一九五八『人造美人』所収。『ボッコちゃん』自撰)。
 郊外の村で発見された謎の穴。発見者のひとりが「おーい、でてこーい」と叫び、次いで小石を投げたが、反響ひとつない。
 科学調査でも底が知れない。目ざとい利権屋が、これは商売になると自分のものとする。捨て場所のない廃棄物をここへどうぞというわけです。最初にとびついたのが、「原子炉のカス」で悩む原子力発電会社で、汚染を懸念する村民は、利益の配分で納得し、やがて、都会までの立派な道路もできたというあたりには、めまいすら覚えます。
 発表は1958(昭和三三)年。東海村の実験炉に初めて、原子力平和利用の火がともったと日本中が希望を感じた時代。商業用原子炉などまだ一基もなかった頃なのです。
 伝染病の実験につかわれた動物の死骸。引き取り手のない死者の遺体。皆、穴へ捨てられる。都会の汚物をパイプで穴まで導く計画も立つ。「海に捨てるよりいい」と。
 しかし、この作品の本当の凄みはむしろその後ではないか。
 外務省や「防衛庁」も、不要になった機密書類を捨てに来た。知られたくない過去や恋愛の証拠、犯罪の証拠なども、この穴に捨てられるようになったというのですから。
 よく考えたら、これはおかしいでしょう。
 機密書類など、シュレッダーにかけるか、旧日本軍のように焼却してしまったほうが早くて確実ですから。犯罪の証拠抹消など、刑事に穴付近で張り込まれたらおしまいです。 
 だが、コンピューターとネットの時代、「おーいでてこーい」のこの欠陥は予見に変りました。
 私たちは今、恋愛がらみのメールであれヘイトスピーチであれ、行政上の証拠であれ、不都合なテキストはみな、消去ボタンやごみ箱のアイコンをクリックすれば消去できてしまえます。
 しかし、焼却やシュレッダーと違い、一度ネットへ上げられたテキストは、ネット空間のどこかに半永久的に痕跡をとどめているらしいのです。あたかも、底知れぬ穴へ捨てても、人目からは遠ざかっただけで、どこかに存在はしていたのと同様に。
 「おーいでてこーい」のオチはよく知られています(ちなみに、本書では星作品その他のネタバレをけっこうしてしまいます。評論の性格上やむをえませんし、ネタバレくらいで星作品の面白さが失われるとは考えられないからです)。
 穴のおかげで、環境はすばらしく浄化されてゆく。ある日、高層ビルを建設中の作業員が、青空から「おーいでてこーい」という声が降ってくるのを聴きます。次いで石ころが一つ空から落ちてくる……。
 続いて到来する大惨事を読者に予想させ、星新一は筆をおく。
 『声の網』はその第十話「ある一日」で、ある意味、この続きを描写しています。
 身の上相談やオンライン診療、情報銀行その他を入口として、声のネット上に蓄積された情報が、全てだだ漏れしてしまう一日がやってくるのです。
 例の謎の電話があらゆるところへかかってくる。そして、男女間ほかあらゆるプライバシー、政治上経済上の極秘情報などが無作為に漏らされる。裏社会や犯罪がらみの情報もある。銀行口座に覚えのない大金が振り込まれたりその逆だったり。流される危険な情報は真実ばかりとはかぎらない。ニセ情報虚偽情報も、同じように漏らされてくる。そんなとんでもない一日。
 発表から半世紀後、これを読む私たちは、コンピューター誤操作に乗じた一般投資家の一攫千金、震災時に流れたライオン逃亡のデマ、真偽定かならぬメールによる政局混乱など、フェイク・ニュースがあふれたここ二十年の世相を想い起さずにはいられません。
 「秘密」とされるものを何でも引き受けてくれる「声の網」。ネット空間。クラウド。それが一挙に逆流した「ある一日」。「おーいでてこーい」と、パターンはかわらない。どちらも、クラインの壺のように、内部がいつしか外部となった状況として一括りにできるでしょう。
 ただ、穴がしばし引き受けてくれたのは、「秘密」だけではなさそうです。もっと広い何か……。それはいったい何でしょうか。
 作中にこんな一節があります。
 「穴は都会の住民たちに安心感を与えた。つぎつぎと生産することばかりに熱心で、あとしまつに頭を使うのはだれもがいやがっていたのだ。また、ひとびとは生産会社や販売会社でばかり働きたがり、くず屋にはなりたがらなかった。しかし、この問題も、穴によって、少しずつ解決していくだろうと思われた」(新潮文庫、旧版)。
 「あとしまつ」の一言で、表現されるもろもろ。これはさらに、「盲点」とか「暗部」とか「不都合な真実」とか、いい換えたり、拡張したりできるかもしれません。
 「秘密」という視座から、人間心理を、世間を、解き明かしてゆく。
 「あとしまつ」という観点から、人生を、社会や経済を、文明の考察を展開してゆく。
 これは、長編とショートショートそれぞれの代表作のみならず、星新一の仕事のほとんどに見られる特徴ではないか。
 星作品がしばしば、シニカルで、ニヒリズムを湛えていると評されてきたのも、右の視点と無関係ではないでしょう。


 さて――、本書の意図は、私たちがコロナ禍以降を生きるための賢慮を求めつつ、星新一の全仕事を考察したいというものです。
 次の第1章では、その端緒として、ディストピアものと呼ばれている作品を取り上げ、星世界探索の糸口としましょう。
 その探索においても、星新一が、「秘密」という視座や「あとしまつ」という観点に立って、ビッグデータ社会やら原子炉のカスやら何やら、半世紀後の現在を予見していたのだというここまでの考察は、通奏低音のごとく響き、発展してゆくはずです。

★1――作品にしなかったアイデア・メモを紹介解説したエッセイ『できそこない博物館』冒頭の「物体など」には、コンピューター・ネットの故障を発見すると謝礼として莫大な賞金が支払われることで、社会システムのメンテナンスが図られるというアイデアが出てきます。これはブロック・チェーンのメンテに参加した報酬として暗号通貨が「採掘」できるとした、ビットコインの発想でしょう。

★2――予見力のみから評価するのなら、『声の網』のネット社会が、電話の通話を介したもので、キーボード入力も、PCやスマホのごとき「個電」の普及も予見できなかったという否定的評価だって下せるでしょう。『声の網』の二年後に刊行された工学博士石原藤夫の長編SF『コンピューターが死んだ日』には、タッチパネル入力も、二〇〇〇年問題を思わせるパニックやAI制御自動車の暴走なども予見されています。

★3――Y・N・ハラリのベストセラー『サピエンス全史』でも紹介された人類文化は「噂話好き」により革命的に発展したという説を連想させます。