PR誌「ちくま」特別寄稿エッセイ

増えるクラスメイト
奇妙なできごと・1

PR誌「ちくま」8月号より村田沙耶香さんのエッセイを掲載します。

 高校のとき、私には見分けのつかない人たちがいた。AくんとBくんとC先生だ。私には三つ子のように顔が同じに見えて、どうしても区別ができないのだった。
 Aくんは学年でもとてもモテる男の子で、かっこいいと評判だったので、他のクラスや違う学年の女子が見に来ることがあった。廊下側の席だった私は、「ねえねえ、Aくんってどれ?」とこっそり尋ねられることがあった。そのたびに、私は悩みながらも、二つの同じ顔(C先生は教室の中にはいなかった)のうちどちらかを、直観で指差していた。とても不思議なことだが、同じ顔をしている(ように見える)のに、Aくんはモテていて、Bくんは特にそういうわけではなかった。
 AくんとBくんは二人とも同じクラスの男子生徒なので、見分けがつかなくてもさほど困ったことはなかった。歩き方や上履きの汚れ方など区別できるポイントはいくつかあったし、間違えたまま会話をしていてもなんとかなった。しかし、C先生は、先生なんだからいくらなんでもけっこう違うと思うのだが、どうしても見分けがつかず、困ってしまった。先生には接し方を変えなければいけないからだ。タメ口で話しかけたり、またはクラスメイトに敬語を使ったりしてはおかしいので、「その顔」の人が少しでも先生に見えるとき(笛をぶらさげていたり、日誌を持っていたり)は、決して会話をしないようにしていた。
 C先生は体育の先生だった。ある日、私は教卓の前にC先生らしき人物が立っているのを見て、(次は体育だったのか!)と慌てて更衣室へ走って行こうとした。「さやか何してるの、次、英語だよ?」友達から怪訝な顔をされて、私は教卓の前にいるのが、AくんかBくん、どちらかのクラスメイトであることに気がついた。「あ、なんか寝ぼけてたみたい……」と答えながら、ちらりと見ると、確かにその人物は制服を着ていた。先生もたまにスーツを着るので紛らわしかったのだ。
 何で皆が三人の区別をつけられるのか、私には理解ができなかった。けれど親しい友人にいくら説明してもわかってもらえなかった。
 他にはこんなことがあった。私には同じクラスに仲良くなりたい女の子がいた。いつもにこにこしていて、話していて楽しいので友達になりたかったのだ。私は席替えがあったりバスの席順が決まるたびにその女の子を探していたが、近くの席になることはなかった。
 その子が違うクラスだったと気が付いたのは、二学期に入ってからのことだった。席替えが終わり、「○○ちゃんはどこの席かなあ。見当たらないけど」と呟いた私に、友達は仰天して、「え、いるわけなくない? なに? なんで? 隣のクラスだよ?」と言った。しばらく理解できなかったし、信じられなかったが、友達に名簿を見せられて、納得せざるをえなかった。
 何で、私は勝手にクラスメイトを増やしてしまうのだろう。みんなが「これが事実だよ」と教えてくれるとき、いつも、時空が歪むような感じがした。「事実」というものは私にとっていつも曖昧なものだった。いくら証拠を見せられても、五秒前まで自分と○○ちゃんは同じクラスだったし、何度教えられてもAくんとBくんとC先生は同じ顔で校内をうろうろしているのだった。その「事実」を、私にはどうしても否定することができないのだった。
(むらた・さやか 小説家)