村田 本当は三月六日の日本橋・誠品書店での『ポラリスが降り注ぐ夜』刊行記念トークイベントでお話しできればよかったのですが、そのあたりからどんどんイベントなどが中止になって、今に至るまでまったくひとと会わない生活になってしまいました。
李 わたしも最近ずっとひとと喋っていないので、話し方を忘れてしまいました(笑)。
―― 今日は二カ月前のリベンジとして、『ポラリスが降り注ぐ夜』を振り出しに、村田さんの作品やお互いの小説を書くスタイルなどお話しいただければと思います。
まず最初に村田さんに『ポラリスが降り注ぐ夜』の感想からお話しいただけますか。
村田 読んだとき、とても救われた気持ちになりました。舞台となる新宿二丁目は、新宿によく行くこともあり、個人的に思い出深い場所で親しみがあるのですが、その場所が、七人の人物それぞれの眼差しから、丹念に描かれていて作品世界をとても繊細に、鮮明に、信頼できる複雑さと言いたいような形に創り上げられていると感じました。いろいろな角度からなる七編で構成されていて、それぞれの語り手の感情や、人生の瞬間、記憶の中にある光景、二丁目という場所がどういう光景に見えるのか、七つの物語が重なりあうことで二丁目を遠く離れた光景まで見えてくる。凄い作品だなと、読んだあとはしばらく頭の中をいい意味で支配されました。
―― さまざまなセクシュアリティを持つ女性が各編の主人公になるわけですが、特に印象に残った話や登場人物はありましたか。
村田 どれもそれぞれ好きなので悩んでしまいますが、三章の「蝶々や鳥になれるわけでも」のAセクシュアルの蘇雪はとても印象的です。恋愛感情を持たないセクシュアリティのひとが、二丁目でもどこか溶け込めない気持ちを覚えるところや、バイト先の男性に告白されて、「恋愛感情がない」ということを絶対に理解してくれないだろうと思いながらする会話がとてもリアルに描かれていて、痛みも大切にされているような緻密な心理描写が、とても印象深く、こういう物語が世界に存在している、ということ自体にとても救われた気持ちになりました。
あと四章の「夏の白鳥」の夏子さんが二丁目をずっと見続けてきて、いまは「ポラリス」のオーナーとして、若い子たちのための場所を作っているというのが心に残っていて、というのは以前友だちの取材に同行してSMバーに行ったことがあるのですが、そこの店長さんがとても素敵な方で。彼はSという性的嗜好を持った男性なのですが、もともとは大阪にいて、なぜ自分がこんなに女性を痛い目に合わせたいというような気持ちがあるのかわからず、とても苦しかったと仰っていました。でも大阪でSMバーに行ったことで、同じような思いを持っているひとたちが他にもいることを知って楽になり、東京にもそういう場所を作ろうと、この店を開いたという話を聞いて、友だちの取材についてきただけなのに、とても揺さぶられました。そういうマイノリティのための場所を作るひとの感情が描かれていて、はっとしながら読みました。彼女の物語からは特に、二丁目という街の歴史が感じられて、それも印象深かったです。
李 有難うございます。こうして面と向かって作品の感想を言われることってあまりないので、照れますね。村田さんが「蝶々や鳥になれるわけでも」を好きと言ってくれたのは嬉しいです。実はツイッターで一番好きな章がどれかというアンケートを取ったことがあって、「蝶々や鳥になれるわけでも」はそんなに票が多くなかったので、ちょっと意外な気もしました。そう言えば、『コンビニ人間』の古倉恵子も少しAセクシャルの傾向があるかもしれないですね。あと『地球星人』の奈月にもその雰囲気があるでしょうか。
村田 日本ではあまり訊かれないですけど、海外では恵子はAセクシュアルなのかという質問をいくつか受けました。自分でも恵子はAセクシュアルの要素があると思って書いていたので、蘇雪の話に親しみを感じたのかもしれないです。奈月については、幼少期の性的虐待がひどすぎて、彼女が自分自身の性的指向を考える時間がないまま物語が進んでいくので、彼女自身のセクシュアリティはまださだかではないところがあります。ちなみに「ポラリス」というお店は実際にあるのでしょうか。
李 架空のお店なんです。
村田 じゃあ、あとがきも虚構の一部なんですね。すごく行きたいなと思ったので(笑)。
李 わたしも行きたいと思っています(笑)。村田さんもわりとこれは本当のことなのかフィクションなのか判断がつかないことを書かれますよね。けっこう読みながら調べたりするんですけど、『地球星人』で出てきた長野の山中の秋級という場所は実在しないんでしょうか?
村田 秋級は存在しないんですが、子どもの頃夏休みに遊びに行っていた祖母の家が長野にあって、そこをモデルにしています。村の地図や実際に住んでいる人の人数や年齢など、小説の都合上合わない部分があったので、違う名前を付けたのですが、ほぼ実在と言えるかもしれません。
李 「ポラリス」も虚構ではあるけど、実在するお店の何軒かのイメージを融合させて作ったものなんです。所在地も設定はあるんですけど、実際に行ってもなにもないところです。「ポラリス」以外のお店はだいたいモデルがありますね。
村田 二丁目はあまり詳しくはないんですが、詳しい編集者さんや友人に連れられて、いくつかのお店に行ったことがあります。
李 「週刊読書人」の選書企画とか、他のインタビューなど拝見すると、村田さんは新宿で飲まれることが多いとか。
村田 新宿は、例えばパジャマみたいな恰好をしていても、逆にドレスを着ていてもなぜだか溶け込めてしまうところがあって、どんな姿でいても受け入れてくれる場所だと思っています。そういうところが居心地がよくて、昔からいちばん新宿が好きなんです。
李 わたしも新宿は好きで、二〇一三年に日本に来たんですけど、最初に住んだのが新宿区でした。当時は早稲田大学の大学院に通っていたので早稲田に住んでいて、新宿も近かったので頻繁に行っていました。それもあって思い入れはありますね。おっしゃるように、どんな形(ナリ)をしている人でも受け入れられそうな、あの雰囲気が心地よくて。
新型コロナウイルス禍の影響を受けて中止となった3月6日、日本橋・誠品書店での李琴峰さんと村田沙耶香さんの『ポラリスが降り注ぐ夜』刊行記念対談。場所をオンラインに移し、「こういうひとが真摯に描かれている小説をずっと読みたかった」と言う村田さんの『ポラリス』感想から、「どれも突拍子もないアイデアが秀逸」という李さんの村田作品への賛辞、そしてお互いの書法からマイノリティへの思いまで、たっぷりお話しいただきました!