ポラリスが降り注ぐ夜・文庫版

個人のための言葉、あるいは小説家の使命【前編】

『ポラリスが降り注ぐ夜』文庫化&「肉を脱ぐ」連載開始記念対談

李琴峰さんの代表作にして芸術選奨新人賞受賞作『ポラリスが降り注ぐ夜』が待望の文庫化! 単行本刊行時に対談していただいた村田沙耶香さんと、あらためてその魅力について、また激動する世界のなかで、いま小説家が書くべきこととは何か、前・後編の2回に亘って、存分にお話しいただきました。

――今日は李さんの『ポラリスが降り注ぐ夜』の文庫版が六月に刊行されるということで、二年前、単行本の刊行時にコロナで対談イベントが流れて、リモートで対談していただいた村田沙耶香さんにあらためてこの二年間のこともまじえつつお話しいただければと考えた次第です。
 また後半は同じく六月に出た「ちくま」六月号から始まった李さんの新連載「肉を脱ぐ」の話と、それに絡めて、いま小説家であるということ、小説を書くことと社会の関係など話を広げていければと考えています。
 それではまず、村田さんは文庫版で『ポラリス』を読み返してみてどのような印象を持たれましたか。

村田 いま二年前の対談を読み返しながら、同じこと言ってると思ったんですが(笑)、やっぱり「蝶々や鳥になれるわけでも」で、蘇雪が一語一語ゆっくりと「言い訳じゃない。私は恋愛には本当に興味がないんだ」と説明するのに対して「君は、レズなんだな」と返される場面のようにアセクシュアルの痛みが描かれているところが私にとって大事なものでした。
「五つの災い」もあらためて読むと胸に迫るものがありました。この話も含めて、ひととひととのつながりが真正面からぶつかったり支え合ったりというのではなく、ちょっとした出会いや何気ない一言がその後に影響を与えたりするということが丁寧に掬い上げられていて、改めてこの小説が好きだなと思いました。
 読むひとがテーマを聞いて思い浮かべるようなマイノリティのある種の過剰さ、言葉は悪いですが「感動ポルノ」的なところがいっさいなくて、それとは正反対に小さな個々人の生や記憶がこわいくらいの誠実さで、丹念に取り上げられているのが素晴らしかったです。

 ありがとうございます。『ポラリス』は二〇一八年年末の新宿を描いた作品で、二〇二〇年に刊行した時点で私の三冊目の本だったわけですが、振り返ってみても、自分が書きたい小説の理想像を実現できたと思いますし、代表作と言える小説です。
 小説は個人の声を掬い上げるもので、政治や国際情勢といった大きなものに絡め取られてはいけないと先日「朝日新聞」への寄稿で書きましたが(「国家に領有される個人」、三月二九日付朝刊)、これは本当に私の実感です。しかし、これは小説は政治や思想を語ってはいけないということではなく、創作物である以上、意識するにせよ無意識にせよ思想は必ず入ってくるので、そこに自覚的でなければいけません。
 よくマジョリティ側のひとが「ただ面白いものを書きたいだけで、思想とかはありません」と言いがちですが、そこには言うまでもなくマジョリティ側の思想があらかじめ組み込まれています。「思想はない」と言えてしまうのは、その「思想」を意識しなくてもいいというマジョリティゆえの特権です。逆にマイノリティ側が創作物を作る際に、もちろんそこに思想が反映されるわけですが、そうすると「作品に思想を入れるな」と言われます。
 創作物は思想の反映ですし、登場人物の一人一人にも政治や国際情勢といった大きく社会的なものが影響している。そのつながりは捨象してはならないと思います。小説は個を書くものであるのが大前提ですが、その個がいかにして社会と相互関係を持っているかも書かないといけない。結局は「個人的なことは政治的なこと」のような古くさいスローガンに逢着するのかもしれませんが、個を描くのと同時にまわりの事象、コミュニティも描かないといけないと思います。特にセクシュアルマイノリティの場合は、コミュニティが不可視化されてきた歴史があるので、そこは強く意識して『ポラリス』を書きました。
 単行本刊行後の二年ということで言うと、ライフカフェのモデルになったココロカフェが二〇二一年の一月につぶれてしまったのは大変ショックを受けました。去年U-NEXTで配信した『観音様の環』という中編は『ポラリス』ユニバースとも言える作品で、『ポラリス』で書いた二〇一八年のあと二〇二〇年後半から二〇二一年の二丁目を書いていて、ライフカフェの閉店のことも出てきます。意図的に現実とリンクさせながら小説を書いているんです。
『ポラリス』のあとがきは「二〇一九年夏」に書かれたことになっていますが、その後はコロナもあるし戦争も起こるし右傾化も加速するし、ろくでもないことになっています。その一つとしてネット上のトランスヘイトの加熱があります。『ポラリス』のなかでもトランスヘイトについて書きましたが、いよいよ現実の状況が悪化しているのを憂慮しています。

――二〇一八年から大きく世の中が変化したのは確かですが、いま『ポラリス』を読み返しても、古びた感じがしないのはそこに書かれていたことが普遍性があった、それこそそれぞれのセクシュアル・マイノリティ個人の姿をきちんと捉えていたからだと思います。

 マイノリティのひとはマジョリティから「ああいうひとたち」と一括りに語られがちですけど、本当は一人一人違う人生を生きていて、そのバックグラウンドもそれぞれが抱える苦しみも異なっています。そこは創作物だからこそ伝わることではないかと思います。

――トランスヘイトにしても「五つの災い」を読めば、抽象的な「トランス女性」がいるわけではなく、葉若虹(イェールオホン)や蔡䁱虹(ツァイシャウホン)という生きている個人がいて、彼女たちが抱えるリアリティがあることが伝わってきます。
李 トランスヘイトだけではないですが、何事もまずリアルを知ってから語ってほしいです。

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