ちくま新書

意外性がもたらす知的果実

波頭亮著『文学部の逆襲』解説

内田樹さんに、波頭亮著『文学部の逆襲』の書評を寄せていただきました。広い視野と距離感の「さじ加減」、遠くのもの同士を関連づけることで生まれる深い洞察……時代と世界を読み解く際の心得が説かれています。(PR誌「ちくま」11月号より転載)

 ひろびろとしたパースペクティヴの中でものごとを考えることが時には必要だ。そうすると、起きていることが「表情」を持つようになるからである。今目の前で起きていることを、今ここ私の特殊な関心だけに基づいて観察するというのは、人の顔を顕微鏡で観るようなものである。たしかに、肉眼では見えないような皮膚の細部はあらわになるかも知れないけれど、その人がどんな「表情」をしているのかは分からない。それを知るためには、何歩かステップバックしないといけない。あまり遠ざかり過ぎると、今度はかすんで見えなくなる。その「さじ加減」が難しい。
 本書は「ひろびろとしたパースペクティヴの中」で資本主義と民主主義とテクノロジーの問題を論じているが、この距離感がたいへんに精妙である。だから論じられているトピックの「表情」が豊かである。
 論じられているのは、新自由主義の功罪、自由と平等の葛藤、民主主義の機能不全、AI化がもたらすインパクト……と多岐にわたる。どの話題も「よく聴く話」である。だが、その選択と配置が独特である。ふつうは「この話」と「この話」は同じ本には出てこないという話が出てくる。ケインズとハイエク、ピケティとロールズ、リーマンショックと「オキュパイ・ウォール・ストリート」が同じ章に出てくるのはわかる。けれども、J・S・ミルとトランプ、AIとカール・マルクス、アリストテレスとホイジンガというような文字列が同じ章に出てくることはふつうはない。ふつうはないことが起きるのは、著者が関連性のなさそうなものの間に関連性を発見することが好きな人だからである。私はこのタイプの知性を高く評価する。
 数学者のポアンカレによると、洞察とは「長い間、互いに無関係であると考えられていた事実の間に、思いがけない共通点を示す」働きのことである。そして、結びつけられた二つの事実が表層的に無関係であればあるほどその洞察のもたらす知的果実は豊かなものになる。
 この本の魅力はその二点にあると思う。広い視野の中に置くことで、できごとに表情を与えること、そして、遠くのものを関連づけることでできごとを立体視させてくれること。
 著者の個別的な主張については、私はほぼ全面的に同意する。とりわけ「民主主義の二つの基本理念である自由と平等は根本的に調和的並立が難しい」というところには大きく頷いた。この食い合わせの悪い二つの理念の折り合いをつけてくれるのは経済だという洞察にも敬服する。
 ソ連の社会主義は平等を重んじたが、そのせいで経済は回らなくなった。新自由主義が自由を暴走させたら、今度は格差と貧困が広がってまた経済が回らなくなった。平等より市民的自由を優先させた方がいい場合があり、市民的自由をいくぶん抑制しても公権力が適正な再分配を行った方がいい場合がある。何であれ「行き過ぎ」はいけないということである。
 たいていのことは原理の問題であるよりはむしろ程度の問題である。これは著者が長く生きてきて会得した経験知なのだろう。たしかに、資本主義も民主主義もテクノロジーも、どうやって制御し、どうやって最大のベネフィットを引き出すかは、「程度の問題」であって、いずれについても一般解はない。そのつどの具体的状況に臨んで、臨機応変に判断するしかない。
『文学部の逆襲』というタイトルはいささか挑発的だけれど、別に著者は「これからは文学部に資源を集中せよ」というような原理主義的なことを言っているわけではない。「文学部を廃絶する」というような極端なことは自制した方がいいと言っているのである。何であれ原理主義的なことばかり言っていると頭が回らなくなるぜと諭しているのである。

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