ちくま新書

映画的技法を駆使した絵巻の斬新なまんが化
大塚英志監修/山本忠宏編『まんが訳 稲生物怪録』書評

 一昨年の確か秋頃だったろうか、神田のある古書店から送られてきた目録の中に「稲生物怪録」として知られる『稲生家妖怪傳巻物』1巻が売りに出ているのを見つけたのは。
「稲生物怪録」とは、寛延2年(1749)、備後国三次(現広島県三次市)に住む当時16歳の武家の子息・稲生平太郎(後の武太夫)の屋敷で1カ月にわたって次々に起きた怪異の記録で、多数のユニークな怪異・妖怪が描かれていることで注目を集めてきた。文章のみのものから、絵だけのもの、文章と絵の双方があるもの、また写本や版本など、様々なかたちで流布したが、その淵源は武太夫本人が著して弘化元年(1844)に国前寺に奉納したとされる「覚書」や、同僚の広島藩士・柏正甫が武太夫本人に直接取材してまとめた「聞書」(天明3年〔1783〕)あたりであろうとされている。
 ところで、私が勤務していた国際日本文化研究センター(日文研)では、妖怪文化研究の一環として関連資料、特に絵画資料の収集に力を入れてきたが、残念なことに、「稲生物怪録」の収蔵に至っていなかった。従って、喉から手が出るほど欲しい資料だったので、この絵巻を精査したところ、嘉永2年(1849)に描かれた、柏正甫本系統の比較的古い絵巻で、上下2巻から成る絵巻の下巻だということがわかった。
 このいわゆる「柏本」の系統の伝本は、聞書という性格上、基本的には挿絵は描かれていない。しかし、珍しいことに、この系統に属する広島県立歴史民俗資料館と慶応大学が所蔵する『稲亭物怪録』の2本には挿絵が付いており、件の絵巻の絵柄や構図と共通していたのである。「稲生物怪録絵巻」と言えば、『別冊太陽 日本の妖怪』(平凡社)や『稲生物怪録』(角川ソフィア文庫)などで紹介されている、いわゆる「堀田本」の絵巻が想起されるが、比べてみればわかるが、この柏本系の絵巻は堀田本とは明らかに違った絵柄・構図となっているので、その点でも興味深い資料であった。
 下巻のみで詞書(物語の文字テキスト)がないといった難点があったが、その資料的価値の高さを説いてなんとか購入にこぎつけたところ、早速関心を示したのが、日文研において大衆文化研究を推進する大塚英志氏を中心とするグループであった。大塚氏は、世間で流通している日本のまんが・アニメーションは絵巻から生まれたとする説に対して、日本のまんがの発展においては手塚治虫らによって意図的に導入されたモンタージュなどの映画的技法が重要な役割を果たしたことを説いていることで知られている。そのことを考える一環として、日文研所蔵の絵巻を使ってまんが化を試みるという実験的な試みに挑戦し、その成果が『まんが訳 酒呑童子絵巻』(ちくま新書)であった。それが好評を博したのだろう、その第2弾が本書で、その素材として選ばれたのがこの絵巻であった。
 絵巻は物語の重要ないくつかの場面の絵に、詞書を挿みながら何枚も横につなぎ合わせて、巻物にしたものである。従って、各場面はおおむね俯瞰的つまりロングショットにならざるをえない。このため絵師がその場面のどの部分に強調点を置いて描いたかがわからない。
 ところが、まんが化の妙味は、各場面を翻訳者(まんが化作業者)の判断で切断し、ある部分はロングで、また別の部分はクローズアップでと縦横にコマ割りし重ねていくところにある。それによって絵巻とは異なった相貌を獲得し、絵巻とまんがの特徴の違いや、さらにそこには映画的技法が巧みに駆使されていることも明らかになってくる。これはまことに注目すべき斬新な試みだと言えよう。
 なお、本書巻末には、木場貴俊氏による「稲生物怪録」及び妖怪画の歴史に関する解説が付されており、参考になる。