私は「東京2020オリンピック・パラリンピック大会」の開催賛成派だった。という以上に大会の招致活動にも積極的に協力した大会推進派の一人だった。その理由は、一つには1964年小学6年生のときにテレビで体験した東京五輪があまりにも素晴らしい大会として心に焼き付いたため、夢よもう一度、と思ったのだ。そして長年スポーツに関する取材と執筆を続けてきた人間として、二度目の東京五輪をきっかけに、日本のスポーツが「教育」や「企業宣伝」に利用される「体育」や「企業スポーツ」から、自立した「真のスポーツ文化」へと生まれ変わってくれることを願ったのだった。
だから2013年ブエノスアイレスでのIOC総会で東京大会の開催が決定したときには、ちょうど出演していたテレビの深夜特番で他の出演者とともに快哉を叫んだ。が、同時に喉元に小骨が刺さったような違和感を感じたことも事実だった。
大会招致の演説を行った安倍首相(当時)は、福島の原発事故に触れ、「アンダーコントロール」と断言した。その言葉が大嘘であることは明らかだった。3・11東日本大震災の数か月前、私は某電力会社から原発関連のインタヴューを申し込まれ、謝礼500万円という金額を提示されてその仕事を断った経験があった(その破格に高額の謝礼は明らかに原発賛成の意見を引き出す協力金ですよね)。以来福島の事故にも興味を持ち、大量の汚染水が「コントロール不能」であることくらいわかっていた。
このときの小骨は、時間とともに驚くほど大きくなった。
五輪招致に2億円の賄賂?……夏の東京は温暖な気候?……エンブレムに盗作疑惑……少ない経費でコンパクト五輪⁈……新国立競技場周辺住民の強制立ち退き……五輪の建設工事での資材や人件費の高騰が震災復興工事の妨げに……工事の現場監督が過重労働を苦に自殺……酷暑を危険視したIOCがマラソンと競歩を札幌に移転……組織委会長が女性蔑視の暴言で辞任……開会式演出の女性が電通の圧力で辞任……代わって責任者となった電通のクリエーターが女性タレントの容姿を侮辱する演出を週刊誌に暴露されて辞任……開会式の音楽担当者が障碍者に対する過去の虐待を暴露されて辞任……過去にユダヤ人ホロコーストを揶揄していた演出ディレクターを開会式前日に解任……これほど多くの恥ずべき不祥事が開幕前に連続して起きた五輪大会など皆無だろう。本間龍氏の著作から不祥事の部分だけを抜き出しても、改めて唖然とするほかない醜態だ。
しかも、あらゆる差別に反対するオリンピックの理念の根幹に反する不祥事も含まれ、本来ならIOCが五輪開催不適格として東京からその権利を剥奪すべきほどの恥ずべき事件の連続とも言えた。が、商業主義と肥大化で《理念よりも金儲け》のIOCは東京を非難するどころか、コロナ禍がどれほど深刻化しようが1年延期による強行開催の姿勢を貫き、日本の総理大臣もそれを政治的延命策に利用しようとした。おまけにオリンピック史上最悪の出来事と言える主要メディア(朝日・読売・毎日・日経・産経・北海道)のスポンサー化とジャーナリズム(批判精神)放棄の《翼賛報道》によって、総費用4兆円にも及ぶ《理念なき巨大スポーツ競技大会》は開催されたのだった。
かつての「東京五輪推進派」としては、体育の日がスポーツの日に、日本体育協会が日本スポーツ協会に、国民体育大会が国民スポーツ大会に名称変更され、スポーツ基本法とスポーツ庁が生まれたことをもって良しとするほかない。が、それ以上に喜ぶべきは、本間龍氏が東京五輪の暗部をすべて曝け出し、「平和の祭典」などと表向き呼ばれているオリンピックが、本当はそのような理想とは懸け離れた《恐ろしいほどのコストがかかるオワコン(終わったコンテンツ)》であることを明らかにする本書を書き残してくれたことだろう。
しかし日本には、2030年に二度目の札幌冬季五輪を招致しようと動き始めた人たちもいる。その人たちにも是非とも本書を読んで考え直してほしいものだ。が、あっ! その人たちは、最悪の東京五輪でも金儲けに成功したのですよね。嗚呼。
お世辞にも成功したとは言えない東京五輪の総括もしないまま、二度目の札幌冬季五輪の招致に動き始めた人たちさえいます。また同じ過ちを繰り返すのでしょうか。今回の東京五輪は日本に何をもたらしたのでしょうか。スポーツジャーナリスト玉木正之さんに『東京五輪の大罪――政府・電通・メディア・IOC』の書評をご執筆いただきました(PR誌「ちくま」2022年1月号より転載)