ブラッドランド

シンプルな野蛮

世界30カ国で刊行、アーレント賞はじめ12の賞に輝き、米・独・仏など各国でベストセラーを記録した話題の歴史ノンフィクション、ついに邦訳刊行! 人類史上最大のジェノサイドの全貌を初めて明らかにし、歴史の闇に葬られた不都合な真実を暴き出した問題作を、いまどう読むべきか? 藤原辰史氏、武田砂鉄氏、田中克彦氏による緊急書評を3週連続で掲載します。

シンプルな野蛮

 現在の国名でいえば、ポーランド、ウクライナ、ベラルーシ、エストニア、ラトヴィア、リトアニア、そして、ロシア連邦の西側国境沿いの地帯。これが、ティモシー・スナイダーが描いた「ブラッドランド」、つまり、ヒトラーとスターリンの時代、ナチスとソ連によって幾重にも蹂躙され、1,400万人を超える生命が失われた「流血地帯」である。
 『ブラッドランド』に記述される諸事実について、おそらく、それぞれの専門家は言いたいことが少なからずあるだろう。私もそうだ。しかし、即座に本書に反論することは難しい。なぜなら、専門家のほとんどが多かれ少なかれ自分の歴史観との対決を迫られ、批判を準備する以前にそこに時間と労力を費やす必要があるからだ。あの時代を振り返るうえで、繰り返し私たちの頭に枷をはめようとする常識的な歴史観を、この本は打ち砕いていく。ナチズムの専門家も例外ではない。
 私たちナチズム研究者は、アウシュヴィッツに代表される収容所の内側の死にあまりにも囚われすぎていて、収容所の外側で、後頭部を撃ち抜かれ、餓え死した無数の子どもたちや母親たちから目を逸らしてきたのではないか。1944年のドレスデンの空襲で亡くなった民間人の写真にあまりにも心を奪われていて、ドレスデン空襲とほぼ同じ数の人々が亡くなった1939年のワルシャワ空襲のポーランド人の犠牲者をきちんと想起してこなかったのではないか。ユダヤ人に対するナチスの暴力にあまりにも目を奪われていて、非ユダヤ系ポーランド人の死に淡白だったのではないか。
 私たちナチズム研究者は、東部総合計画や飢餓政策にみるナチスの蛮行の実態を明らかにしようと努力してきたが、しかし、ソ連によるウクライナの人為的飢饉や、ソ連によるユダヤ人やポーランド人の虐殺を、ナチスとの連動あるいは責任のなすりつけあいという現象のなかで、ナチスの蛮行の相対化を拒絶しつつとらえる、という作業をきちんとしてこなかったのではないか。アーレントの全体主義論を読み、ソ連やナチスの近代化・科学化・官僚主義の弊害を取り上げているうちに、ソ連やナチスが人間の道を逸した愚行および蛮行を平然とやってのけたという事実をストレートに受け入れるための鍛錬を怠ってきたのではないか。幾度となく真摯な東欧史研究者からドイツ語中心主義のナチズム研究者に突きつけられてきた「大国史観」への安住という批判を想起せざるをえない。
 もちろん、こうした自己点検は、研究者に限るものではない。同じことは、この時代に関心を抱くすべての人に当てはまるだろう。
 さらにもうひとつの点検が私たちに求められる。「食べること」という根本的な歴史現象にきちんと寄り添ってきたのか、という点である。スナイダーの描く歴史像の新鮮さは、銃弾や爆弾というよりは、農業や食料や飢えを頻繁に登場させたところにもみられる。それはおそらく、流血地帯の惨劇が東欧の食の生産と消費の現場で繰り広げられてきたからだ。
 ナチスの東部総合計画にせよ、ソ連の集団化にせよ、この地域で実験され、無数の屍を積み上げた政策は、市場経済の危機の時代に農村の構造改革を進め、均一的な「農民身分」を創出し、食料を安定して都市の労働者に供給し、急速な工業化に対応させるためであった。ソ連やナチスが、零細な土地しか所有できないあるいは借りられない農民たちに土地を与えたり、土地を集約して集団で運営したり、あるいは、農民を人種的かつ規模的に統一しようとしたりする試みを、大胆に、かつ、強引に遂行できたのは、その農地で働いていたウクライナ人、ポーランド人、ユダヤ人を追い出し、餓死させたり、銃殺したりすることに躊躇しない「人間性」の放棄があったからである。
 そして、その放棄のもっとも悲惨なあり方として、スナイダーが、飢えを通じた暴力を執拗に描いていることは印象的である。ソ連のウクライナ飢饉にせよ、ナチスのレニングラード封鎖や飢餓政策にせよ、スターリンもヒトラーも彼らの部下も、飢えさせて死ぬがままにするという方法が、個人の苦しみをどこまで増大させるのかについて恐ろしいほど鈍感でありつづけた。
 自国を飢えさせないために、他国や他人種を飢えさせる。あの時代にあったこんなシンプルな野蛮に正しく衝撃を受ける感性を私たちはまだ失ってはならない、とスナイダーは言っている。失っていなければ、私たちの思考は、いま、新自由主義の時代に再編を迫られる世界各地の農村、そして飢えを強いられる人々の心にもっと向かっていただろうに。無意識に受容してきた歴史観の枷が、現在の私たちの視界さえ遮ることを感じざるをえない。

関連書籍