いまなお繰り返されている文明史問題
300万人もの餓死者を出したという1933年のウクライナにおける飢餓政策にはじまって、第二次大戦が終結する45年までの12年間に、ソ連とナチス・ドイツがそれぞれに行った大量殺戮のぎせい者の数は、あわせて1400万人にのぼるという。
殺戮が行われたのは、ソ連からドイツに至る一帯で、ウクライナ、ベラルーシ、ポーランド、バルト三国などが含まれる。著者はそこを指して、「ブラッドランズ」(Bloodlands)と名づけて表題とした。
日本の読者には、ユダヤ人問題の「最終解決」としてのホロコーストはよく知られているが、殺処分の対象になったのはユダヤ人だけでなく、これら諸国の諸民族であったことを知らせるのが、本書の目的の一つである。
著者は、この地域で起きたできごとを、異常な忍耐力でもって調べあげて詳述した。殺戮の方法は、独ソの別なく共通していて、まずは強制収容所での集団餓死だが、これには時間がかかるので銃殺へと進み、ナチスは最後には、効率のよいガス処理を案出したのである。
これらの殺戮は戦争以外の場で起きたことに著者は注意をうながす。となるとその目的はなんだったのか。ユダヤ人についてはよくわかる。ゲルマン民族としてのドイツ人の血の純血を回復するためという、よく知られた人種主義にもとづく言説があるからだ。またソ連は、ウクライナの富農層から土地と穀物を奪い、そのあとに貧農を入れかえるという階級闘争の意義をかかげた政治的殺人であった。
それに対して、ロシア人ではない「劣等スラヴ人種」の排除のためという理由の方は、暗黙のうちにソ連とナチス・ドイツと共有されていたが、この説明はかなりむつかしい。
しかしこの暗黙の了解をこの上なく明白にしたのは、1939年8月23日の独ソ不可侵条約であった。この条約によって、ポーランドは東西に分割され(この分割線をモロトフ・リッベントロップ線と著者は名づける)、それぞれの側の支配を相手にゆだねたのである。
この条約は、すでにドイツと、対ソ連の防共協定を結んでいた日本を茫然とさせた。日本はまさにその時、満洲国とモンゴル人民共和国との国境でソ連を相手に苦闘していたノモンハン戦争を続行する見通しを失ったからである。
9月15日、モスクワで東郷、モロトフ両外相との間で停戦協定を結ぶと、ソ連はドイツに遅れじとポーランドに侵攻して第二次大戦がはじまったのである。ノモンハンに釘づけにされていたソ連の大軍は時を移さずヨーロッパに向けられた。中部ヨーロッパにおける世界史的な動きが、遠く離れた北東アジアの一画でのできごとと、いかに密接につながっているかを著者はくりかえし示唆している。
ここで本書の中心問題となる、ではなぜ、この地域あるいは地帯で、このように計画的で集中的な殺戮が行われたのかの問いにもどらなければならない。本書の題名が決して単数の流血
問題は、ウクライナ、ベラルーシ、ポーランドなどのスラヴ諸国は、民族としても国家としても、その境界性と独立性が極めて流動的であったことに由来する。
私がくり返し書いてきたことであるが、フランスの穏健な言語学者でスラヴ学が専門のアントワーヌ・メイエが、1928年の著書で、ウクライナ語やベラルーシ語を独立の言語と扱うことを「必要でもなく有益でもなかった」と断言したことを想起したい。
これら諸言語、諸民族、諸国家がかかえている問題は本書で述べられている殺戮でもってしても解決できず、いままさに、ウクライナ問題として鋭く、アクチュアルに再現している文明史問題なのである。
こうしたスラヴ諸国の民族と国家形成にかかわる問題に挑んだすぐれた研究が日本でも現われつつあることを、本書の読者には知っていただきたい。その一つとして、早坂眞理『ベラルーシ 境界領域の歴史学』(彩流社、2013年)をあげておく。