「哲学なんて何の役にも立たない」
いわゆる「哲学」的なものに心惹かれる者が、哲学に無理解な人からどこかで一度は向けられる揶揄だ。意外かもしれないが、彼ら哲学徒はそれを聞いて怒ったり傷ついたりすることはない。むしろ口の端に「待ってました」とでも言いたげな笑みを浮かべ、こう言い返す。
「あのねえ、役に立つかどうかだけが学問の尺度じゃないんだよ。もっと純粋に謎そのものに向き合おうとする姿勢が哲学なんだから」
それを聞いた人の多くはうんざりして話を打ち切るが、何割かの〝理解ある〟無理解者は再度こう言う。
「謎と向き合っているとか言うけど、哲学者は何千年もずっと同じようなことで悩んでいるだけで、ぜんぜん「答え」を出してくれないじゃないか」
哲学徒はもう顔に浮かんだ笑みを隠そうともしない。
「だからさあ、そうやって「答え」だけ教えてもらおうっていう姿勢が「哲学的態度」から程遠いんだよな。哲学ってのはそういうものじゃないんだよ。問題についてじっくりと考える「プロセス』が哲学なんだから。答えは重要じゃないんだよな」
生き残ったわずかな無理解者も、ここでほとんどが「やってられん」という表情をして去っていく。
結果的に、大抵の人が抱く「哲学者」のイメージは次の二つのどちらかとなる。
①人生の答えをビシッと教えてくれる先生。
②言葉を曖昧に弄んで煙にまく怪しい連中。
なぜそう思われてしまうのだろうか。おそらく、哲学が「答えを出せる学問である」という事実が、ほとんどの人にはうまく伝わっていないのではないか。
本書のテーマは「人生はゲームなのか?」という問いである。成金の起業家が人生をゲームに例えたり、家庭環境の格差を「親ガチャ」と表現したり、人生はよくゲームに重ねて語られるし、そう言われればゲームっぽい気もする。では実際のところ「人生=ゲーム」でいいのか? それとも人生はもっと別の何かなのか? その疑問を解きほぐしていく哲学書だ。
本書の議論は前述の①にも②にも当てはまらない。まるで料理家が普通の食材と調理道具でカレーを作るように、明快な論理を使って着実な思考を積み重ねていく。そして最後にはきちんと「答え」も出る。ちなみにその答えは……「人生はゲームではない」。
ネタバレではない。結論の背後にある積み重ねを体感することこそが本書の肝だからだ。人生がゲームなのかを知るには下ごしらえが必要だ。まず、そもそも「ゲーム」とは何なのか。どういう要素があればゲームで、何が足りなければゲームじゃなくなるのか。これが明らかになったら、あとは「人生」に「ゲーム」の要素がどれくらい当てはまるのか考えればいい。
本書の思考過程にはいわゆる「哲学」の魔術的な雰囲気が全くなく、野菜の皮を剥くように明快である。「人生とは」「生きる意味とは」のように漠然として深遠な問いも、調理道具をうまく扱えば手に乗るサイズの材料に切り分けられるし、ちゃんと「答え」だって作れる。このプロセスを追えば、「問い」にも「答え」にもこだわりすぎず、着実に考えを積み重ねる楽しみを知ることになるだろう。
そして、誰かにこう言われる。
「結局プロセスが大事で答えは重要じゃないってことだよね。それが何の役に立つの?」
あのねえ……。