ちくま新書

進駐軍専用の特殊慰安施設
敗戦国は何をおそれたのか

終戦からわずか3日後、全国の知事あてに秘密の指示が発せられました。それは、進駐軍向けの性的な慰安所を速やかに設けよという指令でした。これを受けて東京につくられたのがRAA。同様の施設は全国につくられました。敗戦国の指導者は何をおそれたのでしょうか。上陸した進駐軍はどう振舞ったのでしょうか。日本人客の入れないその場所で働いた女性たちは、RAAが閉鎖された後どうなったのでしょうか。敗戦国の一側面を活写した『進駐軍向け特殊慰安所RAA』の冒頭を公開します。

はじめに


 日本軍の従軍慰安婦問題については、その強制性を巡る議論が続いているが、敗戦直後の一九四五年八月一八日に、政府が全国の知事に宛て「進駐軍向けの慰安所の設置」を指示したことを知っている人はどの程度いるだろうか。
 私自身この国の近現代史はある程度知っているつもりであったが、政府が進駐軍専用の慰安所を作るよう指示していたことは長く知らなかった。
 敗戦からわずか三日で政府がそうした指示を出した背景には、日本軍が中国をはじめアジア各地に慰安所を設けたのと同じ理由がある。それは戦地や占領地で数多く起きた強姦である。慰安所があっても強姦は絶えることなく起きており、初めて占領を経験する政府は、占領軍が日本軍と同様のことを行うだろうと考えて、当たり前のように専用の慰安所を設けた。
 当時の政府は、天皇を頂点としたそれまでの体制の維持、「国体護持」を最大の使命と考えており、戦地での経験から国民と進駐軍の対立は極力避ける必要があった。
 東京では警視庁が働きかけRAA(Recreation & Amusement Association)、特殊慰安施設協会が関連する七つの業界組合を基に設立され、その資金として三三〇〇万円が当時の池田勇人大蔵省主税局長の鶴の一声で銀行から融資されている。当時の国家予算の〇・一%強にあたる資金が、東京の一団体に融資されたのである。そして戦前・戦中に刷り込まれた「滅私奉公」「一億火の玉」を利用し、「国の防波堤」、「人柱」という言葉に置き換え、地方に散っていた売春婦を警察の協力を得て集めた。それだけでなく、「衣食住提供」と新聞広告を出して、住まいを失いその日の食べ物に事欠く一般の女性も集めた。
 八月二八日、進駐軍の先遣隊の米兵が神奈川の厚木基地に到着したときには東京の大森に慰安所が開設されていた。政府の指示から一〇日、敗戦から二週間もたたない間のことである。全国各地にも同じように進駐軍専用の慰安所が次々とつくられた。
 慰安所に応募した一般女性は仕事の内容を聞かされ初めて売春をすることを知り、精神を病んだり自殺したりと様々な悲劇も起きた。慰安所があっても進駐した米兵の強盗や強姦は絶えなかった。
 このように政府は、戦時中と同じように戦地・占領地には慰安所が必要との考え方の延長線上に、占領下での兵士の「性」を何の違和感もなくとらえていた。
 占領軍専用の慰安所があまり知られていない一つの理由は、七か月で閉鎖になったことも大きいのではないかと思われる。GHQは兵士に性病が広がることを止めることができず、進駐軍専用慰安所は翌一九四六年三月にOff-Limits(オフ・リミット、立ち入り禁止)とされた。
 しかし、従軍慰安婦問題を考える上では、敗戦の直後に政府が各地に進駐軍専用の慰安所設置を指示した事実は、国家が慰安所をどのように考えていたのかを知るうえで極めて重要なことの一つである。
 慰安所の閉鎖と共に、働いていた女性たちは行き場に困り「パンパン」と呼ばれる街娼になる人も多かった。派手な衣装と化粧で米兵と腕を組んで歩く街娼に、世間の眼は冷たく、蔑視された。同時に性病を減らすため米軍の指導の下、「狩り込み」が頻繁に行われた。これは街娼と思える女性を、否応なしに捕まえ、性病検査を受けさせるものであった。
 戦場での兵士の性は日本だけでなく、ドイツ、フランスでも同じであり、米軍はフランスでは売春宿を利用し、ドイツも慰安所を設けた。同時に強姦も絶えなかった。
 特にドイツは強制収容所に売春所を設け、強制労働のいわば報酬としていた。ドイツの強制収容所の売春は、収容者が政治犯や犯罪者ということもあり、長らく語られることがなかったが、一九九〇年代以降表に出てきている。
 私はこの本を書くにあたり多くの文献に眼を通したが、実に多くの人たちがRAAをはじめ、各地の進駐軍専用の慰安所について一九五〇年前後から雑誌や書籍に書いていることを知った。中には慰安婦自身が著したものもある。
 しかし政府は国会で占領軍慰安所設置の指示や、占領軍用慰安所の存在自体を「知らない」としている。厚生労働省の調査や、いくつかの県史や警察史にも記載されているにもかかわらずである。
 私はこの問題の専門家ではない。ただこの国では、政府が進駐軍用に慰安所の設置を指示していたことをできるだけ多くの人たちに知っていただきたいと思っている。それを知ることは、戦争が戦闘だけでなく、占領下では様々な形で民間人を巻き込むこと、そして日韓の慰安婦問題を考える上でも重要なことであると思うからである。

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