ちくま学芸文庫

本を読むことの快楽――クィア批評のゆくえ
村山敏勝著『(見えない)欲望へ向けて』書評

2月刊行のちくま学芸文庫、村山敏勝著『(見えない)欲望へ向けて』について、河口和也さん(クィア/セクシュアリティ研究)がエッセイを寄せてくださいました。(PR誌『ちくま』より転載)


 村山敏勝さんを初めて知ったのは、『エイズなんてこわくない』(一九九三)というゲイ/エイズ・アクティヴィズムに関する本のなかで、その編著者である田崎英明さんとの対談においてであった。当時、日本社会ではエイズ問題の深刻化を背景として、ゲイ・コミュニティが生まれつつあった状況であり、お二人の対談内容は、米国を中心に展開されていたエイズ・アクティヴィズムの先鋭さ、さらに新たに台頭してきたクィア・アクティヴィズムにつながる連帯の政治に関してであった。

 その後、村山さんには、私が所属するアカー(動くゲイとレズビアンの会)の研究企画などでもお世話になった。『聖フーコー』の訳を草稿段階であるにもかかわらず会内の勉強会のために快く貸していただいたこともあった。

 ポストモダンの、とくに文学・思想領域のセクシュアリティ研究、レズビアン/ゲイ研究の著作の翻訳者としては村山さんの右に出るものはいないと、学術雑誌の編集長に言わしめたほどの力量をもっていたので、実際に翻訳の成果も多く、また多岐にわたっていた。村山さんが翻訳をした『小説と警察』という文芸批評の著者であるD・A・ミラー氏にアカーでインタビューを行った際、クィア批評・理論のめざすところは何かという私たちの質問に対して、ミラー氏は「obliqueness」だと答えた。すかさず「様々な事象に斜めから切り込むこと」であるという訳語で村山さんが説明してくれたときの印象は今でも強いものとして残っている。

 村山さんは、二〇〇六年に急逝された。かれが病に倒れて重篤であるという知らせを聞いたのは、竹村和子さんが主宰されていた、村山さんも参加するはずの研究会でのことだった。参加者は誰もが早い回復を祈っていたが、その願いも届かず数日後に還らぬ人となってしまったのである。

 村山さんの主著『(見えない)欲望へ向けて――クィア批評との対話』は、博士論文を本にまとめられて二〇〇五年に刊行されたものだ。「あとがき」では、十九世紀イギリス小説の研究者であった著者が本来の職業的アイデンティティの制度外で書いた論文で構成されていることが吐露されている。日本の人文科学ではゲイ・コミュニティがいまだ明瞭には存在していなかったからという理由もあったようだ。この意味で、この本は人文科学という制度に対する「obliqueness」の実践ではないか。この構えこそがクィア的態度であり、クィア批評の実践である。

 本書は、文学の根本である「読むこと」の「快楽」を「性的な快楽」に結び付けつつ、その「読むこと」に対する「切り込み」のなかで作動する(見えない)欲望のあり方を露見させようとする試みだ。それは文学作品の「批評」そのものではなく、副題にあるように「批評との対話」なのだ。こうした対話は自らのアイデンティティを安全な場にはおかない。なぜならクィアな実践とは、ある意味で自らが乗っかっている砂山の足元の砂を自らかき出して、その基盤を自壊させることと言ってもよいからだ。

 今ふたたびページを開くと、最初の刊行時から二十年近く経過しても、その内容は色あせたりしておらず、また新たに「発見」することも多かった。そのひとつは「愛」についてである。あとがきで「要するに、わたしは、たとえ自分勝手な愛しかたであっても、すべての人を愛したい」と語る。もしかすると私たちは、セクシュアリティという領域のなかで「性」については考え、語ってきたが、はたして「愛」についてそうしてきただろうか。生前の村山さんはアクティヴィズムに対して批評的に「愛」を注いでくれた。アカデミズムに身を置く研究者として、アクティヴィズムに対して「敬意」という距離を置きつつ、それでも斜めからの支援に注力してくれた。そうした関与をとおして、村山さんは九〇年代から二〇〇〇年代にかけて、アカデミズムとアクティヴィズムの架橋という役割を果たしてくれていたのだろう。

 


クィアな読解とは何か
ディケンズ、セジウィックからベルサーニまで