ちくま文庫

ある朝、ホテルのロビーで
種田輝豊『20ヵ国語ペラペラ』ためし読み

種田輝豊『20ヵ国語ペラペラ』(ちくま文庫、2022年5月刊)冒頭のエッセイ「ある朝、ホテルのロビーで」を公開いたします。1969年初版の本書は、語学習得のノウハウが詰まった本であるとともに、ことばを学ぶ歓びに満ちた秀逸なエッセイでもあります。ぜひお読みください。

 どこかで、電話のベルがなりつづけている。いつまでも……どこかで。 ―― 1968年の春のある朝のこと。

 わたしはベッドの中で、夢うつつにそれを聞いていた。前夜、東京のサンケイ・ホールで、ある国際会議がひらかれた。わたしはその席で、夜ふけまで通訳をつとめた。それが終って、自分の家に帰り、ベッドにはいったのは、午前3時近くであった。それで、疲れてぐっすり寝こんでいたのだ。

 ……にわかに、電話のベルの音が、耳近くに聞こえた。自分の電話だ、と気づいた。わたしはベッドから出て、受話器をとった。窓にはすでに陽が明るい。ちょっと足もとがふらつく。

 「はい、種田ですが……」われながら寝ぼけ声だ。

 「モシモシ、こちらはDホテルのインフォメーション・デスクですが、朝早くからすみません」なにか、せきこんでいるような、元気な声だ。それにつられて、こちらの意識もしだいにはっきりしてくる。「実は、あのう……。いま、外人のお客さんがお着きになりまして、なにか言われるんですが、さっぱりわからないんです。こちらで、係の者が知っているかぎりのことばでおたずねしたんですが、どうしても通じないんです。それで、こちらに勤めているFさんが『種田さんなら世界中の国のことばを二十数カ国語も話すから、わかるかもしれない』といわれるんで、お電話したのです。おそれいりますが、急いでこちらまでご足労いただけませんでしょうか」

 困りきって、もてあましている、という感じが伝わってくる。Fというのは、そのホテルに勤めている、わたしの友人だ。

  ―― お手あげしたFの顔が目に浮かぶ。それにしても、外人客を扱うホテルで、わからないことばを話す外人とは、どこの国の人だろう。よし、困っているホテルのために、そして、もっと困っているであろうその外人のために、おれの知識が役立つかどうかためしてやろう。

 わたしは急いで仕たくをして、とびだした。

 ホテルでは、救いの神になるかもしれないわたしを、待ちかねていた。

 「知っているかぎりのことばでやってみたんですが、どうしてもだめなんです。あの方なんですが……」

 マネージャーが目くばせしたロビーのソファに、不安げな老外人客がただひとり、おどおどとこちらを見ている。はじめてきた異国のホテルで、彼はことばの通じない孤独におののいているらしい。

 わたしは彼の前に行った。

 そしてまず、念のために英語で

   “Do you understand English?”(英語はおわかりですか?)

 と聞いてみた。神経質そうなその白髪の紳士は、顔をしかめ、頭を横にふった。

 一見、北欧ふうの人なので、スペイン語やポルトガル語はどうせだめだろう。

 “Alors, vous parlez Français?”(フランス語なら?)

 老外人客は、これにも頭を横にふった。

 “Sie sprechen Deutsch?”(ドイツ語をお話しですか?)

 これもだめ。

 “Может быть……Вы говорите по-русски?”(ロシア語ならわかっていただけると思いますが?)

 老紳士は、頭を横にふるばかり。

 北イタリアには、ドイツ系の住民も多いから、あるいは……と

 “Lei non sara mica italiano?”(ひょっとしたらイタリアの方ではないでしょうか?)

 ますますイライラして、頭の横ふりがはげしくなるばかり。

 オランダ人なら、ドイツ語でも少しは反応があるはずだ。そうすると、スカンジナビアかもしれない、と考えた。

 “Kanske kommer Ni från Skandinavien?”(多分、北欧の方ではないかと存じますが?)

 そのスウェーデン語を聞いたとたん、老紳士はとびあがりそうに腰をうかし、救いの神にとびつきたい、とでもいうように両手を大きく広げ、満面によろこびをあふれさせたのだった。そして、堰とめられていたダムの水が、いっせいにあふれだしたように、一気にしゃべりだした。

 それまでのわたしの心配と好奇心は、いっぺんにふっとんだ。老紳士が孤独からのがれ、知友を得た歓喜と安堵で語る、その音楽的リズムをもつ(中国語に似た)スウェーデン語独特の抑揚が、わたしの耳に矢のようにするどくとびこんでくる。わたしは圧倒され、おしつぶされそうだった。

 コーヒーを飲もう、とホテルの喫茶室に誘ってから、わたしは老紳士の用向きをたずねた。それはごく簡単なことだった。 ―― 東京に長く住んでいるスウェーデン人の友人に会いにきたのだが、その住所を書いたものを失って困っている。調べてほしい、というのだ。

 さがしているその相手は、電話帳ですぐ見つかった。わたしはそれを彼に教えた。

 それから、また会いたいという彼の感謝の固い握手をうけて別れた。

 わたしがホテルを出るとき、老紳士はすでに電話にしがみつき、その友人とであろう、美しいイントネーションのスウェーデン語で、夢中になって話していた。

 わたしは、早く家に帰って、もうひと眠りしようと、タクシーに乗った。車に揺られてうとうとしながら、老紳士の歓喜の表情が目に浮かんだ。「ことばは……」とわたしは考えた。意思の疎通に、感情の表白に、「ことばは人間のよろこびだ」と。

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