ちくま新書

神道の本質を明らかにする

日本人の生活には昔から神道が根付いているが、われわれはいったい何を信じているのだろうか? 神道には「教祖」も「教え」も「救済」もない。何も「ない宗教」だが、その生命力は驚異的だ。今まであまり考えられてこなかった「神道」について考えることは、日本人の精神性を明らかにすることにつながるのではないだろうか。6月のちくま新書の新刊、『日本人の神道--神・祭祀・神社の謎を解く』から「はじめに」を公開します。

はじめに

 日本に土着の宗教が「神道」である。

 神道がいったいいつ生まれたのか、その起源は分かっていない。分からないほど、その歴史は古いとも言える。

 その後の日本には、朝鮮半島や中国から神道とは異なる宗教が伝えられてきた。その代表が仏教ということになるが、仏教が最初に公に伝えられたのは6世紀のなかばとされる。時代としては古墳時代にあたる。

 当初の段階で、仏教を受け入れるべきかどうかをめぐって豪族の間で議論が戦わされたとも伝えられるが、結局のところ仏教は日本の社会に定着し、日本人の精神性を形作る上で重要な役割を果たしてきた。

 中世に入ると、神道と仏教は融合し、「神仏習合」という事態も生まれた。両者は複雑に絡み合い、日本人の信仰世界は大きく変容した。そうした事態は近代に入るまで続いたが、今日でもその影響は少なくない。日本人が日常的に神道にもかかわれば、仏教にもかかわるのは、その結果である。

 朝鮮半島や中国からは、仏教のほかに、儒教や道教も伝えられた。ただし、この2つの宗教は、仏教とは異なり教団を組織しなかったこともあり、独立した体系的な信仰として日本社会に定着することはなかった。

 それでも、道教では特有の神が信仰されており、それが取り入れられることもあった。あるいは、インドのヒンドゥー教で信仰される神々が、仏教を媒介にする形で取り入れられることもあった。当然、そうした神々の存在は、神道にも影響を与えた。

 外来の宗教ということでは、キリスト教やイスラム教も日本に伝えられてきた。ただし、この2つの宗教は唯一絶対の神を信仰の対象とする一神教だということもあり、多くの神々を信仰対象とする多神教の神道と習合することはなかった。

 最近の研究では、神仏習合という事態は日本だけで起こったことではなく、東アジア全般に見られるものであることが明らかになっている。東アジアの各国では、神と仏とが融合する現象が広く見られるのである(この点については、吉田一彦編『神仏融合の東アジア史』名古屋大学出版会を参照)。

 ただ、日本の神道において注目されるのは、近代に入る時点で行われた「神仏分離」の結果、長く融合してきた神道と仏教が、それぞれ宗教として独立したことである。

 そこには、神道の信仰を近代日本社会の核心に位置づけようとした明治新政府の意向が働いており、上から強制されたものであった。さらにその際には、仏教を排斥する「廃仏毀釈」も伴った。

 つまり、神道と仏教は無理やり引き離されたのである。

 それは、政府からの保護を受けられなかった仏教には大きな痛手となったが、神道は国からの援助を受ける立場となり、「国家の宗祀」と位置づけられた。

 その点で、政府の政策の結果とも言えるが、神道は仏教からの独立を果たす。果たしてそれが神道にとって、あるいは仏教にとって好ましいことであったのかどうかについては評価が分かれるだろう。けれども、古代に遡る神道の信仰が、近代において宗教として独立を果たすことができたという事態は、世界の宗教史を考えたとき相当に注目される出来事である。

 たとえば、一神教が広まった地域においては、それ以前に、さまざまな神々を信仰の対象とする多神教が広がりを見せていた。一神教は、それを駆逐し、また吸収することで定着を果たしてきた。

 そうした地域において、かつての多神教を、今日の時点で独立させようと試みたとしたら、果たしてそれは実現できるものなのだろうか。具体的に考えれば、ヨーロッパにおいて、キリスト教が浸透する以前のケルトやゲルマンの宗教を、キリスト教以前の形で現代に蘇らせることは果たして可能なのかということである。

 そこには、神道の特異なあり方が示されている。長く仏教と習合したため、その影響は受けてきたものの、本質的な部分はしっかりと保持されてきたのである。

 その点で、神道は不思議な宗教である。また、その生命力は驚異である。

 日本の社会は、明治になって急速な近代化を果たす。戦後には高度経済成長を経験し、経済大国への道を突き進んできた。

 その結果、東京などの大都市には超高層ビルが林立することになった。ところが、そうしたビルの足元には、昔から受け継がれてきた神道の小祠が祀られている。ビルの屋上に小祠が祀られている例も見られる。

 現代と古代が融合し、その共存が違和感を持たせない。しかも日本人は、さまざまな機会に各地の神社を訪れ、古代から受け継がれてきた神々に祈りを捧げている。神道の信仰は、日本人の生活のなかに深く溶け込んでいるのである。

 では、いったい神道とはどういう宗教なのだろうか。

 この問いを立てたとき、それに答えるのは意外と難しい。

 仏教についてなら、それはインドの釈迦という人物が悟りを開いた結果生まれた宗教であり、教えはかくかくしかじかであると説明できる。

 ところが、神道になると、そもそも、それを開いた人物が存在しない。開祖、教祖がいないのだ。では、教えは何なのかと考えはじめても、それが簡単には浮かんでこない。

 果たして神道に教えはあるのだろうか。神道における礼拝の施設としては神社があるわけだが、神社に詣でても、そこで神道の教えが伝えられることはない。

 教えのない神道は、果たして宗教と言えるのだろうか。当然、そうした疑問も湧いてくる。

 神道が宗教なのかどうかについては、これまでにもさまざまな形で議論されてきた。

 ただ、「宗教」という概念自体、近代になって生まれたもので、それ以前には存在しなかった。宗教ということばはあったものの、それは宗派の教えを意味し、現在使われる宗教ということばとは意味が異なった。

 宗教という概念の歴史は、神道の経てきた歴史に比べれば、はるかに短い。そのことも神道を宗教としてとらえるべきかどうかに影響している。宗教という概念が確立されていない時代には、誰も神道が宗教であるとは考えなかったのである。

 しかも、神道を国家の宗祀と位置づけた明治政府は、神道を宗教の枠の外においた。宗教であるなら信教の自由ということが問題になるが、宗教でなければ、それを強制しても、信教の自由を侵害したことにはならないからだ。

 戦後は、そうした政策は廃止され、神道は仏教やキリスト教と同じように宗教としての扱いを受けるようになった。それぞれの神社は宗教法人として認証されており、その点では間違いなく宗教の一つである。

 しかしそれでも、神道を宗教の1つとしてとらえることに対して違和感を持つ人は少なくない。宗教という概念も、西欧から伝えられたものであるために、あくまでキリスト教がモデルになっている。キリスト教と神道では、ともに神を信仰の対象とはしているものの、その性格は大きく違う。キリスト教の教会と、神道の神社ではその雰囲気からして相当に違いがある。

 神道は宗教なのだろうか。それとも、たんなる生活上の慣習、風習なのだろうか。

 そうした議論を含め、神道の本質はいったいどこに求めたらよいのだろうか。神道は、私たち日本人にとってどのような意味を持つものなのだろうか。

 神道ということを問題にしたとき、考えるべきことは多い。神道の場合には、教えがないこともあり、とくに神社が重要な意味を持ってきた。神社とは何なのか。そこにはどういった歴史があるのだろうか。

 神道の場合には、仏教やキリスト教と異なり、聖典が定められているわけではない。聖典の代わりをするのが、「古事記」や「日本書紀」に記された神話である。神社のなかには、神話に登場する神を祭神としているところも少なくない。

 さらに、神話は、現在の憲法では国の象徴と規定されている天皇にも結びついていく。なぜ天皇が象徴なのか。その根源にまで遡るならば、神話の存在は決定的に重要な意味を持っている。

 私たちは日頃、神道とかかわりを持っているにもかかわらず、神道について、あるいは神社について考えることはさほど多くはない。その点では、日本人は無自覚な形で神道を信仰しているとも言える。

 もちろん、現実にはそれでさほど問題は起こらないのだが、神道や神社について考えることは、日本人の精神性が何かを明らかにすることに通じる。「日本人の神道」を理解することは、今十分に意味のあることなのではないだろうか。

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