ちくま新書

日本人が知らない「世界の明治維新」
――『明治史講義【グローバル研究篇】』はじめに

かつて西洋文明の圏外にあった日本は、西洋に由来する価値観や制度の受容し、定着させ、近代化を成し遂げた。それはいかなる思想と条件の下、可能となったのか。明治維新は世界史においていかに語られ、そこにどんな意味が見出されているのか。世界各地域の第一線で活躍する日本研究者の知を結集させ、明治維新を多面的に検証する、ちくま新書6月刊行『明治史講義【グローバル研究篇】』の「はじめに」の一部を公開します。

はじめに

                                  瀧井一博

 このたび、ちくま新書の『明治史講義』シリーズの第三弾として、「グローバル研究篇」を加えてもらえることになった。本書の成り立ちについて記しておきたい。
 二〇一八年一二月一四日から一六日の三日間、本書編者の勤務する国際日本文化研究センター(日文研)において、「世界史のなかの明治/世界史にとっての明治」と題した国際シンポジウムが開催された。およそ一五におよぶ国々から、四〇名もの代表的日本研究者が集つどって、濃密な議論を展開した。その時のペーパーを中心として、編まれたのが本書である。
 このシンポジウムは明治維新一五〇年を機に企画された。当時の趣意書をここで引いておきたい(一部表現を改変)。

 本年度は明治維新一五〇年にあたる。「坂の上の雲」を目がけて疾駆した時代は、日本近代史上の青春時代として今なお深い思い入れをもって回顧される。だが、すでに青春期を過ぎ、空前の成熟社会ないし老成社会に入ろうとしている今日、また近隣諸国との間に深刻な摩擦を抱えている現下の状況において、そのような懐旧の念のみでこの時代を振り返ることは、かえってこの社会が直面している諸問題に目を閉ざす結果にならないかと危惧される。
 明治一五〇年を機として日本の近代化の歩みを振り返るに当たってより生産的なのは、明治日本の歴史を単に日本国民の歴史として終わらせるのではなく、その世界史的な意義を国際的に発信していくことであろう。西洋文明の圏外に属していたひとつの国家が、西洋文明に由来する価値観や制度を受容し、その定着に大きな成果を収めて近代化を達成した。そのことが極めて稀有な人類の歴史的経験であることは疑いの余地がない。日本は西洋文明の普遍性や近代化の功罪を自らの歴史を踏まえて国際的に発言できる特権的な立場にある。新たに国家建設に携わろうとする世界中の人々に対して、日本は自らの近代化の成功と失敗を理論化して伝える責務を有しているとすら言える。
 以上の点を念頭に置き、明治日本の世界史的意義を討議するための国際シンポジウムを開催する。すでに国際日本文化研究センターでは、本シンポジウムの実施責任者である瀧井がプロジェクト・リーダーとして、「明治日本の比較文明史的考察」と題する共同研究会を二〇一五年度から行ってきた。そこでは、明治を可能とした思想と条件を内外の視点から複眼的に考察し、人類社会の遺産として明治を考え直すことが課題とされている。本シンポジウムは、その集大成として、これまでの共同研究の成果を広く海外の日本研究の潮流と接合することを企図して開かれるものである。そのために、世界各地域から第一線で活躍する研究者を招聘し、日文研において共同討議の場を設ける。
 明治日本の再現を唱えるのではなく、それを終わった歴史として客観化すると同時に、そこから人類社会の発展に寄与できるような知的資源を抽出するためのアカデミズムの国際的連携の場となることを目指したい。

 このような趣旨のもとで挙行されたシンポジウムでは、グローバルな視野から明治という時代の特異性と普遍性がさまざまな視角から考察され、知的興奮を味わうことができた。本書を繙くことで、その模様の一端でも読者に伝わればこれに勝る喜びはない。
 ところで、二〇一八年を振り返ってみれば、明治一五〇年と唱えられながらも、それに対する一般的かつ学術的関心は決して高かったとはいえない。この年の一〇月二三日に憲政記念館で政府主催の記念式典が執り行われたが、それは極めて質素なかたちで挙行され、社会的に注目を集めることはなかった。これに対して学界のほうでは、当時の安倍政権が国威発揚の一大キャンペーンを展開するものと身構える向きがあったが、結果として肩透かしに終わったと言えるのではないか。だが、そのような政治的思惑とは別個に、やはりこの周年をきっかけに明治維新とは何であったか、明治期の日本の近代化はどのような世界史的意義をもつのかという点を学術的に究明する機会がもたれるべきであったと思われる。
 目を海外に転じると、明治一五〇年を考える試みは、世界各地でいくつも催された。中国、アメリカ、ドイツ、イギリス、エジプト、トルコ、シンガポール、ベトナムといった国々で関係の学術会議が開かれた。明治一五〇年に寄せる諸外国の関心は、本書に収録した泰・劉論文(第6講)、ニュー論文(第10講)、エセンベル論文(第12講)から垣間見ることができる。
 シンポジウムの具体的な議論では、明治期における日本人の海外での活動、明治維新が諸外国に与えたインパクト、公共性(公議公論)をキーワードとした明治維新の本質、喜劇や音楽を通じての明治日本の文化史的特性、江戸期日本社会との連続と断絶といった観点から活発かつ緻密な討議が行われた。残念ながら、そのすべてを本書に収めることはできなかったが、ここで収録された論文にはこの時の議論のエッセンスが集約されている。
 その例を挙げよう。シンポジウムで印象的だったものとして、一次史料の綿密な読解を通じて新たな史実の提示と国際的な研究動向のなかでのその位置づけを行った研究報告があった。海外においても史料に基づいた実証的研究が進展しており、それが斬新な観点と接合して新たな研究の視角が拓かれていることが実感された。青木(第1講)、ブリーン(第5講)、エーラス(第8講)、スウェール(第15講)、パートナー(第16講)の各論文からそのことが看取されよう。
また、このような国際的共同研究のメリットは、外からの視点を積極的に取り入れ、自国史を客体化し相対化する視座を得られることである。ラビナ(第3講)、ハンター(第4講)、フラハティ(第7講)の各論文は、明治史を現在盛んとなっているグローバル・ヒストリーの文脈に位置づけ直す可能性と枠組みを提示している。ハルブ(第9講)、黄(第11講)、河野(第13講)は、明治日本の国際社会への参入が、他の地域に及ぼしたインパクトの一端を示しており、トランスナショナルなコンテキストで明治史を捉え直す示唆を与えるものとなろう。
 ところで、今、われわれが明治を問うことの意義は何か。それが、国威発揚や民族としての自信といった意味合いで捉えられるのは、むしろ世界史のなかで明治という時代が秘めているインパクトを毀損することにならないか。編者としては、日本が戦後行ってきた国際的な開発協力の背景に明治以来の日本の経験があり、またその経験を自省して活用することで、開発支援はより実効あるものとなるのではないかとの考えがある。その意図に根差して、シンポジウムでは当時JICAの理事長だった日本政治外交史研究の泰斗・北岡伸一氏に基調講演をお願いした(参照、北岡伸一『明治維新の意味』新潮選書、二〇二〇)。また、蔡論文(第2講)は日本のお家芸ともなっている途上国支援の技術史的前史を論じたものであり、永井論文(第14講)は実際にタイで制度構築の支援にあたった比較政治学者の体験談として興趣が尽きない。
 本書を編みながら、日本人が日本人だけに向けて明治を語る時期は過ぎ去ったことが実感された。かつて、明治維新を主導した木戸孝允は、「自分は長州の人間ではない。日本の人間でもない。天に上って今日の皇国を見れば、実に天もまだ皇国を見捨ててはいない。〔中略〕今日の長州も皇国の病を治すにはよき道具となるであろう」(慶応元年七月十八日付大島友之允宛書簡、『木戸孝允文書』第二巻)と述べた。木戸にとって明治維新とは、長州や日本を超越した皇国という新たな統一国家を立ち上げるプロジェクトだった。そのために、長州という故国はひとつの道具となるべきだとの達観を木戸は抱懐していたのである。
 このひそみに倣えば、今日の日本人が明治に処する姿勢とは、それを通じて、日本が何を世界に向けて発信できるか、どのような寄与ができるかとの意識に基づいたものでなければならないのではないか。明治という経験が、世界の病を治すためのよき道具となり得るか。少なくとも、そのような問題関心をもつことから、自閉的でない世界史的な明治史研究が可能となるものと期待される。本書がそれに資するものであれば、編者として望外の喜びである。……

 

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