ポラリスが降り注ぐ夜・文庫版

個人のための言葉、あるいは小説家の使命【前編】

『ポラリスが降り注ぐ夜』文庫化&「肉を脱ぐ」連載開始記念対談

李琴峰さんの代表作にして芸術選奨新人賞受賞作『ポラリスが降り注ぐ夜』が待望の文庫化! 単行本刊行時に対談していただいた村田沙耶香さんと、あらためてその魅力について、また激動する世界のなかで、いま小説家が書くべきこととは何か、前・後編の2回に亘って、存分にお話しいただきました。

現代における身体のやっかいさに向き合って
――「肉を脱ぐ」の話もしたいのですが、最初に連載の概要をいただいたときに、デビューしたばかりの作家が主人公で、彼女がひょんなことから自分のなりすましVtuberを見つけて、その正体を探っていくが云々とあって、これは面白そうと思ったんですね。というのは、デビューから一貫して李さんには自分自身の身体および人間一般にとっての身体への関心があると思っていて、Vtuberやそのなりすましというモチーフはその延長上にありつつ現代的なテーマだと思ったからです。
 村田さんにも先に原稿をお読みいただいたのですが、いかがでしたか。

村田 その前にお訊きしたいのが、以前の対談で、小説を二つ同時には書けないとおっしゃっていましたが、短編と長編でも駄目でしょうか。私の場合は、短編と長編でも同時に書くことはできなくて、いったん長編を中断して短編を書くのはなんとかできるんです。

 たぶん同時進行は無理ですね。そもそもそんなに短編の注文がないのでわかりませんが(笑)。小説とエッセイなら大丈夫ですけど、短編と長編でも小説二つを書くのはできないです。

村田 じゃあ「ちくま」の新しい連載は、しばらくこちらに集中して書かれるわけですね。

 そうですね。まだこれからどうなるかわからないですけど(笑)。

村田 それで第一回の感想なんですが、すごく面白く読みました。小説家が主人公なので、切実さを感じましたし、デビューしたばかりの小説家の心理と行動がリアルに書かれていてのめりこみました。この先が楽しみですが、この先の展開でVtuberが出てくるのでしょうか。

 いちおうそのつもりです(笑)。なぜ、これを書こうと思ったかを話すと、少し回り道になるんですが、前作の『生を祝う』からつながっていて、『生を祝う』はちょっと村田さんの書き方を参考にしたところがあるんです。読者の感想でも村田さんの『殺人出産』と比較して考察したものとかがありました。
 近未来の架空の設定で、胎児の生まれたいか、生まれたくないかという意志がわかって、生まれたくないとなったら生めないという世界です。なぜそういう設定にしたかと言うと、身体を持った存在として生まれることの痛みを本質的に書いてみたいと思ったんです。身体はとてもややこしいんですね。もちろん身体があるからこそ五感があり、世界のなかで喜びとか感情を感じることができるんですけど、一方で絶えずメンテナンスを要求してくるめんどくささがある。ひょんなことで人間は死んでしまうわりに、死にたいと思ってもなかなか死ねないのも事実としてある。そういう身体のやっかいさをVtuberに絡めて書けるのかどうなのかという気持ちでいま書いています(笑)。

村田 私の文学の先生である宮原昭夫先生も、私の記憶が正しければ、「小説のなかの登場人物は必ず肉体がなければいけないと思う。そうじゃないと主人公の持つ論理に都合良く話が進んでいってしまう。主人公の精神と肉体は小説の中で常に反発していないといけないのではないか」というようなことをおっしゃってました。小説だけの話じゃなくて、たとえ自分が死にたいと思っても、身体が反発するというのもよくわかりますし、冒頭のお風呂のなかで自分の欠片を見つめるシーンからもすごく身体への意識が感じられて惹き込まれました。

 小説で身体性や身体感覚があるとかないとかというのは、文学賞の選評でもよく見かけますよね。柳佳夜の場合は、身体というものをそもそも嫌っているのに、身体から脱却すべく小説を書いているのに、小説のなかでまた身体性を求められるという葛藤があって、そこを軸に展開していくと思います。

村田 主人公がエゴサーチをするシーンも印象的でした。私自身はいまはエゴサーチをしないことにしているのですが、デビューしたときは、やっぱり嬉しくて、ひとの感想が見たくてエゴサーチをしたんです。でも、まだ大学を出たばかりの顔写真なんかも出ていたので、「この若い女性は編集長の愛人だ」などと根も葉もないことを言われていて、ああ、誰も自分の小説を読んではいないんだなあ、と主人公と同じことをしみじみ思いました(笑)。ゴシップが好きなひとはいるけど、小説を読んで感想を言うひとはいないんだなと。それで、傷つくというよりは、そうだよねって苦笑いするような気持ちで、エゴサーチはしなくなりました。ネットはおそろしい、というか、自分の子どもの頃になくてよかったと本当に思っています(笑)。
 自分自身は、大学生くらいの頃にダイヤルアップでネットに接続するようになり、チャットルームにハマっていました。そこで架空のキャラクターになることが面白くて、いつも自分がメールなどでは使わない言葉を打ち込んで人と話すことが楽しくて。大学生のおしゃべりチャットルームのようなところだったと思いますが、文字だけの関係性なのにいろんな恋愛関係がそこで発生していて。でも私は全然モテませんでした(笑)。

――チャットでモテるってどういう状態なんですか?(笑)

村田 うまく言えないんですけど、そのひとが降臨すると喜ばれるひとと、ふつうに「ちぃーっす」とか流されるひとがいたのですが。今のTwitterの雰囲気と少し似ているかもしれませんね。他にもiモードのサイトだとか、オタクとしてはけっこう早くからネットの海を泳いでいたんですけど、作家としてはそうはならなかったです。でも、このデビューしたての主人公が虚しいと思いながらもエゴサーチしてしまう感じはよくわかります。


後編につづく)

 

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