単行本

〝新宿西口駅の上〟から発信した文化
『小田急百貨店の展覧会──新宿西口の戦後50年』自著解題

新宿西口の顔として戦後長く親しまれた小田急百貨店新宿本館ビルは、2022年10月2日、惜しまれながら営業終了しました。この本館11階では、開店以来、数多くの展覧会を開催してきました。その歴史を通して、戦後の日本、新宿西口の来し方を振り返る『小田急百貨店の展覧会』。著者に、本書執筆にこめた思いをうかがいました。(「ちくま」10月号より転載)

 百貨店が店内に美術館を置くようになり、また美術館はなくても、どこの百貨店でも充実した内容の美術展を数多く行っていた1980年代後半、学芸員資格をもって百貨店で展覧会の仕事をしたいという新卒者が結構いたとのことである。私が小田急百貨店に入社したのはそれより十余年ほど遡る74年で、〝小田急グランドギャラリー〟という展覧会場が存在することは知っていたが、展覧会の仕事をやろうと思って小田急を志望したわけではなく、81年にグランドギャラリーに配置されたのも定期異動によるたまたまのことであった。だが実際にこれに携わってみれば、展覧会を作り上げていくのは面白く、さらに多くのお客様に喜んでいただける仕事で、商売とはまた違ったやりがいがあり、得がたい経験をさせてもらった。

 当時は小田急も他の百貨店も手を替え品を替え、多様かつ頻繁に展覧会を開催していて、百貨店が展覧会を行うのは当たり前のことだと思っていた。しかし、西武、伊勢丹、そごうが店内に美術館を開設し、以後もそれを設置する店が続く中、日本の百貨店がこれまでずっと行ってきた〝文化的な催し物〟を開催する場所が、〝美術館〟となることには違和感があった。とは言えそれは私の思いであり、92年に小田急グランドギャラリーは小田急美術館と改称された。改称の意外な経緯は本書に記してあるが、結局、2001年、小田急美術館は他の百貨店美術館と同様に、業績悪化に伴う経営改革のため閉館となった。

 数年後、私は川崎市の美術館・博物館の複合文化施設である市民ミュージアムに転職した。そこで過去の美術展の開催実績を調べる必要があって、色々と資料をあたっていた時、〝美術館〟の美術展はある程度データ化されて資料も多くあり、その実績は今後も残っていくのだろうが、百貨店で開催された美術展のデータは偏りがある上、資料も全く未整理であることに気づいた。さらに美術展以外の、百貨店が行った歴史、科学をはじめとする多種多様な展覧会は資料すら乏しく、加えてゼロ年代になって百貨店で開催される本格的な展覧会が激減していることもあり、このままでは百貨店が長年にわたって優れた展覧会を開催してきた事実自体が人々の記憶から消え去ってしまうのではないかと危機感を抱いた。そこで、戦後昭和に都心の百貨店で開催された〝売上を伴わない文化的な催し物〟を、新聞各紙の社告、記事、広告から細かく拾い上げ、他の資料も加えて、約8000件をデータ化した。これをベースに、まずはその多様性にフォーカスして、『百貨店の展覧会』(2018年/筑摩書房)を上梓した。その後、公的な博物館施設ではない百貨店が、展覧会をどのような考えで行っていたのか、また都市生活者にどのような娯楽、楽しみをもたらしてきたのかといった、その具体的な姿も解き明かしていきたいと考えていた。

 昨年、新宿再開発のために、小田急百貨店本館の解体が発表された。つまり長年にわたり小田急が〝展覧会〟という形で文化を発信してきた場所がなくなってしまうことになる。そこで小田急百貨店の文化発信をきちんと記録に留めておこうという思いから、開催された数々の展覧会を現場感をもって紹介するとともに、それにより百貨店の展覧会の実相を多くの方に知っていただこうということで本書の執筆となった。さらに、なぜ小田急百貨店に百貨店業界では初めてとなる文化的な催し物の専用会場〝文化大催物場〟が誕生したのか、その開設の経緯を、新宿西口の再開発を構想し小田急百貨店の設立とその後の展開にも密接に絡み合う〝新宿副都心計画〟との関連で解き明かし、あわせて〝新宿副都心計画〟の顛末にもふれることにした。

 20世紀の日本の都市の中で、百貨店は文化的なインフラとしての機能も果たしていたが、そこで百貨店の展覧会が都市文化の展開にどのように関わってきたのか、本書はその考察にも資すると考えている。

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