本書の元になるウェブ連載を読んでいて、特に僕が反応したのは、LGBTの社会的包摂に関する生徒会の話し合いの場面であり、僕はツイッターでそれを紹介したのだった。このあと述べるが、そこでは、当事者のサイドにおいては一部認識されているものの、マジョリティの支援者の立場では見落とされがちな問題が、生き生きとした対話形式で示されていた。
今回こうして、様々なトピックに糸が通され、本質的に困難であり、苛烈でもある鳥羽さんの思考が、多くの人に届くだろう言葉でまとめられたことをお祝いしたい。
難しいことを、わかりやすく伝えなければならない。その今日的試みに新たな一冊が加わった。本書は、今読まれるべき新時代の「道徳の教科書」だ。
「どのように生きるべきか」を広く世に向けて一個人が語ることには、つねにいかがわしさが伴う。「なぜお前が世の中に対して特権的にものを言えるのか」と、つねに、任意に、難癖をつけることが可能である。だから無難なのは、そのような危ない立場は避けて、各専門分野に内在した粛々たる仕事を続けることだ。ならば文句を言われまい。だが、「生きる」というこの総合的事態について、リスクを冒して大きくものを語る人間が一人もいないとすればどうだろうか。たとえそこに偏りを含んでいても、生きる方向を指差してみせる人間が一人もいなくなってしまったらどうだろうか。誰も総合的に人間を見ようとしないような状況というのは空恐ろしいもののように思われる。
ところで、人間を語るのは一人ではダメで、複数の観点から異なる重心で語られることが必要である。そうであれば比較が起こり、複数の極のあいだを考えるようにと促される。生きることにおいて本質的に重要なのは――と、僕もここで「本質」を語ることにするが――、どれかひとつの原理に決めるのではなく、ゆらぎを生きるという煮え切らなさを手放さないことだと言えるだろう。
あいだ、狭間、ゆらぎ、振動、行き来……本書にはそういう問題意識がある。これは僕が考えているテーマに近い。白か黒かの二項対立を単純には語れないリアリティ、善にも悪にもなり切れない微妙なところを、いかに高解像度に見るか。
性のマイノリティの問題にしても、世の中には、建前としての「善き言説」が、一種の流行として広がりつつある。LGBTと括られたりするわけだが、こうしたラベルは非常に異なるものをひと括りにしていて、ときにマイノリティ内部でも繊細な点で対立が起きるという事実から目を逸らしている。そこに強いて注目することは、マジョリティに対して権利要求を行うマイノリティの団結を弱らせることになるから、戦術的な意味で、見ない「ことにする」のだという意見もありうるが、僕は、一人の当事者として、それには同意したくない。ある意味での公的な生きやすさを求めるだけでは、本当の多様性を思考していることにはならない。
安心安全で快適な暮らしだけが人間の目的ではない——と、少なくとも僕は思う。苦くてうまいのが人生であり、人生とはいわば「ふきのとう」であり、マイノリティはそのエキスパートであるべきだ、と少なくとも僕は思う。不便を我慢すべきだというわけではない。不便は減らした方がよい。が、不便を減らすことが最優先であってはならない、と、少なくとも僕は思うのである。
確かに、建前が重要な場面もある。だが建前にはつねに裏側があり、裏側とは欲望の問題であり、人はその両側を行き来しながら考える。そして場面によってどのような語り方をするかを慎重に選ぶのである。
人が成長する過程、というか人や環境との関わりによって進行する教育的プロセスは、しばしば、「表ではそういうことにしておく」への適応である。鳥羽さんは、子供たちにもともとあった「生きる実感」が適応によってスポイルされていくことを嘆いている(33頁)。
この「生きる実感」とは、精神分析的な語彙として、欲望と言い換えることもできるだろう。ここで注意していただきたいのだが、精神分析において欲望という言葉は、ものが欲しい、食べたい、支配したいというような意味よりも広く薄く(そういうことも含むが)、一人の人間がそのように生きざるをえないような「傾き」というか、世界への向き合い方そのものを指している。大人は、もともとの生きる実感あるいは欲望を抑圧されて自信を失い、他人にもまた同じような抑圧を味わわせようとする。そこには復讐の連鎖があると言えるだろう。ルサンチマンの連鎖である。経済的・社会的に有利な立場へのルサンチマンよりも根本的な、集団的に生きるために欲望を諦めて規範に適応せざるをえなかったということへのルサンチマンである。この精神分析的なプロセスを念頭に置かなければ、社会は理解できない。ある規範が良いか悪いかよりも手前で、規範への適応によって何が抑圧されているのか、と問わなければならないのである。
人生は単純ではない。規範への適応がみずからを縛るが、規範なしでも生きていけない。だが、その煮え切らなさ、割り切れなさが面白いのだ。様々な二重性のなかで行き来するリズムが、人生の音楽なのだ。
本書は、現代を生きる若者たちに向けた単純ならざる励ましの書である。そして若者だけでなく、あらゆる年齢の、あらゆる状況の人々にとって励ましの書となるだろう。