2020年代、世界は大変動の時代に突入し、先の見えない危機の中にある。習近平国家主席が、「100年に一度の大変局と新型コロナ感染症の影響」と表現すれば、バイデン大統領も、「気候危機と100年に一度とされる感染症の大流行」と表現した。二人の指導者の表現がいみじくも一致した現下の危機は三つの危機からなる未曽有の複合危機である。
第一の危機は、大国の覇権争いという平和の危機である。国際政治は「権力政治」と言われる。力(パワー)こそが支配的で究極的な要素だ。その力の分布に大きな変化が起きた。大国の興亡は歴史の常だが、今起きている変化は、中国の台頭と米国の相対的衰退というパワーバランスの変化である。米中は「トゥキディデスの罠」を回避できるだろうか。
対立と競争はパワーのみならず、自由や民主主義、人権の尊重や法の支配といった普遍的価値をめぐっても起きている。民主主義と権威主義の対立構図が鮮明となり、イデオロギー色を帯びた不信と分断が広がりを見せている。そして、ロシアが隣国への全面的軍事侵攻に出た。ユーラシアの東西でNATO対ロシア、日米豪印(Quad)対中国の力の鬩ぎ合いが激化し、核戦争のリスクさえ懸念される不透明感が漂い始めた。
第二の危機は、グローバルな人類の危機である。
100年前、スペイン風邪が世界を襲い、多くの命が奪われた。その数は当時起きていた世界大戦の死者の数を大きく上回った。中国から世界に広がった新型コロナもスペイン風邪を想起させる感染力を見せ、多くの人の命を奪い、経済活動を麻痺させた。その一方で、デジタル化・オンライン化が急速に進み、コロナ前は想像もできなかったテレワークやオンライン授業の広がりが社会の風景を一変させた。気候変動は、異常気象を引き起こし、「気候難民」を追い立て、生活や命を脅かす。CO2削減と再生可能エネルギーへの転換は待ったなしの全人類的課題となった。
第三の危機は、経済社会矛盾が深刻化する国家の危機である。中産階級の衰退は先進民主主義諸国共通の病弊となった。所得や資産の格差は広がり、固定化し、社会の分断を生んだ。自由民主主義の灯台であるはずの米国の現状も深刻だ。分配が政策課題となるが、経済成長なくしては分配にも限度がある。長引く新型コロナ対策で国家の債務も増大した。人口減少と少子高齢化が追い打ちをかける。中国も例外ではない。
こうした複合危機によって、「安全」がすべてを圧倒する空気が広がる。経済と安全保障の境界も曖昧になった。ロシアのウクライナ侵攻は欧州の安全保障観を揺さぶり、軍事的非同盟政策を取ってきたフィンランドやスウェーデンもNATO加盟に動いた。ドイツは平和主義の下での防衛政策を大きく転換した。
危機や戦争は別の場所でも起こり得る。日本周辺にはそんなホットスポットが少なくない。台湾海峡、朝鮮半島、南シナ海、そして尖閣諸島である。これらの問題については多くの報道や議論があるが、本書では国際政治の本質とは何かという問題意識をもって論じてみたい。中でも、大きな構図としての国際秩序の変動に目を凝らす必要がある。国際秩序はパワー、利益、価値という三者体系によって成り立っており、それぞれの体系の関係や変化を分析することが欠かせない。中でもパワーの体系は最も重要であるが、権威主義の伸長と民主主義の後退といった価値の体系の変化も見落とすべきではない。
米国とその同盟諸国は冷戦後最大の危機に直面し、結束強化や防衛費拡充に動いている。企業も経済安全保障や地政学リスクに向き合わなければならなくなった。そんな転機となったロシアのウクライナ侵攻から考察を始め、最後は日本自身が国家として直面する危機を取り上げて締め括りたいと思う。
未曽有の危機の時代に、本書を通じて国際政治の基本に立ち返り、問題を整理することで新たに見えてくるものがあれば、筆者にとってこれに過ぎる喜びはない。