名づけられる──というのは怖いことだ。あるいはレッテル貼りというべきかもしれないが、いずれにせよ、一度もっともらしい呼び方をされてしまうと、もうそれとしてしか理解されなくなるからだ。世に「空想的社会主義」と呼ばれるサン=シモン、オーウェン、フーリエらの思想ならびに実践は、その最たるものだろう。大きく取り上げられたのが、かの有名なマルクス、エンゲルスによる『共産党宣言』においてだからだ。
続くエンゲルスの『空想から科学へ』では、その位置まで決められた。すなわち、社会主義は確かにサン=シモン、オーウェン、フーリエらに始まるが、それは自分たちの理想を押しつけようとしただけの、未熟で、実現不可能な「空想的社会主義」だった。より優れた思想に成長して、実現可能な道筋を示しているのが、自分たちの「科学的社会主義」ないしは「共産主義」なのだ。そう語られて、巧みなストーリーに取りこまれてしまったのだ。
その『共産党宣言』、『空想から科学へ』、そして『資本論』は、二十世紀には革命のドクトリンに、いや、ほぼ批判も許されないドグマになる。「空想的社会主義」も教条のひとつであれば、修正も改変も認められない。が、その「科学的社会主義」ないしは「共産主義」は、どうなったのか。ソビエト連邦を中心とする「共産圏」は消えてなくなっている。なお共産党による一党独裁が維持されている国、つまりは未だ民主主義がない国でも、市場原理を受け入れて、その実質は資本主義社会である。要するに「共産主義」は終わった。別な言い方をすれば、それは実現可能な科学でもなければ、人類永遠の理想でもなく、ましてや不朽のドグマなどではないことが、はっきりした。それは十九世紀後半から二十世紀という特定の時代にのみ存在した限定的な事象、つまりは過去の歴史にすぎないのだ。
神聖不可侵の箍(たが)は外れた。「共産主義」が与えた名前に、大人しく甘んじている理由はない。それは「空想的社会主義」にとっては、終(つい)に訪れた解放の季節だ。サン=シモン、オーウェン、フーリエらの思想と実践は、百年からのレッテルを引き剥がし、ようやく正当な評価を仰げるようになったのだ。
そのことを喜ぶ声が行間から溢れ、耳に聞こえてくるような成果が、『社会主義前夜──サン=シモン、オーウェン、フーリエ』である。
まず気づかされるのは、概して一括りにされるサン=シモン、オーウェン、フーリエの三者は、共に活動したわけではないという事実だ。サン=シモンとフーリエはフランス人だが、それぞれの拠点は北のパリと南のリヨンに別れる。オーウェンにいたってはイギリス人で、後にはアメリカにも渡る。互いの交流が活発だったわけでもない。それなのに共通項が多いのは、やはり十八世紀末から十九世紀前半のヨーロッパの歴史、すなわちフランスの市民革命、イギリスの産業革命から、ナポレオンの登場、ウィーン体制による安定にいたる歴史を、ともに経験したからだろう。自ら「社会主義」を称したわけでもないが、もう直後にはそう括られたというのは、過酷な労働環境、貧富の格差、社会の分断というような、その時代が惹起した問題に、三者いずれもが逃げず取り組んだからなのだ。
あげくに資本家と労働者の融和の必要を訴え、そのための協同体を構想し、あるいは新しい宗教を唱導した三者について、著者は社会企業家、社会プランナーに近い存在だったのではないかという。「共産主義」が唱えたような大仰な革命は、そこにはない。が、その革命なら失敗したのだ。今なお人類は救われず、また今なお社会主義に可能性があるとするなら、その原点を検証しなおす作業は有意義とされるべきだろう。
「空想的社会主義者」と名指された二人のフランス人、サン=シモンとフーリエは若くしてフランス革命を経験し、革命により荒廃した社会をどう立て直すかという問題について思索を重ねていました。
『小説フランス革命』で、世界を変える試みが急進化していく革命の全貌を政治劇として描いた佐藤賢一さんによる『社会主義前夜──サン=シモン、オーウェン、フーリエ』の書評を、PR誌「ちくま」より転載します。