ちくま新書

あなたがK-POPに出会うまでの100年の物語
『K-POP現代史』「はじめに」K-POPとは何か?

いま、K-POPが世界を席巻している。BTSの世界的成功に象徴される大躍進。ここに至るまでには、ジャンルも国境も超えた100年に及ぶ物語があった。K-POP誕生の前史から世界進出までを、東アジアとアメリカの歴史と外交という観点を交えて読み解いた『K-POP現代史』。ここではその「はじめに」を転載いたします。

†BTSが「活動休止」⁉
 いま、世界の音楽界を席巻しているK‐POP。そのなかでも特に注目されているグループは、何といっても7人組ボーイズグループのBTS(防弾少年団)であろう。
 BTSは2013年6月に韓国でデビューした。それ以来、活動の場を全世界に広げ洋楽のポップスターたちと競合しながら、2021年のAMA(アメリカン・ミュージック・アワード)では大賞に相当する「アーティスト・オブ・ザ・イヤー」を受賞、翌2022年には二冠に輝き、五年連続受賞という快挙を成し遂げた。
 2022年6月14日、そのBTSが活動を休止するというニュースが各国メディアによって報じられ、激震が走った。BTS公式YouTube チャンネルにアップされたメンバーたちによるトーク番組「FESTAディナー」で、メンバーの一人シュガによる発言「オフに入る」の「オフ」につけられた英語字幕が「中断」を意味する「hiatus」となっていた。
 これによって、彼らがグループ活動を中断・休止してしまう(=活動休止)のではないかと海外メディアが誤解したことが、誤報の主な原因であった。「オフに入る」と「活動休止」は似ているようでニュアンスが大きく異なる。つまり、K‐POPアーティストに一般的な新曲でカムバックするまでの「オフ」がグループ活動の「休止」と誤解されたのであった。この誤解が韓国、そして世界を揺るがしたのである。
 この時、最年長メンバー・ジン(1992年生まれ)の兵役は音楽活動における功績を理由として、「BTS法」と呼ばれる改正兵役法による特例が適用され、期限が2年間延長されていた。韓国における徴兵期限は満28歳の誕生日を迎えた最初の年末とされているが、これが特例によって満30歳までとされていたのである。
 ところが、その延長期間も2022年の年末には切れる。そのため、彼らの兵役免除を可能にする兵役法改正案が国会に提出されていた。しかし、韓国の世論が賛否をめぐって二分されるなか、韓国国会での議論は遅々として進んでいなかった。
 文在寅(ムンジェイン)政権の黄熙(ファンヒ)文化体育観光部長官は政権交代に伴う退任を目前にした5月4日、記者会見で「BTSの一部メンバーの入隊を前に賛否が分かれている状況となっており、誰かが責任ある声をあげるべきだと考えた」として、国会にBTSの兵役免除を可能にする兵役法改正案の早期可決を促す発言をした。
 しかしながら、尹錫悦(ユンソンニョル)政権が成立して以降もなかなか審議は進まなかった。BTSの兵役免除を「不公平だ」と考える韓国国民の声が根強く、「兵役こそ公平であるべきだ」とする立場から、党派に関わりなく反対の声が存在していた。
 保守系与党「国民の力」と進歩系第一野党「共に民主党」の二大政党においてもさまざまな意見が並存しているため党内での意見調整さえできない状況であった。このままでは、ジンの徴兵は時間の問題となっていた。
 そのような状況での「活動休止」報道は現実味をもって受け止められた。メンバーの兵役を視野にグループ活動休止が発表されたと考えられたからである。韓国の株式市場では所属事務所HYBE(ハイブ)の株価が前日比約25パーセントも暴落し、他業種でも株価が下落するなど、報道は各方面に大きな影響を与えた。
 その前月、2022年5月にBTSはビルボード・ミュージック・アワードにおいて3部門を受賞している。また、6月1日(アメリカ現地時間5月31日)にはホワイトハウスを訪問し、アメリカ社会におけるアジア人嫌悪の問題についてバイデン大統領と意見交換をした。
 韓国内にとどまらず海外においても人気と影響力が絶大なグループの「活動休止」報道であったがゆえに、このように大きな「騒動」となってしまったのである。
 結局、所属事務所HYBEは事態を収拾するため、報道の翌日にこれを否定する声明を発表することになった。ファンの衝撃だけでなく自社の株価にまでダメージを受けたため、早急な対応を図ろうとしたのである。
 声明の内容は、グループ活動が一時的な「オフに入る」のを契機に、これまでできなかった各メンバーのソロ活動を展開していきたい、というのがメンバーによる発言の真意で、グループ活動自体はこれからも継続する、というものであった。事務所による声明と合わせて、この動画につけられた英語字幕も原語の「オフに入る」の意味に近い「taking a temporary break」に差し替えられている。

†K‐POP快進撃の理由
 2022年6月のBTS「活動休止」報道とその影響からみえてくるのは、単なるBTS人気だけではない。
 株式市場において、K‐POP関連株にとどまらない広範な影響を及ぼしたことに象徴されるように、K‐POPと名づけられた音楽文化が韓国の経済や社会に非常に大きな影響力をもっていることが、あらためて証明されることとなった。
 加えて、海外メディア発のニュースで、「活動休止」の情報が大きな衝撃とともに世界を駆けめぐったということは、世界におけるK‐POPの位相をあらためて示したといえるだろう。
 現在、BTS以外にもNCT(エヌシーティ)、BLACKPINK(ブラックピンク)、TWICE(トゥワイス)といったグローバルに活躍するK‐POPグループが複数存在している。
 さらには2020年代に入って以降も男性グループのTREASURE(トレジャー)、ENHYPEN(エンハイプン)や女性グループのIVE(アイヴ)、LE SSERAFIM(ル・セラフィム)、New Jeans(ニュー・ジーンズ)といった次世代グループが次々とデビューし、アメリカのビルボードや日本のオリコン、iTunes、Spotify(スポティファイ)、Apple Music をはじめとした世界の主要チャートにチャートインしている。
 まさに今、K‐POPが世界で快進撃を続けているのである。
 このK‐POP快進撃の理由について、「韓国は国内市場が狭いから」「国家が後押ししているから」などといった短絡的な説明が各種メディアで散見される。だが、果たしてそのような単純な理由だけで、現在のK‐POP快進撃が可能になったのであろうか。
 国内市場の狭さでいえば、韓国の人口は5000万人を超えており、韓国より音楽市場の小さい国の方が世界にはずっと多い。それらの国々のなかで、なぜ韓国だけが成功したのかという疑問が残る。
 また、国家が後押ししただけで世界的な成功を収めることができるほど、文化コンテンツビジネスの世界は甘くないだろう。国家による支援が文化コンテンツの商業的成功に結びつくというなら、今頃フランス映画や中国のC-POPは世界の市場を圧倒しているはずだ。
 たとえ国家が資金を投入し、優れた人材を迎えても、結局は「大衆」がそれを選択的に受容し消費するか否かで成否が決まるのが大衆文化であり音楽ビジネスだ。何よりも、これだけ長年にわたって世界各地に多くのファンを獲得し、ヒットを連発できる理由としては説得力に欠ける。
 現在のK‐POP快進撃の理由を明らかにするには、K‐POPをK‐POPたらしめた背景、それらがどのようにして形成・発展してきたのか、という歴史的アイデンティティに迫る必要があろう。そのためには、韓国の音楽業界が置かれている状況を説明するだけでは不十分であり、K‐POPが形成・発展・越境するプロセスの解明こそが不可欠なのだ。

†本書の構成
 このような問題意識のもと、本書は次のような構成で展開する。
 第1章では、1990年代にK‐POPが登場する以前、韓国での大衆音楽がどのようにして形成され発展してきたのかを論じる。具体的には、アメリカでの大衆音楽の誕生から、第一次大戦後の米国の文化的ヘゲモニーのもとで韓国の大衆音楽が誕生した1920年代、米国音楽スターの影響を受けつつ大衆音楽が発展した60年代、日米の音楽文化が模倣されながら若者にターゲットを絞った音楽がヒットした80年代という順に、韓国の大衆音楽の発展を近現代史と絡めながら「K‐POPの前史」として位置付ける。
 続く第2章では、70年代から80年代に日本で起こった「韓国ブーム」について述べる。ここではまず、戦後の日韓関係を概観し、それがいかにして「韓国文化」ブームにつながったのかを論じる。また、その流れで趙容弼(チョーヨンピル)・金蓮子(キムヨンジャ)ら韓国人歌手が「演歌歌手」として日本に進出し、人気を集めて紅白にも出場したプロセスと背景を考察する。
 第3章では、民主化以降の韓国社会においてヒップホップ文化とアイドル文化が結合してK‐POPが誕生していく過程をみるとともに、IMF経済危機後に急速に整備されたIT網を活用してファンが形成したオンラインのコミュニティのもつ意味を明らかにする。
 さらに、中国の改革開放政策と韓中国交樹立を背景にK‐POPが中国進出に成功し、また1998年の「日韓共同宣言」以降に日韓交流が進展するなかで、日本で「韓流」ブームが起こる過程を考察する。
 第4章では、少女時代らの進出による日本でのK‐POPブーム到来と、その後の日韓関係の悪化による影響やファンたちの対応について述べる。また、TWICEの日本進出などを契機に日韓関係が「戦後最悪」と言われるなかでブームが再来し、コロナ禍でも継続している状況とその背景を明らかにする。
 最後に第5章では、K‐POPが越境した理由を、メッセージ性と異種混淆性という観点を中心にして明らかにする。また、K‐POPの広がりが21世紀を生きる人々にどのような影響を与えているのかについても述べる。
 以上のように、本書では、K‐POPが形成・発展・越境するプロセスを追うことで、K‐POPの歴史的アイデンティティに迫りつつ、そこからK‐POP快進撃の理由を明らかにする。

†K‐POPに出会うまでの「激動の100年」
 K‐POPは19世紀から20世紀初頭のアメリカで形成されたポピュラー音楽が直接、あるいは日本を経由して導入され、韓国に定着したものの発展形である。それがやがて越境し、他国で受容されることで「K‐POP」と呼ばれるようになった。そのプロセスには、音楽あるいは文化という枠組みだけには収まりきらない、大小さまざまな人間・社会の歩みが関わっている。
 では、実際にK‐POPは韓国でどのようにして生まれ、いかにして今日のように日本や世界に広まっていったのか? また、K‐POPの越境とグローバル規模の拡散は世界にどのような変化をもたらしたのか? この本はそのような問いのもと、韓国内外の情勢とK‐POPの形成・発展との関係を通史的に論じようとするものである。
 韓国においてポピュラー音楽(大衆音楽)が本格的に登場・普及したのは今から100年ほど前、日本による植民地支配下の1920年代であった。それから今日にいたる韓国、そして東アジアの歩みはまさに「激動の100年」であった。
 この本の内容は単なる「K‐POPの歴史」ではない。世界が、そして私たちがK-POPに出会うまでの100年の物語である。特にK‐POPに「推し」がいる読者であれば、「「推し」に出会うまでの100年の物語」ということもできるだろう。あなたが「推し」に出会ったのは偶然ではなく、100年かけて紡がれたさまざまな歴史があってこその、文字通り「運命の出会い」であったことをこの本から感じていただけるのではないか。

 

■目次より

第1章 K-POP前史──韓国大衆音楽の誕生と発展
第2章 戦後日韓関係と「韓国ブーム」──「韓国といえば演歌」の時代
第3章 K-POPの誕生と越境──民主化・ネット社会・韓流
第4章 ソーシャルメディア時代のK-POPブーム──少女時代・KARA・TWICE・NiziU
第5章 世界化するK-POP──BTS成功の秘密


 

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